花が、咲く

冬埜ユキ

Sep.01.xxxx

無菌室で、今日も少女は笑っていた。

鉄の壁と床。簡易ベッドに、小さな木の椅子。

殺風景な部屋の中で、肩に咲いた白い花を撫でながら、

彼女は「今日もいい天気ね」と呟いた。

当然だが、この部屋に窓はない。

それでも彼女は、まるで本当に陽光が差し込んでいるかのように目を細める。


彼女の身体には、無数の花が咲いている。

肩・腕・喉元・膝。花の種類は部位によって様々だ。

黄色のカレンデュラ、白いペンタス、

真っ赤なダリア、青すぎるネモフィラ……。

そのすべてが、彼女の細胞が変化して生まれたものだった。


開花ウイルスは、近年発見された未知のウイルスだ。

感染すると、体に徐々に植物組織が現れ、

やがて意識を残したまま、全身が花へと置き換わっていく――。

初期は接触感染が疑われたが、その症例の希少さゆえに感染経路も進行過程も未だに解明されていない。

身体に花が咲くこの症状は【Bloom Syndromeブロッサム・シンドローム】 通称:BSと呼ばれていた。


彼女はウイルスの感染者で身体中に花を咲かせている重度の症例であり、生きている患者だ。

殆どの細胞が植物組織に変わっているはずだが、人間の身体を維持し続けている。

──“人のかたちをした最後の花”とも呼ぶべき存在かもしれない。

研究機関は彼女を地下深くにある研究施設へと移送した後、この無菌室に収容した。

それでも彼女は、変わらずにいつも微笑んでいる。


俺は少女を観察し、報告する立場にある研究員だ。

分厚いガラス越しから定期的にデータを取り、彼女の発話と生体反応を記録し、

上層部に内容を報する。それが、ここにやってきてからの俺の仕事だった。

彼女はよく話しかけてきたが、一度も言葉を返したことがない。

【対象の質問に、決して答えてはならない】

ここで仕事を任された時、そう指示された。理由は知らされていない。

観察対象に情を持たせないため……おそらく、そんな理由だろう。


そんなある日、俺はいつものように仕事をしていた。

いつもは花と話しをしていて俺など見向きもしない彼女が、今日に限ってじっと俺を見つめていた。

その行動を疑問に思いながらも記録端末を使ってデータを取る。

彼女はふいに俺に訪ねた。


「ねぇ、あなたはお花が好き?」


記録用端末を操作する手が止まる。

俺は何も答えない。

無言のまま、ログを保存するだけだった。

けれど、その質問についてふと考えてしまう。


“花は綺麗だと思うし、嫌いじゃない”


気まぐれな感想のようなものだった。

規則を破ったつもりも、答えたつもりもない。

ただログを保存し、次の項目に進めた。


少女はこちらの沈黙に満足したように微笑んでいた。

いつも上機嫌なのだから今日もそうなのだろう。


作業を続けていると、彼女はいつものように自身の花に話しかけていた。

俺は報告をまとめ、記録端末の送信ボタンを押す。

送信が完了した通知を見て、深いため息をついた。

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