第八話:『聖なる爆心地』

「オ……オオオオオ……!」


目の前には、モルフォの悪趣味な実験によって生まれた怪物、『マゼマゼ・インプ』。そいつが上げた咆哮の音圧だけで、沼地の泥が震え、俺たちは吹き飛ばされそうになる。


「ひぃっ!?」


その衝撃で、気絶していたセシルが、パチリと目を覚ました。 彼女は、寝ぼけ眼で周囲を見回し、眼前の極彩色の肉塊と目が合った。


「……あら? 天国……ではなさそうですわね。色が派手すぎますもの」


「地獄だよ! 起きろセシル! 晩飯にされるぞ!」


「晩ご飯!? まあ、いけませんわ! わたくし、まだ心の準備が!」


怪物が、巨大な口をガパァ!と開け、俺たちを丸呑みにしようと迫る。その口からは、強烈な腐臭が漂ってくる。


パニックになったセシルは、懐をごそごそと探り、「あるもの」を取り出した。


「た、食べないでくださいまし! お腹が空いているなら、こちらを召し上がりなさい!」


彼女が投げつけたのは、インプとの対話餌付け用に買った、『聖別した砂糖菓子(業務用大袋)』だった。袋には「愛・増量中」という自作の謎のラベルが貼ってある。


「主よ! この迷える子羊巨大肉塊の胃袋を満たし、その罪深い食欲を浄化したまえ! おりゃっ!」


ズボッ! 袋ごと、怪物の口の中に吸い込まれる。


それを見たリリスも、ヤケクソで叫んだ。


「ええい、ままよ! ついでにこれも食え! あわよくば腹下して死ね!」


リリスは、さっき水路で採取し、ポケットの中でドロドロに溶け出していた『爆発性粘菌ヘドロ』の塊を、怪物の口に放り込んだ。


「グルァッ!?」


怪物は、飛んできたものを反射的に丸呑みした。奴は満足げにゴクリと喉を鳴らす。


「ククク……砂糖とヘドロか。このゴミ溜めの王に相応しい、見事なフルコースではないか。食え、食え」


ザガンが、優雅に腕を組みながら、餌付けショーを楽しんでいる。


 ゴキュルルルルル……! ボコォ……ボコォ……


直後。怪物の腹の中から、地獄の釜が煮えるような、不穏な音が響き渡った。


「ウグッ……オェ……」


怪物が、苦しそうに腹を押さえてのたうち回り始めた。


それを見たセシルが、ハッとした顔をした。


「まあ! なんてこと!」


「なんだ、毒でも入ってたか!?」


「いいえ! 早食いしたから、消化不良を起こしてますわ! よく噛んで食べないからです!」


「どう見ても体内でヤバイ化学反応が起きてるだろ!」


俺のツッコミなど聞こえないセシルは、慈愛に満ちた(そして狂気じみた)顔で膝をつき、必死に祈り始めた。


「可哀想に……! 大丈夫、わたくしが楽にして差し上げます! おお、慈悲深き主よ……! 彼の荒ぶる胃腸に安らぎを!」


「こら! 余計なことするな!」


「消化を助け、溜まったガスを抜き、全てを光へと変えたまえ……胃散アーメンッ!!」


 ブワワワワッ!


セシルの体から、無駄に高出力な聖なるオーラが噴出した。その光は、「消化促進」という名の加速剤となって、苦しむ怪物の腹へと注がれる。


その瞬間。


ポンッ! ボンッ!


怪物の腹が、パンパンに膨れ上がり、皮膚が裂けそうなほど発光し始めた。 今にも張り裂けそうな風船おじさん状態だ。


「ハハハハ! 素晴らしいぞ聖女、貴様の発想は常に余の斜め上を行く!」


ザガンが、腹を抱えて爆笑している。


「うわ、臭い……いや、この匂いは?」


リリスが、漂ってきた強烈なガス臭と、異常な膨張スピードを見て、目を見開いた。


「あのインプはもとはザガンの生成物。詳しい原理までは分からんが、弱点の聖属性であるバカ聖女のせいで、腹の中が『超高速発酵』を起こしている! 今のあいつは、皮一枚で繋がっている『歩くガスボンベ』だ!」


「ガ、ガスボンベ!?」


「そうだ! このまま放置すれば、ただのでかいゲップで終わるが……逆に言えば、内部に火種さえあれば、奴を木っ端微塵に吹き飛ばせる!」


「火種って言っても、マッチもねえし、イグニの拳じゃ火はつかねえぞ!」


「あるだろう。私が買った『発光苔』と『触媒』が」


「は? それ光るだけだろ?」


「本来はな。だが……この量の触媒を、一気に苔と混ぜ合わせればどうなるか?」


リリスが悪魔的な笑みを浮かべる。


「化学反応が暴走し、光るどころか数千度の熱を発して燃え上がる! 即席の爆弾の完成だ!」


「すげえ……! さすがリリス先生!」


「フフフ、もっと褒めろ!」


「グルルルル……!」


危険を察知した怪物が、パンパンに膨らんだ腹を抱えながら、急いで爆弾を作るリリスの方へ向き直った。 その口元に、蛍光色の液体が溜まっていく。


「しまっ、狙われた! 調合中で手が離せん!」


リリスが叫ぶ。


逃げ場はない。 俺は、震える足で、前に出た。


(……くそっ、後ろには出口しかねえ。ここでリリスがやられたら、火力不足で全滅……。俺の借金も、俺の人生も、ここで終わりかよ……)


嫌だ。あんな変な奴に負けて、こんなドブの中で死ぬのは、絶対に嫌だ!


