第十二話『団長の、はじめてのおつかい1』

夜のスラムを、俺は、悪態をつきながら一人、歩いていた。

手には、あいつらの理不尽な要求が書き殴られたリスト。懐には、ずしりと重い銀貨。腹立たしいが、生まれて初めて、こんな大金を持って街を歩く。


(…チッ、めんどくせえ。だが、まあいい。あいつらにケーキだのワインだのを買ってやるのは癪だが、ついでに、この街がどうなってるか、見て回ってやるか)


今まで、生きるのに必死で、ギルドと倉庫と水路を往復するだけの日々だった。この機会に、少しは、この世界のことを知っておくのも悪くない。


そんなことを考えながら、一人で歩いていると、不意に、頭の中に直接、あの忌々しい声が響いた。


『ククク…実によく似合っているぞ、パシリ。その、世を呪うような目つき、実に良い』


「うわっ!?てめえ、いつからそこに!」


驚いて振り返るが、誰もいない。だが、すぐ隣の宙に、半透明のザガンが、足を組んで、ぷかぷかと浮いていた。霊体化しているのだ。


「てめえ、ついてきてやがったのか!」


『当然だろう?貴様という玩具が、初めて街に出て、どんな愚かな行動をとるのか。最高の観客であるこの余が、見逃すはずがないではないか』


ザガンは煽るような顔でこちらを見る。


「勝手に人の頭ん中に話しかけてくんな!気色悪い!」


『ほう?ならば、声に出してやろうか?「おい見ろ、あの人間が、我らが一家のパシリだぞ!」と、な』


「やめてくださいお願いします!」


「……おい、見ろよあいつ」「何もいない空間に話しかけてるぞ」「関わるな、クスリやってる目だ」


すれ違ったスラムの住人たちが、俺を避けていく。 くそっ、こいつのせいで俺の社会的信用(ゼロ)がマイナスになった!


◇◇◇


俺たちが住んでる下層『スラム区』は上層や中層の連中が垂れ流す汚水とゴミが、最終的に流れ着く、文字通りの『どん底』。天井は、常に、一つ上の階層の床だ。太陽の光なんてものは、もちろん、届かない。


(…しゃあねえ。まずは、この❘ゴミ溜め《スラム》で買えそうなもんから、済ませるか)


俺はまず、オークが経営する肉屋へと向かった。店先には、牛ほどもある、何か得体のしれない多足獣の死体が吊るされている。巨大な店主が、それを巨大な鉈で、骨ごと叩き割っていた。


「お、親父!肉くれ!一番でけえやつ!」


「ああ!?んだい、ひょろっちい人間じゃねえか。そんなに食えんのか?」


店主はいぶかしげに肉に見合わないヒョロガリの俺を見る。


「俺が食うんじゃねえ!腹ペコのドラゴンが待ってんだよ!」


「へいへい、お待ち!ドラゴンの餌やりも大変だな!」



次に、リリスの葡萄酒だ。年代物など、こんなスラムにあるはずもない。

悪態をつきながら歩いていると、一人の、フードを目深にかぶったゴブリンが、声をかけてきた。


「兄ちゃん、いい酒、探してるのかい…?とっておきのが、あるぜ…?」


連れていかれたのは、薄暗い路地裏。ゴブリンは、埃まみれの棚から、一本の、ラベルも読めないほど汚れた瓶を取り出した。


「どうでえ、旦那。こいつは、オークの前王朝時代に作られた、逸品だぜ…?銀貨一枚で、どうでえ…」


「たけえな!…まあ、いい。よこせ」


(どうせリリスの奴に味なんかわかるわけねえし、アルコールが入ってりゃ文句ねえだろ……)


『ほう、ゴブリンの作る密造酒か。運が良ければ、ただ不味いだけだが…運が悪ければ、失明するぞ』


ザガンが楽しそうに解説を入れる。


「マジかよ!?」


瓶の中をよく見ると、何かの眼球のようなものが浮いていた。


(まあ、あいつ死んでるようなもんだし大丈夫だろ)


