第九話:檻の中の最低限(語り手:ケンジ)
僕の日常は、常に汚泥と鉄の錆の匂いが付きまとう。
2050年。僕は兄のユウキとは対照的に、まだ生きていた。ユウキは数年前に静かに団地で亡くなった。彼が選んだ**「静かな消滅」**は、僕たち低スキル労働者層の運命のひな形になった。
僕たちの仕事は「インフラ補助」。特区の外縁、AIが効率が悪すぎて手を出さない古い地下配管や、複雑に絡み合った電力線の点検だ。光の中のアスカさんたちが安全で豊かな生活を続けるため、僕たちは泥まみれの裏側を支えている。
僕たちの給与は、AIによって厳格に管理されている。それが**「生存最低限度」**。家賃、食料、そして最低限の医療サービスに充てられる額だけが、デジタルウォレットに振り込まれる。それ以上も、それ以下もない。
僕は時々、考える。なぜ僕たちは、ユウキたちの世代のように**「消滅すること」**を選べないのだろうか。
答えは、僕たちが**「社会の道具」として必要とされているからだ。富裕層は僕たちを嫌悪しているだろうが、まだAIが完全に代替できない非効率で予測不能な手作業**が、僕たちの命綱になっている。僕たちがいなくなれば、都市のインフラ維持に莫大なコストがかかるか、機能が停止してしまう。
僕たちの生活は無気力と監視で成り立っている。
僕らのコミュニティは完全に沈黙している。怒りや不満を口にしても意味がない。AIの管理モジュールは、僕たちの行動パターン、購買履歴、そしてわずかなコミュニティの繋がりさえも監視している。僕たちが混乱を起こす予兆を見せれば、すぐに最低限の生活物資の配給が絞られる。
僕たちは政治的な声を完全に失った。投票に行くのは馬鹿げている。僕たちの生活は、投票箱ではなく、**AIが実行する「効率の論理」**によって決定されているのだから。
僕の弟、コウは、特区の地下にあるデータセンターで働いている。彼は僕よりもマシな場所にいるが、立場は変わらない。データセンターで富裕層の子どもたちに**「道具」**と見下されて帰ってきた日のことを、僕は覚えている。
「道具でいる限りは、壊れるまで捨てられない」—僕がコウに言った言葉だ。それは、僕たち低スキル層にとっての、冷たい現実であり、唯一の生存哲学だった。
僕たちは、富裕層が求める**「混乱なき安定」を維持するために存在する。僕たちの「管理された貧困」こそが、彼らの「排他的な豊かさ」**の土台なのだ。
夜、僕は一人で、特区の方向を眺める。光の中には、ユウキの幼なじみのアスカさんがいる。彼女は僕たちの世界を「設計」した一人だ。
僕たちが消滅することを選べないのは、社会が、僕たちを「貧しいまま、生かし続ける」ことを選択したからだ。僕たちのこの状態は、永遠に続く**「檻の中の最低限」**。悲鳴も上げない、静かな貧困の地獄だ。
【次の語り手:コウ(AI補助オペレーター)】
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