第36話 ぶらり本栖湖散歩
水族館を出た俺とハナは菖蒲谷館長の車で本栖湖に向かった。
今日は例のモトスリュウの現場を研究者向けに解放する日らしく、俺も同行できることになっている。
例の竜脚類、モトスリュウ君はキャンプ場の奥に居着いているらしい。水場と樹海が近いという地形が理由だろうと館長は推測していた。
館長は調査団の一員なので、その助手という名目でYouTube撮影をしていいと言われている。
ただし条件として、ウミサソリをもう一度捕まえてこい、とのことだった。つまり、この見学はその対価というわけだ。
あれから調査団がウミサソリを捕獲しようとしても全然成果が出ていないらしい。
そこで、ウミサソリを釣り上げた実績を持つ沼津一のアンモナイト名人である俺に白羽の矢が立った、ということだ。
キャンプ場の入口を警備していた警官は俺の顔を見るなりギョッとし、慌てた様子で無線を入れたあと、館長と何やら話し込んでいた。
ひどい扱いだ。どうやら俺は警察から犯罪者予備軍か何かだと思われているらしい。
最終的に館長が粘ってくれたおかげで、押し問答の末10分ほどしてようやく通してもらえた。
管理棟から十分ほど歩いた先の少し開けた場所に、モトスリュウは普通にいた。
ちょうどタイミングが悪かったようで、首を地面に下ろして爆睡している。
その周囲を、研究者たちが何人も取り囲んで観察している光景はなかなか異様だ。
モトスリュウを見つけたハナはそわそわしている。
初めて遭遇した時、彼女は嬉しそうに背中に乗っていた。その記憶が蘇ったのかもしれない。
俺が巨大な体にカメラを向けてYouTubeの撮影を始めると、ハナは大慌てで恐竜の足元に駆け寄り、カメラの視界に入ろうとした。
だがリードがあるため届かず、ぴょんぴょん跳ねてアピールし始めた。顔だけ画角に入って可愛い。
うちの子はかわいい上に創意工夫ができる天才猫なのだ。
「じゃあ、館長。この恐竜の解説してください」
「いきなりですね……。モトスリュウは現在の分類だとティタノサウルス類に近い特徴を持っています。尾椎の形状に、その系統特有のパターンが見られるんですよ」
実は館長の解説は人気がある。
YouTubeのコメント欄にも「館長もっと出して!」という声が相当数ある。
俺は正直そこまで興味がないけど、ワイドショーのコメンテーターまでしている人物をタダ働きさせられるのは大変ありがたい。
今は俺が館長にカメラを向けているので、映りたがりのハナはコアラのように館長の体に抱きつき、カメラ目線でキメ顔をしている。
館長が撫でようとして威嚇されている。理不尽だが面白い。
「ティタノサウルス類は総じて温厚で、広い行動圏をのそのそ移動して生きていたと考えられています。モトスリュウも同じで、湖岸の植物を食べながら一定のルートを巡回しているようですね」
「はい、解説ありがとうございます」
恐竜が寝ているのであまり撮れ高はない。起きたら撮影を再開するとしよう。
湖の対岸には、場違いなくらい小綺麗な格好をした釣り人が何人か見える。
館長の話では、研究者たちがウミサソリを釣ろうと頑張っているらしい。
館長は「モトスリュウの糞を調査する」という謎の用事があるらしく、俺はそれに付き合いたくないのでハナを連れて対岸の釣り場へ移動することにした。
釣り場では、研究者たちが真剣な顔で釣竿を垂らしていた。揃いも揃って、都会的で清潔感ある格好をしている。釣りに慣れていないことが一目でわかる。
袖には遊漁券を買った時に渡されるシールを貼っているが、ウミサソリに漁業権ってかかっているんだろうか……。
せっかく湖に来たし、動画の撮れ高を作る為に釣りをしておくか。
ハナが見知らぬ人を苦手とするので、研究者かなり離れた場所で釣りを開始する。
20分ほど竿を垂らしていたが、まったく反応がない。
「うーん、なかなか釣れないなぁ」
「ニャッ!」
ハナは俺の膝の上で早く餌をくれと喚いている。
俺がスマホをいじり始めたのに業を煮やしたのか、湖へ飛び込んで直接魚を捕り始めた。
――が、今日は全然うまくいかないようだ。
何度も潜っては無手で水面に戻ってくる、を繰り返している。
ハナはそのうち目的を忘れたのか、自由に湖を泳ぎ始めた。水の冷たさにも慣れてきたのか、テンションが上がってきたらしい。なんか楽しそうだ。