俺は金を払い、瓶を鞄の奥底へ押し込んだ。



次に、セシルの野菜と果物を買うために、青果市場へ向かう。

スライムがぬめぬめと掃除している、薄汚い路地裏を駆け抜けると市場に出た。


市場では、これまた様々な種族が、それぞれの特産品を売っている。キノコ人間の露店、巨大な芋虫を売る❘昆虫人インセクトイドの店…。

俺は、比較的まともそうな、人間の老婆がやっている店で、適当な野菜と果物を買った。


「さて、最後は…ザガンのクソケーキか…」


店のおばちゃんに聞くと、ケーキのような高級品は、このスラムにはないという。


「そういうもんは、中層『商業区』に行かないとねえ。あそこは、あたしたちとは、住む世界が違うからねえ…」


◇◇◇


俺は、スラムの空を突き抜けるようにそびえ立つ、巨大な『公式階段』の前に立った。 この階段を上るのは、あの強盗の時以来だ。


「…チッ。また、あの❘クソ牛野郎警備兵がいるのかよ」


検問所には、相変わらず、ミノタウロスたちが立っていた。 その中には前回俺を煽ってきた奴もいる。


だが、以前とは様子が違う。彼は、巨大な斧を杖のようにして体を支え、脂汗を流しながら、ピクピクと震えていた。


「…へくちっ!」


ミノタウロスが、小さくくしゃみをした、その瞬間。 「グギィッ!!??」 腰から、生々しい音が響き、彼はその場に崩れ落ちた。


『ククク…見ろ。余の呪いは、健在のようだな』


ザガンの、邪悪な笑い声が、頭に響く。


(うわぁ…ガチで効いてるよ…一生治らねえんだっけ、あれ…)


俺は、自分の陰湿さに若干引きつつも、ニヤニヤしながら奴が担当する検問所へ近づいた。


「…お、おい、待て…うぐっ…」


ミノタウロスは、這いつくばったまま、俺を呼び止めた。


「スラムの…住人が…何の用だ…」


「か、買い物です!金ならあります!」


俺は、必死に銀貨を見せる。 ミノタウロスは、俺の顔をじっと見た。


「…ん?貴様…どこかで…ハックショ!!アガァッ!!!」


追撃のくしゃみで、彼は完全にノックダウンした。


「も、もういい…行け…!俺の目の前から…消えろぉ…!」


「あ、ありがとうございますー…お大事にー(棒)」


俺は、悶絶する警備兵の横を、スキップで通り抜けた。


◇◇◇


息を切らしながら上りきった先は、別世界だった。

空気が、違う。ヘドロの匂いがしない。代わりに、熱せられた鉄と、香辛料の匂いがする。


そして、明るい。天井は遥か高く、そこには巨大な発光性の水晶が埋め込まれ、街全体を、昼間のように煌々と照らしていた。

建物は、バラック小屋ではない。全てが、頑丈な石造りだ。道行く人々も、スラムの連中とは違い、身なりが良く、活気に満ちている。


ドワーフの鍛冶屋からは、リズミカルな槌の音が響き、ゴブリンの工房からは、奇妙な機械の駆動音が聞こえる。


(…すげえ…。ここが、中層か…。俺たちが住んでる、あの薄暗いゴミ溜めとは、大違いだ…)


ケーキ屋を探して歩いていると、俺は、ひときわ賑やかな一角に迷い込んだ。

色とりどりのネオン(のような魔法の看板)が輝き、どこか退廃的で、甘い音楽が、店の扉の隙間から漏れ聞こえてくる。


そこは、『歓楽街』だった。

店の前では、着飾ったサキュバスの女が、羽を揺らしながら、金持ちそうな商人に媚を売っている。エルフの美女が、ドワーフの親父に、高級酒を注いでいた。


(…なんだ、この天国は…!)


俺は、その光景に、完全に心を奪われた。


(…そうだ…俺が求めていたのは、これだ…。不労所得を手に入れて、毎日、こういう店で、こういう姉ちゃんたちを侍らせて、豪遊する…。それこそが、俺の、理想の異世界生活…!)


『…下等な。貴様の欲望の行きつく先は、その程度か』


ザガンの呆れた声が、頭に響く。


(うるせえ!男のロマンだろうが!)


俺は、心に、固く誓った。いつか、必ず、この場所に、客として戻ってきてやると。


そんな、どうしようもなく下品な決意を胸に、俺は、ようやく一軒の小さなケーキ屋を見つけた。

店主は、意外にも、小柄なゴブリンのパティシエだった。


「へい、らっしゃい!ウチのケーキは、地下都市一だよ!」


ショーケースに並んだ、色とりどりのケーキ。それは、この活気ある商業区の中でも、ひときわ輝いて見えた。


「…一番高いの、くれ。」


俺は少しだけ迷って、付け加えた。


「……やっぱ二つくれ。」


ザガンがニヤリと笑う。


『金がないのではなかったのか…余への供物は一つでよいぞ?』


「……これくらいは許されていいはずだ。」


そっぽを向きそう答えた。

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