男と龍神様
sunflower
第1話
この時期には珍しく、湿気を纏った風に冷たさを感じた。昼間だと言うのに、辺りはまるで薄明のようだ。
一滴の雨が男の腕に当たると、堰を切ったように大量の雨粒が落ちてくる。
男は、あぜ道から延びる一本の道をひた走った。
草が生い茂る水田の中心に浮かぶ、大きな楠の島に向かう道。
両側に植えられた木々が多少雨脚を和らげるも、男の両肩を容赦なく濡らしていく。
男は鳥居を潜り、慣れた身のこなしで境内に上がり込む。
「懐かしいなぁ」
境内の中央に鎮座する黒曜石で出来た大岩。
その岩に、長年訪れていない実家を見るような目つきで語り掛ける。
「また来たのか」
大岩は、親戚の子供が訪れた時の、喜びと懐かしさを含みつつ、どことなく愛情に距離を感じる声色で答えた。
「最後に来てからもう4年も経っているのにまた来たとか」
「前は失恋だったか…その前は、受験の失敗で、その前は……傘を壊しただったか…次は何だ?」
大岩はぶっきらぼうに聞いてくる。
「傘を…忘れて…」
男は鞄の奥底にある、濡れた折り畳み傘を握りしめながら答える。
「ザリガニ釣りをしていた時と同じだな。あの時も傘を持っていなかった」
「そうそう、あの時は助かったよ」
ザリガニ釣りの記憶は無かったのだが、この大岩…龍神様の記憶を否定する気にはなれない。それがどんな思い違いであろうとも。
雨脚はどんどん強くなり、瓦の隙間から雨粒は入り込み梁をつたい龍神様に雫を落とした。
「雨に打たれると数日は降り続くんだっけ?」
「そうだな、あれは嘘だ」
「そうなの?それで雨風を妨げる社が出来たのに?」
カッカッカッ
龍神様は喜色満面の声色で笑う。
数日後にはここは湖底になる。
他の神社仏閣は小高い丘に移設されたのだが、この小さな社は誰の管理下にもなく、ただそのまま沈むのだ。
「水脈が枯れたのだ。だからここから動く事もできん」
「柄杓一杯の水で雨を降らすから、そりゃあ枯れるよ」
「お人好しじゃろ?」
「人…神様じゃん」
そう言うと、二人は笑いあった。それが合図だったのか、空から明かりが差し込み、雨は勢いを失いつつある。
「良い人生を歩んでそうで何よりだ」
その一言を最後に龍神様はただの黒曜石に戻り、男に語り掛ける事はもうなかった。
数日後、社はダムの底に沈んだ。
その幾日か後、早朝に社のあったであろう場所から真っ黒い大きな龍が天に昇るのを住人の数名が発見したと聞いている。
それを見た村人は、その姿を愛おしそうに見送るだけだったそうだ。
男と龍神様 sunflower @potofu-is-sunflower
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