そして定期的に湖畔に上がってきては、俺のズボンの裾を引っ張って一緒に泳ごうと誘ってくる。
……まだ三月なので、ここで泳いでいたらヤバいやつだと思われる。その誘いは丁重にお断りすることにした。
そんなやり取りをしていると、突然腹に響くような低い振動が突然湖面を伝ってきた。
地面がぐらりと揺れたのと同時に、ハナの耳がピンと立つ。
対岸でモトスリュウが起きて動き出したようだ。圧倒的な巨体が地面を踏みしめるたび、湖全体が震えている。すごい迫力だな。
驚いたのか、びしょ濡れのハナが跳ねるように俺の膝の上に乗ってきた。俺の顔を見上げてニャンニャン何かを伝えようとしている。かわいいけど、ズボンがびしょ濡れになるのでやめてほしい。
タオルで濡れた体を拭いてあげると、ハナは安心したように膝の上で丸まり、目を細めて気持ちよさそうにしている。
モトスリュウは湖岸沿いを自由気ままに歩いているようだ。足元の研究者たちはすでに退避しているのが唯一の救いだが、当の巨体は周囲の事情なんて一切気にしていない。のしのし進むたび、設置してあった器材が容赦なく踏み潰されていくのが見えた。
「こっちの対岸には来ないよな……? 昔読んだ恐竜図鑑には、泳ぐのが得意って書いてあった気がするけど……」
そんな独り言を言いながら湖面を見ていると、いつの間にか背後から足音が近づいていた。
「その説はもう否定されていますよ。一昔前までは竜脚類は水中に棲む恐竜として扱われていたのですが」
耳元から急に聞こえた声に、膝の上でウトウトしていたハナが文字通り飛び上がった。
振り返ると、すぐそばに菖蒲谷館長が立っていた。どうやら解説モードに入っているらしい。
「あの巨体を支える肺が、潜った時の水圧に耐えられないだろうと推測されているんですよ」
館長はいたずらっぽく笑いながらそう言う。はへー、化石研究って日進月歩なんだなぁ。
ヌマズサウルスも図鑑で見ていた姿とはずいぶん違っていたし、陸の覇者として描かれていたスピノサウルスも、琵琶湖で見た時はどう見ても水棲生物だった。
そんなことを考えていたら、足元でハナの威嚇する声が聞こえてきた。どうやら俺の膝から落ちたことでブチギレているらしい。
せっかく綺麗になった毛並みも、泥だらけに逆戻りだ。
ハナは驚かせた元凶である館長の足に飛びつき、抗議するように前足でテシテシと連打を浴びせている。
「痛いっ! やめてください!」
……あれ、地味に痛いんだよなぁ。軽くあざができるレベルだ。
ハナは筋肉ムキムキなので、一発一発のパンチが重い。個人的には大型犬とタイマンしても勝てるんじゃないかと思っている。
「ごめんなさい! 謝りますから! ミナトさんも止めてくださいよ!」
ハナは人見知りをする猫だ。知らない人には猫を被るくせに、ここまで殴りかかるのは、館長が完全に『知り合い認定』された証拠だろう。
うーん……ようやくハナも館長に慣れてきたみたいだ。飼い主としても嬉しい。
――と、そこまで考えたところで、少し離れた場所に固定してあった釣竿が揺れているのに気づいた。
ようやく念願のブラウントラウトが来たのかもしれない。
「ちょっと! 痛っ! ミナトくん助けて!」
困っている館長を背に、俺は釣竿へ走った。
だが、この当たりは……。ブラウントラウトではなかった。
独特の重い引き、ヌルヌルした手応え。水面に現れる前から何が釣れたのかは分かっていた。
釣れたのは――ウミサソリだった。
俺が針を外そうとした瞬間、湖畔の静寂を裂くように館長の叫びが響き渡る。
「ウミサソリ! ウミサソリですよ!」
その声に、周囲の研究者たちが一斉に駆けつけてくる。
知らない人が一気に押し寄せたので、ハナは耳を寝かせて後ずさりし、明らかに嫌がっている。
釣れたウミサソリの処理は
「ハナ、おいでー。背中の泥洗ってあげるね」
「ニャッ……!」
ハナは俺の膝に戻ってきて、まだ少し不満げに尾をパタパタしている。
館長が「簡単にハナちゃんを止められるなら早く止めてほしかった」と文句を言っていた。まぁ、ハナと仲良くなれたのだから良しとしてほしい。
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