第17話 久遠家の事情

 コウジは上体を起こすと、両手のドクダミ茶の湯気に、無言で目を落としていた。


 コウジはゆっくりと口を開いた。


「俺の兄貴……久遠イッキは、とんでもない不良でした」


 コウジの独白が始まった。


「中学に入学する頃には、もう近隣の学校じゃ知らない奴はいないくらいの存在になっていて。兄貴は集団で行動するのを嫌い、常に一匹狼でした。それが余計に目立つというか……」


 ユウタと俺は、ただ黙って聞いている。


「中学の時から、兄貴はいつも傷だらけで帰って来ました。他校の不良たちと喧嘩し、顔は腫れ上がり、指の骨が折れている。それでも、痛みなんて感じていないような顔をしていました」


 コウジの視線は、遠い過去を見つめているようだった。



 ◆



「俺が小学四年生になった年。兄貴は高校に入学したばかりでした。あの日は、本当に怖かった」


 警察からの電話。母親の震える声。


「イッキが暴走族と乱闘? イッキは……息子は無事なんですか!」


 俺と母親は、急いで兄貴を迎えに行った。警察署のロビーで、母親はただただ、顔面蒼白で震えていた。


 五十人を相手にした乱闘。相手は全員、もれなく病院送り。中には意識不明の者もいたという。


 取調室から出てきた兄貴は、まるで悪魔のようだった。拳から血を流し、全身傷だらけ。その瞳は獣のようにギラギラと光っていた。


「兄貴は不良なんて生易しいもんじゃない。正真正銘の化物でした」


 この事件がきっかけで、兄貴は入学早々退学になった。学校という枠が外れたことで、兄貴の荒れた生活は加速した。


 この街で無敵の兄貴のお陰か、小学生の俺が不良のたまる夜道を歩いていても、誰も絡んでこない。むしろ俺を見ると、不良たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。俺は、その兄貴の力の恩恵を、幼心に感じていたし、少し誇らしく思っていたのかもしれない。


 次第に兄貴は、ヤクザのようなことをし始め、家には帰ってこなくなった。母親は毎日泣いていたが、兄貴は連絡一つ寄こさない。


 そんなある日、街中に衝撃的な噂が広まった。


「久遠イッキが、タイマンの勝負で完膚なきまでに叩きのめされたらしい」


 嘘だろ、あの化物が負けるなんて……。そう思ったさ。


 だが、その噂は本当だった。


 俺と母親が、兄貴が入院している病院へ行くと、兄貴は両手両足にギブスを巻いて、体中ミイラのような包帯まみれでベッドに寝ていた。


 兄貴は、天井を見つめたまま、俺にこう言った。


「コウジ……探索者って凄いぞ。俺の拳も蹴りも、通用しなかった。この俺が手も足も出なかったんだ」


 その時、兄貴が初めて、絶望という感情を露わにした。


「兄貴……もう、ヤクザみたいなことやめなよ。もう十分だよ」


 俺の言葉に、兄貴は焦点の定まらない目で俺を見つめた。


「……ああ、やめるさ。あの高みに俺は行く。俺は、探索者になるぜ」


 それが、兄貴の出した答えだった。


「探索者って……ダンジョンに行くやつ?」


「ああ。命を張る仕事だからな。お前やお袋とは、家族の縁を切る」


 退院した兄貴は、すぐに探索者ギルドの入隊試験を受け、探索者となった。以降、兄貴とは音信不通だ。


 それからしばらく経って、女手一つで俺たちを育ててくれた母親は、病気で死んでしまった。葬儀の間中、俺は何度も、兄貴がドアを開けて入ってくるのを待った。だが、結局、兄貴は葬式に来やしなかった。


「俺は、身勝手な兄貴を許せなかった。自分の強さだけを求め、家族を捨てた。俺も探索者になって、いつか兄貴をぶん殴ってやる」


 それが、俺が探索者になった理由です。俺は死ぬ気で訓練し、わずか一年でBランクまで駆け上がった。


 だが、兄貴はその時、もっと高みに居た。



 ◆



「Sランク。日本に数人しかいないSランクになってやがったんです」


 コウジはドクダミ茶をすすり、暫し黙った。その瞳の奥には、憎しみと、どうしようもない諦念が混ざり合っている。


「やっぱり化物なんだ。心が通わない化物……」


 コウジの独白が終わると、ダンジョンハウスに重い沈黙が流れた。


「なんだ、コウジ君」

 俺は短槍を弄ぶのをやめ、上裸のムキムキな胸を張った。


「それ、お兄さんに対しての嫉妬じゃないか」


「ちょ、悪食オヤジさん! 空気読んでくださいっす!」


 ユウタが慌てて口を挟んだ。


「いや、違うか? 家族を顧みず我道を行く兄貴を超えたいのに超えられない。その才能に焦がれる嫉妬と、自分だけが置いていかれたという孤独感。それだけだろ」


 俺の言葉は、あまりにも直球で遠慮がなったかもしれない。だが、その言葉を聞いたコウジは、なぜかフッと笑った。


「……ははは。悪食オヤジさんの言う通りですね。全部、嫉妬です」


 コウジはドクダミ茶を飲み干し、笑顔を見せた。それは、今までの張り詰めたコウジの表情とは違う、憑き物が落ちたような、清々しい笑顔だった。


「Sランクがどれくらい強いかしらないけど、コウジ君なら超えられるだろ」


「何を根拠に言ってるんすか!」

 ユウタが呆れる。


「根拠なんてないさ。俺の直感ってやつだな」


 俺の根拠のない無責任な賞賛。それがコウジの心に響いたようだった。


「話したらスッキリしました。ありがとうございます、悪食オヤジさん。俺、もう一度高みを目指してみます」


 コウジは立ち上がり、短槍を手に取ると、ダンジョンの奥を指差した。


「ちょっと体動かしてきます。無性に戦いたい気分なんで」


 ユウタは慌てて、撮影機材と予備バッテリーを持ってコウジを追いかけていく。


 一人残された俺は、短槍を物干し竿代わりにして、洗濯物を干し始めるのだった。


(物干し竿、やっぱり優秀だなぁ)



 しかし、これがコウジにとって大きな分岐点となり、彼の運命を変える出来事に遭遇することは、この時の俺達の誰も予想していなかった。

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