第6話 聖断の門と、最初の裏切り

 ――冥界と人間界を繋ぐ唯一の通路、「聖断の門」。


 かつて神々がこの世界を二つに分けた際、ただひとつ残された“境界の門”であり、

 魂の流れを往復させる唯一の路でもあった。


 だが今、その門は不穏に脈動していた。

 青白い光が不規則に明滅し、まるで“何かを吐き出そう”としているようだった。


***


「門の周囲で、異常反応が観測されました」

 報告するのは、冥界の魔導卿ヴァーミル。

 その顔には焦燥がにじんでいる。


「“聖教会”が、こちらに神聖魔法を放っている可能性があります」


「神聖魔法……?」

 私の背筋が凍る。

 あの光は、かつて私を焼いた“処刑の光”と同じ色だった。


「エリス。ここを守ると言ったのはお前だな」

「はい、陛下」


 ルシフェルが隣に立つ。その紅の瞳は揺るぎなく、しかし奥に微かな痛みが見える。


「我は主力を北方の防衛に向ける。……お前にはこの門の監視を任せる」

「お任せください。必ず守り抜きます」


「よい。だが――信じる者を選べ」


「え?」


 ルシフェルは一瞬だけ視線を伏せた。


「冥界の中にも、“人間に通じる者”がいる。……裏切りは、内から始まる」


「……了解しました」


 その忠告が、後に命を救うとは、このときの私はまだ知らなかった。


***


 聖断の門の前――。

 黒い石造りの地面の上に、複雑な魔法陣が浮かび上がっていた。

 門の中央には、揺れる光の裂け目。

 その向こうに、かつての王都の尖塔がぼんやりと映る。


(あの場所……私が処刑された、広場)


 息が詰まった。

 過去が、形を持って再び迫ってくるようだった。


「……大丈夫ですか、エリス様」

 リリアが心配そうに覗き込む。

 いつも静かな侍女の目に、珍しく揺らぎがあった。


「ええ。……私は、もう過去に怯えません」


 そう言って、魔法陣の中心に手をかざす。

 契約の証――指の紅い痕が光を放つ。

 冥王の魔力と繋がる感覚が、胸の奥に蘇る。


(陛下……必ず守ってみせます)


 その瞬間、風が変わった。


「――来るぞ!」


 リリアの声。

 門の光が激しく脈動し、外側から何かが叩きつけられる。


 轟音。

 黒い大地が裂け、衝撃波が城壁を震わせた。

 空気の中に、聖句のような響きが満ちる。


「汝、冥界の闇を鎮めよ――“神の剣(ディウス・ブレイド)”!」


 白銀の槍が、光の門から突き抜けた。

 その瞬間、リリアが前に出て、私を庇う。


「リリア!」


 彼女の腕に、光が突き刺さった。

 しかし――血は流れない。

 代わりに、彼女の瞳が、一瞬だけ“金色”に輝いた。


「……っ、う……」


「リリア? どうしたの!」


「……私、は……」


 リリアの口元が、ゆっくりと笑った。

 それは、見たことのない、冷たい笑みだった。


「ようやく……この身体、動かしやすくなりましたわ」


「――え?」


「初めまして、と言うべきかしら。エリス様。……いえ、“人間の娘”」


 声の調子が変わる。

 目の奥に、あの女――セレーネの光が宿っていた。


「あなた、まさか……!」


「そう。リリアの身体は借りただけ。

 陛下の目の届かぬ場所で、あなたに“真実”を伝えに来たの」


「真実……?」


「あなたの契約が、冥界を滅ぼすの。

 “血の契約”は、千年前――神が封じた禁忌。

 冥王がそれを破った今、冥界はゆっくりと崩壊する」


「……嘘よ」


「信じたくないだけでしょ? でも、見なさい」


 セレーネの指先が門を指す。

 そこでは、魂花が次々と枯れていく。

 青白い光が黒に染まり、風が泣くように鳴っていた。


「陛下の力は、あなたを守るたびに削れていく。

 このままでは、彼は“冥王”であることすら保てなくなるの」


「そんな……。陛下は、そんなこと……!」


「知らないの? 彼はあなたの命を守るために、“冥界の根源”を切り離したのよ。

 もうすぐ――あなたが生きれば、彼が死ぬ。

 あなたが死ねば、冥界が生き残る。……どちらを選ぶの?」


 心臓が掴まれたように痛い。

 息が詰まる。

 だが、私は震える声で言い返した。


「……私は、誰も死なせません。陛下も、冥界も」


「できるものなら、やってごらんなさい。

 ――もっとも、それを阻むのは、“あなたの愛”そのものよ」


 その言葉とともに、セレーネは光の中へ消えた。

 残されたリリアの身体が崩れ落ちる。


「リリア! しっかりして!」


 彼女の目がわずかに開いた。

「……すみません、エリス様……。私……止められ……な……」


 手が冷たくなっていく。

 光が消え、静寂だけが残った。


***


「――エリス!」


 駆けつけたルシフェルの声。

 その姿を見た瞬間、張りつめていた感情が決壊した。


「陛下……リリアが……セレーネが……!」


 ルシフェルは彼女の身体を抱き上げ、眉をひそめる。


「……“憑依の術”か。セレーネ、貴様……!」


 その声には怒りと、わずかな悲しみが混ざっていた。


「エリス。聞け。――セレーネは、かつて我の右腕だった。

 冥界と人間界の境を守るために創られた“半魔”。

 だが、彼女はいつしか、“神”を崇めるようになった」


「神を……?」


「彼女は信じたのだ。冥界を滅ぼせば、神に許されると。

 それが、千年前の“堕天”の記録だ」


「つまり……」


「彼女は、我を愛し、同時に神に憎まれた女。

 そして今、再び“愛”を利用して、冥界を滅ぼそうとしている」


 沈黙。

 すべてが絡み合い、痛みに変わる。


「陛下……彼女の言葉、本当なんですか?

 ――私が生きる限り、貴方が……」


「馬鹿なことを言うな」

 ルシフェルの声が低く響く。

 その手が、私の頬を包む。


「お前が生きることが、我の力だ。

 死など、運命に許さぬ」


「でも……!」


「信じろ。契約の本質は“呪い”ではない。

 ――お前と我が信頼こそが、それを超える鍵だ」


 その瞳に、迷いはなかった。

 私は、ただ頷くしかできなかった。


 外では、聖断の門が再び光を放つ。

 白い閃光が空を裂き、戦いの幕が上がろうとしていた。


***


(これは、“戦”ではなく“選択”の物語だ)


 ――そう気づいたのは、ルシフェルが最後に言った言葉を思い出したときだった。


 「我らの契約は、血ではなく信頼だ」


 その信頼が、世界を救うのか。

 それとも、冥界を滅ぼすのか。

 答えは、まだ夜の闇の中にあった。


🌑次回予告(第7話)


「堕天の女王と、冥界の決断」

冥王VSセレーネ――千年の愛憎が火を吹く。

そして、エリスが選ぶのは“誰かを救う”ではなく、“何を信じるか”。

冥界編、急展開。

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