第十七話:『帰還、そして絶望』

結局、俺たちが無言で、とぼとぼとたどり着いたのは、出発点である、この埃っぽい倉庫の隅だった。

扉を開けた瞬間、カビと埃の匂いが、以前よりも強く鼻を突く。「おかえり」と言われているようだった。最悪の気分だ。


俺は、なけなしの荷物を床に叩きつけた。ガラン、と虚しい音が、がらんどうの倉庫に響き渡る。


「…着いたぜ、お姫様方。俺たちの、新しい『城』によぉ!」


俺の皮肉に、リリスが、壁に寄りかかったまま、生気のない声で呟いた。


「…私のせいではない。運命が、私に味方しなかっただけだ…」


「運命のせいにするな!てめえが全財産ぶっこんだせいだろうが!」


「まあまあ、お二人とも。喧嘩は、お腹が空いていない時にするものですわ」


セシルが、聖母のような笑みを浮かべて、俺たちの間に割って入る。


「失ったものばかりを数えてはいけませんわ。我々には、まだ、こうして五体満足な体が…」


「俺は腕折れて、リリスは足捻挫しただろうが、ついさっきまで!」


俺は、能天気なセシルにキレ散らかす。


「…とにかく!試練ですわ!これは、我々の絆を試す、神が与えたもうた試練なのです!」


「その神様とやらが、俺たちみてえな貧乏人から、さらに搾り取ろうとしてるだけだろうが!」


俺たちの、どうしようもない言い争いを、イグニの小さな声が、ぴたりと止めた。


「組長様…おなか、すきました…」


シン、と倉庫が静まり返る。

そうだ。金がない。食い物もない。あるのは、この埃っぽい空間と、絶望だけ。


その時、倉庫の空気に、異質な匂いが混じった。

カビと埃の匂いしかしないはずのアジトに、明らかに不釣り合いな、甘く、香ばしい香り。揚げた生地と、砂糖の匂い。そして、芳醇な茶葉の香りだ。


匂いの元をたどると、倉庫の隅、一番居心地の良さそうな樽の上に、いつの間にか顕現したザガンが、優雅に腰掛けていた。

その手には、繊細な細工の施されたティーカップと、白く砂糖がまぶされた、揚げ菓子――ドーナツ。


俺たちが、なけなしの銅貨で買った、最後の一個であるカチカチの黒パンを、誰が食べるか睨み合っている、そのすぐ横で。


「…てめえ、どこでそんなもん…!」


俺が、怒りを込めて問い質すと、ザガンは、心底不思議そうな顔でこちらを見た。


「ん?ああ、これか。先日の、あの水晶だ。余が気まぐれに生み出した、あのヘドロのなれの果て。あれの、ほんの欠片を、物好きな収集家に売ってやったのだ」


ザガンは、紅茶を一口すすると、さも当然のように、こう続けた。


「おかげで、当面の菓子代には困らん。そうだな…貴様らの通貨で、銀貨百枚ほどにはなったか」


「…ぎ…んか…ひゃくまい…?」


俺は、耳を疑った。

(俺は仕事を失い、リリスは腕を固められ、全員が路頭に迷ったっていうのに、元凶のお前だけが、一人で儲けてやがったのかあああああ!!!)


あまりの理不尽さに、声も出ない。ただ、ギリギリと奥歯を噛みしめることしかできなかった。


その時だった。

倉庫の隅の暗がりから、ガサリ、と音がした。

現れたのは、猫ほどの大きさもある、巨大なドブネズミ。その目は赤く、飢えにぎらついている。狙いは、俺たちの目の前にある、最後の黒パンだ。


「てめえ、この野郎!それだけはダメだ!」


俺は、必死にネズミを追い払おうとするが、空腹と疲労で、足がもつれる。


「下等生物が…!」


リリスはプライドだけで立ち向かおうとするが、ギャンブルで全てを失った精神的ダメージで、体が動かない。


「まあ、お可哀想に…。きっと、その子も、お腹が空いているのですわ」


セシルは、あろうことか黒パンを差し出そうとする。


「頭お花畑聖女がああああ!!」


「小僧、何をしている。さっさと始末しろ。見苦しい」


ザガンが、ドーナツをかじりながら、面白そうにこちらを見ている。

「うるせえ!見てねえで手伝え!」


「余が?なぜ?貴様らの食糧問題に、余が介入する義理はない」


万策尽きた俺は、最後の手段に出た。


「イグニ!やれ!そいつを、バーンだ!」


「はい、組長様!バーン、ですね!」


イグニは、元気よく返事をすると、まるで鬱陶しいハエでも叩くかのように、その小さな手のひらを、ドブネズミに向かって、軽く、振り下ろした。


ゴッ、という、分厚い鉄板を巨大なハンマーで殴りつけたような、硬く鈍い衝突音。

直後、空気が爆ぜる轟音が響き渡った。

ドブネズミは、断末魔を上げる間もなく、その巨体が、倉庫の天井を突き破り、空の彼方へと消えていった。


シン…と、静寂が落ちる。

俺たちが見上げると、屋根には、ネズミ型の綺麗な穴が空いていた。そこから、一筋の陽光が、まるでスポットライトのように、俺たちの最後の黒パン―――今はもう、ネズミの衝撃波で粉々になった、ただのパン屑―――を照らしていた。


イグニは、自分の手のひらと、天井の穴と、ネズミがいたはずの場所を、不思議そうに、きょろきょろと見比べている。

そして、小首を傾げた。


「…あれ?ネズミさん、どこに行っちゃいました…?」


「どこに行ったじゃねえよ!てめえが宇宙の彼方にホームランしたんだろうが!」


俺は、脊髄反射でツッコんだ。


「…恐ろしいな。本物の怪物は、己が怪物であることに、気づかんものらしい」


リリスが、冷ややかに呟く。


「まあ!イグニさん!ネズミさんを、お空に帰してあげたのですわね!なんて、お優しいのでしょう!」


セシルだけが、キラキラと目を輝かせていた。


「ク…ククク…」


ザガンの、堪えきれない笑い声が響く。


「クハハハハ!見事だ、竜人の小娘!パン一斤のために、家(の屋根)を破壊するか!これぞ、わらしべ長者!いや、わらしべ貧者か!実に、実に滑稽だぞ、貴様ら!」


俺は、天を仰いだ。

(…もう、どうにでもなれ…)

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