第五話:亡霊のモールス信号

 雨宮優人が、10年前に自殺したアーティスト・霧島ひかりの弟だった。この事実は、事件の構図を根底から覆した。彼の動機は、単なる遺産相続ではない。姉の人生を狂わせた男への、10年間熟成させた復讐――。

取調室の優人は、影山と田中を前にしても、まだ飄々とした態度を崩さなかった。

「俺が、あの女の弟?人違いじゃないの。くだらない作り話はやめてくれよ」

「では、これはどう説明しますか?」

影山は、監視映像に隠されたモールス信号『LIAR(嘘つき)』の解析結果を突きつけた。

「犯人は、雨宮館長を嘘つきだと断罪している。そして、この完璧な監視システムそのものが、巨大な嘘であると我々に告げている。これは、単なる殺人犯の犯行声明ではない。復讐者の儀式です」

優人の表情が、初めて微かに揺らいだ。

「……面白い想像だな、探偵さん」

影山は構わず続けた。

「ジュリアン・コイデ氏に協力を仰ぎ、映像の再解析を行いました。結果、驚くべきことがわかった。あの映像は、ディープフェイクのような高度な合成映像ではなかった。もっとシンプルで、大胆なトリックが使われていたんです」

影山は一枚のグラフをテーブルに置いた。

「これは、映像データのビットレート(情報量)の推移です。見てください。死亡推定時刻の前後、約5分間だけ、ビットレートが不自然なまでに安定している。これは、ライブ映像ではなく、あらかじめ録画された映像を再生(ループ)していたことを示唆しています」

犯人は、雨宮館長が一人で椅子に座っている映像を、事前に数分間だけ録画しておいたのだ。そして、犯行に及ぶ間、その録画映像を監視システムに流し続けることで、完璧なアリバイ映像を作り上げた。監視員たちは、ライブ映像だと思い込み、実は録画された虚像を見ていたに過ぎない。モールス信号のノイズは、ループ映像に切り替えた際の、僅かな痕跡だった。

「だが、どうやって部屋に入った?ロックは内側からかかっていたはずだ」田中が疑問を呈す。

「ループ映像が流れている間、犯人は何をしていたと思いますか?」

影山は、優人の目をまっすぐに見て言った。

「犯人は、堂々と部屋の中にいたんですよ」

ループが始まると同時に、犯人はマスターキーで部屋に入り、雨宮館長を殺害。そしてループが終わる前に部屋を出て、内側からロックをかける。これならば、ライブ映像に切り替わった時には、再び完璧な密室が完成している。

「だが、そんなことをすれば、入退室の記録が残るはずだ!」

「ええ。だからこそ、犯人は資料保管室の旧式PCから、管理者権限でシステムに侵入した。自分の入退室記録だけを、ピンポイントで消去するために」

優人は、ついに不敵な笑みを浮かべた。

「……あんた、面白いな。小説でも書いたらどうだ?」

「最後の謎です」と、影山は動じない。「どうやって毒を盛ったか。検視結果では、被害者の体に注射痕などの外傷は一切なかった。毒は、気化したものを吸引した可能性が高いとされています」

影山は、再び犯行現場の写真を取り出した。雨宮の座る椅子の隣にある、サイドテーブル。そこには、湯気の立つティーカップが置かれている。

「刑事さん、映像をもう一度、今度はループが始まる前と、ループ中、そしてループが終わった後で、このカップを比較してください」

モニターに映し出された映像。ループが始まる前、カップからはゆらゆらと湯気が立ち上っている。ループ中の5分間、湯気の形は不自然なまでに同じ動きを繰り返す。そして、ループが終わり、ライブ映像に切り替わった瞬間――カップから立ち上っていたはずの湯気が、完全に消えていた。

「犯行は、この5分間で行われた。そして、このティーカップこそが凶器です」

影山は断言した。

「犯人は、熱い紅茶が入ったカップの底に、ある物質を付着させた。それは、常温では固体ですが、熱せられると無味無臭の猛毒ガスを発生させる、特殊な昇華性毒物。紅茶の熱で気化した毒を、雨宮館長は何も知らずに吸い込み、眠るように死に至った。そして、紅茶が冷めると同時に、毒の気化も終わる。証拠は何も残らない」

観葉植物の葉に残された蛍光塗料の微粒子は、犯人が暗闇の中でカップに毒物を仕込む際、目印として使ったものだろう。

そこまで語ると、影山は優人をじっと見つめた。

「あなたほどの人間が、なぜあんな単純なミスを犯したんですか?匿名で佐伯さんの動画を警察に送るなんて。あれで、あなたの計画に余計なノイズが混じった」

その瞬間、優人の表情から、初めて余裕が消えた。

「……何のことだ?俺はメールなんて送ってない」

その言葉は、嘘には聞こえなかった。

優人が送っていない?では、一体誰が?

この事件には、まだ「もう一人」、すべてを知る人物がいるのか?

捜査本部がその新たな謎に揺れる中、一本の電話が入った。ジュリアン・コイデからだった。

「面白いことがわかったぜ、探偵さん。あんたに言われて、例のループ映像のオリジナルデータを探していたら、とんでもないものを見つけた。この映像、コピーされたものじゃなく、別の場所から『観測』されていたようだ。送信元のIPアドレスを特定した。今から送る」

影山のスマートフォンに、コイデから送られてきたIPアドレスと、位置情報を示す地図が表示された。

その場所は――ジュリアン・コイデ自身のアトリエの、隣の部屋だった。

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