生真面目病が世界を覆い、人々が"生真面目な正しさ"だけを信じるようになった時代。
誰からも理解されず、「不真面目病」の烙印を押された警察官・駿河光太郎。
社会から否定された彼の前に現れたのは――緑色の髭もじゃで、頭のネジが一本抜けたような自称・神『ガラクタ』でした。
『ガラクタ』に日常を邪魔されながらも、駿河は同士になるだろう甲斐のところへ導かれていきます。
駿河は決して相手を無理に変えようとはしません。
まず相手を知ろうとし、過去を受け止め、理解したうえで手を差し伸べる。
だからこそ、十年間引きこもっていた甲斐が心を動かされたのも、説得ではなく「一緒にゲームをやろう」という、ごく自然な一言だったのでしょう。
誰かを力で変えるのではなく、相手の心に寄り添い、その人自身が前を向くきっかけを与える。
駿河はそんな静かな優しさを持つ主人公です。
もちろん、甲斐に始まって、同士が増えていきます!拝読していてこの人は仲間になってほしいと思う人は既に物語の始めの方にも登場してきます!
駿河に甲斐、同士が増えて行くその旅路がますます楽しくなるまだまだこれからが楽しくなるエピソード✨
とてもとてもおすすめな作品です✨
2部にも突入したので書こうと思います。
本作を一言で評するのなら、非常に独創的な作品ですね。オーウェル著『1984年』のような不気味さ、苦しさが漂っています。現代社会や「これから」の世界にも通ずるところが十分にあるように感じます。
まず、この世界を象徴しているのは何よりも世界観ですね。何もかもが真面目というよりは、神経質になってしまった日本が舞台です。
それがもう、異常としか言いようがない。日本という国が、歴史がこれまで積み重ねてきたありとあらゆる文化を否定し、踏み潰す異常な世界です。
勿論、オタク文化どころか神々も何もかもを否定し、マシンの如く振舞う振舞う人々は完全にディストピアのそれです。
だからこそ、こんな世界だからこそ不真面目な主人公の駿河たちが輝く。
真面目な社会に染まらないということは、同調圧力や「正義」という名のもとに一方的に叩かれる理由にしかならない。それも、折れるまで容赦なく攻撃を続く。自分たちが間違っていると認めるまで……。
だとしても、折れない。自分の好きや信じるを貫く姿には、読んでいる私にも戦えるという気力を与えてくれる気がします。
長々と失礼しました。
手にしている力は、誰がための「ガラクタ」なのか?
何もかもを均してしまおうとする世界に、不真面目どもが吠える!!
この作品は、まず世界観を味わっていただきたいです。
ある日突然、日本を襲った病、生真面目病。
病は瞬く間に日本全土に蔓延し、国民は生真面目だらけになってしまいます。
そしてに生真面目だらけの日本で、横暴に振る舞う全生物平等教たち。
そんな中、生真面目病に罹患しなかった若者たちが主人公です。
本作はいきすぎた生真面目さのなかで、不真面目な彼らがいかに生きているかを追う物語です。
生真面目病という、個性的な発想。
その生真面目さは無茶苦茶です。
それでも物語がブレないのは、不真面目な主人公たちの人間らしさを丁寧に、しっかり描いているからだと思います。
読み込むほどに奥が深い、そんな人間ドラマも読みたい方に、ぜひおすすめします!
全平教は宗教のようだけど神を信じておらず、ひたすら他人を監視し批判する人たちで成り立っている。
遊びや笑いは不真面目と断罪され、生き物全ての命が大事だと言って虫を殺した人を徹底的に痛めつける。いびつで本末転倒な思想なのに、他人を暴力で黙らせているせいか、いつの間にか日本中に広まっているらしい。
そんな息苦しいほどのディストピアで始まった物語が、「ガラクタ」と呼ばれる奇妙で醜い神の存在によって動き出す。
ガラクタの力をきっかけに、主人公駿河は甲斐や和奏と出会う。
全平教に徹底的に痛めつけられ、感情を押し殺していた駿河たちが仲間を得て徐々に笑いを取り戻していく。その過程に、読んでいて心の底からホッとした。
そして何より気になるのは、ガラクタという存在だ。
あれは一体、どういう神なのか――この先が気になる物語。
ちなみに私は、恐ろしいまでに空気を読まない甲斐から目を離せなくなってきている。
ディストピア・・・という言葉さえ生ぬるいような、おかしくなってしまった世界。
平和のためにと他者を攻撃し、平等のためにと他者を迫害する。
しかも論理も一貫性もなく、正気を持った人から見たら滅茶苦茶な理屈。
でも99.9%の人が「それが正しい」と言えば、残りの僅かな「正気」の人が狂人にされる・・・。
そんな恐ろしい世界で、正気を保ったまま抗う主人公たち・・・。
正気・・・正気かなぁ。
いや、ちょっと変わってるかも知れない。
特に主人公の仲間(?)のうちの一人(?)はかなり変わってますね。
でもそんなハチャメチャこそが、このおかしな世界と戦う鍵なのかもしれない。
恐ろしい世界で、ドタバタわちゃわちゃ戦う主人公たちの活躍に注目です!
