第12話 伊豆道中猫栗毛

 俺はキャンプではゆっくりと寝るタイプだ。チェックアウトのギリギリの時間まで寝袋の温かさを楽しむのが俺の流儀だ。


「……に注意してください。近づかないでください」


 そんな俺の至福の時間は、テントの外から大音量で聞こえてくるスピーカーの音で遮られた。

 何事かと目を擦りながら起きる。亮太はすでに起きているみたいで、外でホットサンドメーカーを使って朝飯を作っていた。


「亮太、おはよう。この放送、何事……?」

「おはよう、ようやく起きたのか。早朝からずっとこの防災スピーカーが鳴ってたんだけど、よく爆睡できたなぁ」


 亮太の隣に座って食パンを焼きながら話を聞く。

 何やら、海で巨大な海洋生物が暴れているらしい。この防災スピーカーはそれに関する注意喚起だとか。

 昨日の夜の間に漁船が三隻も襲われて、そのうち一隻は転覆した。SNSに上がっているテレビニュースの転載動画を見せてもらった。漁師のインタビューが流れていた。


「巨大な生き物が船をめがけてぶつかってきた」

「死人が出なかったのが奇跡だ」

「転覆した船のまわりを、クジラより大きなサメがぐるぐる回っていた」

「人の背丈くらいある背ビレが海面から出ていた。それを見た瞬間、死を覚悟した」


 この証言は本当だろうか。俺の知識からすると信じがたい内容だ。

 駿河湾のサメの中ではホオジロザメが最大種だが、大きくなっても5メートル程度で、クジラより大きいとはとても言えないサイズだ。

 背ビレが人の身長? そんなにヒレが大きいってことは、全長は15メートルはあるんじゃないか? 現実味がない大きさだ。

 でも、実際に被害が出ている。クジラとの衝突事故は駿河湾でもたまに起きるが、三隻が一晩でというのは聞いたことがない。


 考え込んでいると、スキレットでウィンナーを焼き始めた亮太が話しかけてきた。


「なんだろうな、正体は。駿河湾の深海部には10メートルを超える巨大サメがいるって聞くけど、それかな」

「オンデンサメだろ。ウチの漁港でも一回水揚げされて大騒ぎになったことある。でもあいつらが海面に出てくるなんて聞いたことないし、そもそもめちゃくちゃノロマだぜ」


 巨大生物が船を襲ったと聞いて、ヌマズサウルスが駿河湾の入口にも現れたのかと一瞬よぎったが、

 キュイキュイ鳴いてるだけのあいつらに、そんな真似はできないだろう。あいつらは巨大な見た目のわりにかなり温厚だ。頭を撫でられても気にせず、餌をねだってくるくらいだし。


 防災スピーカーは、繰り返し海に出ないように呼びかけている。

 確かに海を見ても漁船の姿が全然見えない。この時間帯に船影がないのは不自然だ。


「船が出せないってのは非常に困った話だな……」


 ニュースを見ると、今のところは伊豆南部にある漁港に行政から操業自粛要請が出ているようだ。

 戸部漁港にも影響があるだろうか……? たぶん、あるよな。

 さっき見ていた映像に映っていたのは、トロール漁に使われる中型の漁船だ。

 戸部漁港では、もっと小型の船が何隻か協力し合って底引網漁をすることが多い。より影響は甚大だろう。


 もちろん、俺の釣り船はもっと小型の船だ。クジラくらいの大きさの生物がぶつかってきたらひとたまりもないだろうな。せっかく釣り船を手に入れたのに、しばらくは船を出せなくなるかも……。