俺は、足元の瓦礫を拾い上げ、怪物に向かって全力で投げつけた。


「こっち見ろ、このメタボ風船野郎ォォォ!!」


ガンッ! 瓦礫が怪物の額に当たる。怪物の無数の目が、リリスから俺へと移る。


「テメェの相手は、この『天沢組』組長、天沢健太様だァァァ!! かかってこいやァァァ!!」


「ほう……? 自ら囮になるとはな」


ザガンが、感心したように目を細めた。


「いいぞ小僧。その無謀な悪あがき、嫌いではない。せいぜい余を楽しませろ!」


怪物が、俺に向かって口を開いた。


 ブシャァァァァッ!!


「ぐあああっ!!」


溶解液のしぶきが、俺の背中を焼く。服が溶け、皮膚が焼ける激痛。俺は泥の中に飛び込み、転がり回りながら絶叫した。


「今だァァァ! リリス、イグニ! 奴のガラ空きの口にブチ込めェェェ!!」


「よくやった! その心意気、見直したぞ! ……イグニ、行け!」


「はいっ!」


リリスから爆弾を受け取ったイグニが、猛ダッシュで飛び出した。 彼女の目は、いつになく真剣だ。


「悪いおなかは、バーン、です!」


彼女は、怪物の懐に向かって走る。だが。この場所は「汚泥の沼地」だ。 怪物と俺たちが撒き散らした粘液、そしてさっきの溶解液で、地面はローション相撲の土俵よりも滑りやすくなっていた。


イグニが踏み込んだ、その瞬間。


 チュルッ!


「あれ?」


イグニの足が、見事に空を蹴った。彼女は転倒し、そのまま仰向けで、猛スピードで滑走を始めた。


「イグニィィィ!? そこでコケるのかよォォォ!?」


俺の絶叫が響く。


だが、その滑りは、摩擦係数ゼロの世界で、奇跡的な直進性を生んだ。彼女は、まるで人間カーリングのストーンのように、一直線に怪物の元へ滑っていく。


「素晴らしい、ナイススライディングだ!」


ザガンが、スポーツ観戦のように軽く手を叩いた。


目標は、溶解液を吐き出した直後の、だらしなく開いた大口。 イグニは、滑りながらボトルを構えた。


「おくすり、のんでくださ~い!」


 スポッ!


驚異的な滑走速度のまま、イグニは上半身ごと、怪物の口の中へ滑り込んだ。 そして、手に持ったボトルを、喉の奥の食道へと、強引にねじ込んだ。


「んぐぐ!?」


怪物が、目を白黒させた。 異物が喉を通る感覚に、むせ返る。


ポンッ! イグニが、その反動で、怪物の口からコルク栓のように飛び出した。


「助かりましたー!」


そして、その怪物の腹の中で。


『ガス』と『熱源』が、|運命の接触を果たした。


 カッ!!!!


視界が真っ白に染まる。俺たちの目の前で、巨大な十字の閃光が走った。


「「「うわあああああああああ!!!」」」


 ドッカァァァァァァァァァァァァァン!!!!!


凄まじい爆風が、沼地の霧も、汚泥も、インプの破片も、全てを吹き飛ばしていく。怪物の断末魔すら、爆音にかき消された。俺たちの体も、枯れ葉のように宙を舞った。


「クハハハハハハ! 壮観! 実に壮観!!」


爆風の中、ザガンの高笑いだけが響き渡る。


「これぞ余が求めていたフィナーレよ! 最高の花火だ!」


やがて、煙が晴れると。 そこには、何もかもが消し飛んだ、綺麗なクレーターだけが残っていた。


その中心で。


「うぅ……。あついです……。おこげ、できました……」


アフロヘアーになり、全身真っ黒に焦げたイグニが、口からプスンと煙を吐きながら座り込んでいた。


「おお、主よ……! 迷える魂は、光となって天へ召されました……! なんて美しい……!」


セシルは、ぼろぼろのまま相変わらずなんかずれたことを言っている。


「フン……。け、計算通りだ……。全て、私のシナリオ通り……ゲホッ!」


リリスは、ボロボロの服で立ち上がり強がって髪をかき上げたが、すぐにむせ返った。


そして。俺はというと。


背中を焼かれ、爆風で飛ばされ、泥まみれになりながらも、空に向かって親指を立てていた。


「……へっ……ざまぁ……みろ……」


俺は、勝ったのだ。借金地獄と、この理不尽な世界に、ほんの一矢、報いてやったのだ。


俺は、満足げな笑みを浮かべたまま、静かに意識を手放した。


ザガンが、そんな俺たちを見下ろし、心底楽しそうに言った。


「ククク。実に騒がしい連中だ。余のインプを倒すとはな。

……クズ男と、その愉快な仲間たちか……」


ザガンは、黒焦げで気絶している俺の寝顔を見下ろし、小さく笑った。


「……合格だ。退屈はさせないでくれよ――健太よ」

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