ある日突然、日本中の人々が洗脳されたかのように「真面目」になった。
娯楽は罪であり、笑いは罪であり、遊ぶことも、おしゃれすることも、酒を飲んで憂さ晴らしすることも「不真面目」として切り捨てられた。
そんな世界で「不真面目病」のレッテルを貼られた主人公、駿河は出会った神「ガラクタ」と共に「生真面目病」に覆われた社会に抗う。
だが、神の力を振るえば直ちに元に戻るような安易な物語では無い。
少しずつ、少しずつ、仲間を探し、洗脳された人々をもとに戻す術を探して。
押し付けられる一方的な正義の理不尽さと、それに抗うことの厳しさと。
この作品に描かれるほどでなくとも、大なり小なり正しさを求められる社会に生きている我々にとって、これは決して荒唐無稽な話では無い。
ぜひ皆さんに読んでいただきたい作品です。
「真面目であること」を良しとされる行き過ぎた日本を舞台にした本作は、“不真面目病”など独特かつ一本筋の通った価値観が序盤から丁寧に示されていきます。
美しくも歪み、優しくも不穏な空気が漂う物語の中で、読み手の気持ちを明るくしてくれるのが、魅力的な登場人物たち。
彼らのユーモラスな対話はどこか懐かしく、ふと童心に帰らせてくれる柔らかな導きがあります。
個人的に惹かれた「居酒屋ゆうちゃん」は、SFの中にもこの日常的な世界の暗喩として機能していて楽しく読めました。
真面目とは何か? 常識とは何か?
かのジョージ・オーウェルは「1984」で暴走した社会の危うさを現代に示唆しましたが、本作にはそんな現代への警告とも言える鋭利さがある。
ガラクタであることの美しさーー
ふとドブネズミを歌った歌詞を思い出し、歪んだ体制にNOを突きつける勇気の大切さを感じたものです。
まだ拝読の途中ですが、この物語の着地点と彼らの結末を引き続き楽しみに追いたいと思います。
真面目すぎる世界で、「不真面目」は病気として処理される?!
そんな社会で、ガラクタのように扱われながら生きる警察官・駿河と、“神的な存在”が動き出す――。
笑いや涙すら不健全とされる空気の中で、駿河はそれにどうにも馴染めない。
冒頭から、とにかく世界の空気が異様です。
主人公もヒーローではなく、むしろかなり情けない。
でもだからこそ、この息苦しさがダイレクトに伝わってくるのです。
現在第3章終盤まで読み進めていますが、「正しさ」が暴走した世界に対して、“間違い”であるはずの不真面目が、逆に人間らしさを取り戻していく構図になっていく気配があります。
面白いです。
とくに、“神的な存在”を名乗る語り。
悲惨な場面に皮肉と可笑しみを差し込んでくる、この独特の調子がかなりクセになります。
神、思想、信仰、自由、価値観、仲間――。
大きなものも小さなものも巻き込みながら、ここからどんな反逆が始まるのか楽しみです。
『吠えろ!ガラクタ~塵芥戦術~』は、「真面目であること」が極限まで肥大化したディストピア社会に、“ガラクタ”と呼ばれた人間たちが反旗を翻す物語です ⚡🗾
この世界では、サボること、笑うこと、遊ぶことといった“余白”が徹底的に排除され、「真面目」であることだけが正義として崇められています 🙌💥
そんな窮屈な社会で、「不真面目病」としてレッテルを貼られた人々が、やがて“塵芥(ガラクタ)”として扱われながらも、自分たちなりのやり方で世界に噛みついていく姿が描かれます 🧹🔥
行き過ぎた「真面目さ」への風刺と、ガラクタたちの不器用なカッコよさが同居した、シリアスとコメディのバランスが絶妙な一作だと感じました 🎭🌟
清潔すぎる街、笑顔も汚れも許されない社会、
その中でひときわ浮いた存在――警察官・駿河光太郎。
不真面目病のレッテルを貼られ、嘲られ、蹴られ、それでも生きている。
彼の「異常」は、この「正常すぎる世界」の中では、確かに鮮やかだった。
ある日、彼は神社の境内で祈るように言葉をこぼす。
「……神様。助けてください」
その願いに応じて現れたのは――
緑色にぷるぷる震える、髭もじゃの浮遊神(?)。
神か妄想か幻か。
信じられない日常が、ゆるやかに、そして確実に「はじまり」を告げる。
これは、不条理な社会に抗えず打ちひしがれた「ガラクタたち」が、
それでも生きようともがく中で出会った、
「ちぐはぐな神」との、ささやかで壮大な物語。
整い過ぎた世界で、ガラクタな神様と”不真面目病”とされた者達が、様々な理不尽に抗います。……いや、抗わせられるのです。
立派、とはとても言えない神様と怠惰で意気地なしの警官、そしてニートを目指していた引きこもりの少年。欠陥だらけの彼らが見せる珍妙なやりとりや巻き込まれる騒動を見守っているうちに、ふと、考えてしまうのです。
本当のガラクタはどっちだろう? と。
行き過ぎた正義と信念、善意はもはや本来の意味とはかけ離れ、滑稽を通り越して恐怖すら覚えます。
ここで描かれているのは、ディストピア。現実ではない、世界。
……これから先も、そうであってほしいと心から願います。