 あれ、そういえば……。


「今日行く予定の海上釣り堀は、どうなってんの?」

「何も連絡は来ていないけど……船でアクセスするし、さすがにやってないんじゃないか?」


 がーんだな……出鼻をくじかれた。

 今日は一日、釣り三昧にしようと思っていたが、予定の見直しが必要そうだ。


 キャンプ場をチェックアウトする時に、受付のおばちゃんに近くの釣り場を聞いてみた。


「今日は海沿いに近づかないほうがいいと思うよ……」


 そう言うばかりで、釣り場の情報は教えてくれない。絶対に地元民だけが知っている穴場の堤防スポットとかあるはずなのに……。

 でも、実際インタビューを受けた漁師が語っていたように、クジラより大きくて気性の荒いサメが実在するとしたら、釣り人なんてひとたまりもないだろう。

 そんな事故が地元で起こってほしくないだろうし、教えたくない気持ちもわかる。


 駄目元で近くの釣り堀の受付に行ってみたが、きょうは行政の指導で営業中止だと聞かされた。どうしようかなぁ。


 困った俺たちは、コンビニの前でスマホの観光案内を眺めていた。

 おっ、ここいいじゃん。


「下田に、自然の入り江が丸ごと水族館になってるところがあるらしい! イルカショーすごいらしいぜ」

「でも絶対行政に営業中止させられてると思うんだよなぁ」

「確かに、そりゃそうだよな……入り江に巨大サメ来たら大惨事だ」


 次の行き先を二人で相談していると、俺のスマホに着信があった。母からの着信だった。


「ニュース見たけど、今日どうせ暇になったんでしょ。ハナの面倒見て」


 ハナの機嫌が悪すぎて相手をするのがとても辛いらしい。

 確かにハナからすると、突然三日間も知らない家に預けられたわけだしな。

 しかもその直後、いつも一緒に寝ている子分は自分を置いて釣りに出かけて帰ってこない。


 言葉にするとちょっと酷い事をしている気もする。確かにこんなに長くハナを放置したことはなかったな……。


 亮太と二人で相談して、俺がたまにソロキャンプをするのに愛用しているキャンプ場で予約を取り直すことにした。

 沼津市のお隣、伊豆の国市にあるペット同伴OKのキャンプ場だ。

 母は用事が終わった後に、ハナを連れてきてくれるらしい。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇


 俺たちの原付は、海沿いの道から分岐した道を通って山の中に入っていく。

 実は俺の家から、今回行くキャンプ場はかなり近い。山道を30分ほど走るだけで着くような身近なところだ。

 沼津中心部に行くより早いかもしれない。


 近いのも当然で、そもそも俺の家がある地域は旧国でいうと伊豆国いずのくにに所属していた。

 沼津が所属していた駿河国するがのくにではなく、である。

 平成の大合併で、伊豆国の駿河湾寄りの海岸部が文化的交流の深かった沼津市と合併した名残なんだよな。


 実はこれから行くキャンプ場を気に入っている理由がある。そこでは釣りがし放題なのだ。

 家の近くで海に流れ込む狩野川という一級河川があり、たまに釣りをしているが、これの上流は伊豆の国市にある。

 俺は狩野川の流域であればどこでも釣りができる年パスの遊漁券を持っている。このキャンプ場はついでに自由に釣れるのだ。


 狩野川は鮎の友釣り発祥の地と言われているほど、釣り人の人気が高い川だ。

 ただ、俺は鮎は狙わない。鮎釣りの道具は揃えようとすると高いんだよなぁ。アユ竿なんて30万くらいするし、アユの遊漁券もめちゃくちゃ高い。

 オイカワとかを釣る遊漁券なら年4000円くらいで買えるのに、アユを釣ろうとするとその数倍の値段がする。


 亮太は年パスを持っていないので、キャンプ場に行く前にその辺の釣具屋に寄って一日券を買ってもらった。渓流釣りの餌として練り餌も買っていく。


 まだ昼過ぎだけど、キャンプ場にチェックインしてテントの設営を完了した。母がハナを連れてくるまでには、もう少し時間がかかるようだ。


 ハナを待つあいだ、亮太としょうもない話をする。

 ここは「伊豆の国市」にあるキャンプ場だ。伊豆市というのも隣にあるのでとてもややこしい。

 もっとややこしいことに、伊豆半島の市町村名には大抵「伊豆」という単語が含まれている。


 伊豆市の西には西伊豆町、東には東伊豆町、南には南伊豆町、北には「伊豆の国市」があるってわけだな。

 ちなみに、伊東市っていう温泉で有名な観光地もあるが、この由来も「伊豆の東」というのが語源だ。

 どの市町村も、伊豆という地名を名乗りたい気持ちは伝わってくる。でも、誰か交通整理しなかったんだろうかという気もする。


 そんなしょうもないことを駄弁っていると、母の軽自動車がキャンプ場に入ってきた。

 俺たちのサイトの前に停まり、運転席のドアが開く。


「ハナちゃんが、寂しがってたわよ」


 後部座席からハナが飛び出してきた。周りを見渡し、俺を見つけると猛スピードで体当たりしてきた。


「キシャー!」


 あまりの勢いに尻餅をついてしまった。そんな俺に対して、猫パンチで追撃してくるハナ。

 確かに母がお手上げになるのも分かるレベルの不機嫌具合だ。ここまで機嫌が悪いのは滅多に見ない。


「じゃあ、帰るから。ハナをお願いね」


 ハナは母の車が去っていくのも気にせず、しばらく俺に怒りを向けていた。

 だが、しばらくすると甘えた声で餌をねだり始める。

 とりあえず、母が置いていったトロボッチを一匹あげるが、それだけでは満足しないようだ。


 ハナは俺が釣りしているのを見るのが好きだし、獲れた魚を奪うのが生きがいのようなところはある。

 テントの横に置いていた俺の釣り竿に抱きつきながら、こっちを見てくる。

 可愛いハナの頼みだ。仕方がないなぁ。釣りに行くか――久々の川釣りだ。

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