第7話『聖域の誕生』*



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### **デンジャラスアウトサイドBeautyズ**


### **第七話『聖域の誕生』**


王都の夜が、少しずつ色を変え始めていた。

まゆみが支配する酒場では、夜な夜な熱狂的な宴が繰り広げられ、そこから生まれる噂と金が裏社会に新たな流れを作り出していた。ナオミの名は、決して表には出ないが、解決困難な「問題」を抱える権力者たちの間で、最後の切り札として密かに囁かれるようになっていた。


妹たちがそれぞれのやり方で夜の闇に根を張る中、長女のさゆりは、神殿の沐浴場で静かにその時を待っていた。

彼女は相変わらず、ただの雑用係だった。しかし、その評判はすでに神官たちの耳にも届いていた。「あの女に背中を流してもらうと、神々の御前に出るにふさわしい、清らかな心身になれる」。それは、ある種の信仰にも似た噂となっていた。


さゆりの本当の価値は、癒やしだけではない。

彼女の元には、客たちが無防備に吐き出す、無数の「情報」が集積されていた。商人の妬み、役人の野心、そして神官たちの秘密の欲望。さゆりは、それらを分類し、結びつけ、この王都の権力構造の真の姿を、誰よりも正確に描き出していた。


そしてある日、ついに最大の「獲物」が彼女の前に現れた。

大神官・アンクハフに次ぐ地位を持つ、高位神官のネフェルカラー。彼は清廉潔白で知られていたが、さゆりは彼が沐浴場を訪れるたび、その瞳の奥に深い苦悩と罪悪感が渦巻いていることを見抜いていた。


その日、さゆりはネフェルカラーの背中を流しながら、特別な薬草を溶かした泡を、いつもより濃く立てた。心を落ち着かせ、同時にわずかに弛緩させる効果がある。

「…ネフェルカラー様。何か、お悩みでございますか」

さゆりが初めて、客に問いかけた。

ネフェルカラーは驚いて振り返る。しかし、さゆりの慈愛に満ちた瞳と、湯気の向こうに揺らめくその姿は、まるで女神イシスそのもののように見えた。


「…わかるのか」

「ええ。あなたの背中が、そう語っております」


その一言が、彼の心の最後の堰を切った。

ネフェルカラーは、誰にも言えなかった罪を告白し始めた。数年前、飢饉の際に貧しい民衆のために集められた寄進の穀物を、彼は密かに横流しし、私腹を肥やしていたのだ。その罪悪感が、今も彼を苛んでいると。


さゆりは、黙ってその告白を聞いていた。

そして、すべてを聞き終えると、静かに言った。

「その罪、わたくしが洗い流しましょう」


翌日、さゆりは神殿長・メリラーのもとを訪れた。メリラーは、大神官アンクハフの派閥に属し、ネフェルカラーとは対立関係にある人物だった。

さゆりは、ネフェルカラーの横領の事実を記したパピルスの断片――それは、彼女が数週間かけて他の神官たちの断片的な情報から繋ぎ合わせた、動かぬ証拠だった――を、彼の前に差し出した。


メリラーは目を見開いた。これを大神官に突き出せば、政敵ネフェルカラーを失脚させることができる。

「…小娘、お主、何者だ。そして、何が望みだ?」

「わたくしは、ただ女神に仕える者」

さゆりは恭しく頭を下げた。

「望みは一つ。この神殿の権威を、さらに高めることでございます」


さゆりは、一つの計画を語った。

「沐浴場の一角を改装し、ファラオの御親族や最高位の貴族、神官様だけが利用できる、特別な『聖域』を創設するのです。そこでは、最高級の香油と薬草を使い、心身を完璧に浄める、究極の儀式を執り行います」


メリラーは、さゆりの意図を即座に理解した。それは、表向きは神殿の権威を高め、富裕層からの寄進を増やすための施設。しかし、その実態は、国の最高権力者たちが集う、最高級の社交場であり、情報交換の場となる。そして、それを支配下に置けば…。


「よかろう。その計画、許可する」

メリラーは、さゆりが差し出した証拠を受け取った。

「聖域の運営は、一切をお主に任せる。その代わり、そこで得られた『耳寄りな話』は、儂に報告せよ」

「…御意に」

さゆりは、深く頭を下げた。しかし、その伏せられた瞳の奥には、冷たい光が宿っていた。メリラーは自分が彼女を利用しているつもりでいるが、本当に駒として使われるのがどちらであるか、まだ気づいていない。


数週間後、神殿の沐浴場の一角に、新たな施設がオープンした。

ナイル川が見えるよう大きく窓が取られ、床には磨き上げられた石灰岩が敷き詰められている。湯船には常に清らかな水が満たされ、睡蓮の花が浮かんでいた。そこは、もはや公衆沐浴場ではなかった。選ばれた者だけが入ることを許される、神聖にして官能的な空間。


さゆりは、その施設の支配人として、客を迎える。

彼女が提供するのは、ただの沐浴ではない。

客一人ひとりの体調や心の状態に合わせ、数十種類の薬草や香油を調合した特別な泡で全身を洗い清める、一種の「儀式」だった。

客は、身も心も丸裸にされ、極上の癒やしの中で、最も無防備な自分を晒け出す。


さゆりは、その施設を、密かにこう呼んでいた。

『ソープランド・イシス』と。


開店の日、最初の客として国の宰相が訪れた。

さゆりは、完璧な所作で彼を出迎えると、湯気に煙る彼の背中を見つめ、静かに微笑んだ。


王都の夜に、三つの城が建った。

まゆみの「Club Horus」は、人と金と熱狂の城。

ナオミの「デリバリーヘルス」は、影と秘密の城。

そして、さゆりの「ソープランド・イシス」は、情報と支配の城。


本当のゲームは、ここから始まる。

三姉妹が、この国の夜の全てを喰らい尽くすための、壮大なゲームが。

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