第34話 復讐の帰還と聖典の禁忌

 リリアンの宮殿。セレネは、ゾルグから受けた指令をアキトに伝えた。


「ゾルグ様の指令よ、アキト。あなたの復讐の対象である人間たちから、『闇の供物』を集めてもらう。これは、ゾルグ様が魔力を戻すための糧になる。あなたの復讐が、そのままゾルグ様の力になるってこと」


 アキトはゾルグのナイフを腰に収め、冷たい目でセレネを見た。「わかった」


「準備はできている」セレネは、アキトの左手の紋様が放つ安定した魔力に満足感を覚えた。「あなたには人間界に戻ってもらう。そこであなたを虐げた者たちに復讐をするの、どう、いかにも悪魔的でしょう?」


 セレネは再び転移魔術の詠唱を始めた。今回の転移先は、人間界。アキトにとって、憎悪の対象が待つ**『復讐の舞台』**である。


「アキト。忘れないで。あなたの力は、ゾルグ様のもの。決して、余計なことは考えないで」セレネは釘を刺した。


 アキトは鼻で笑った。「知っているさ。僕の目的が果たされる限り、誰の管理下にあろうと構わない。さあ、行こう。奴らに、最高の道具の力を見せてやる」


 漆黒の転移門が再び開き、アキトとセレネは人間界の闇の中へと消えていった。彼らの背後で、ゾルグは静かに笑みを浮かべていた。


 *


 一方、魔界の深部にある『聖域の残骸』。


 ミカエラは、石造りの祭壇にもたれかかり、呼吸を整えていた。周囲に漂う微かな神聖な力が、彼女の深く傷ついた身体と、魔界の瘴気によって穢されかけた魂を癒やし始めている。


「アキト……」ミカエラは、アキトの最後の冷たい視線を思い出し、胸を締め付けられた。


(わたしが彼の魂を救うには、彼の憎悪の根源を断ち切るしかない。しかし、今のわたしでは、定着した悪魔の力を打ち破ることはできない……)


 ミカエラは意を決し、傍らにあった天使の石像の掌から、古びた『失われた聖典』を手に取った。純白の羊皮紙は、悪魔の魔術に関する詳細な解析と、それに対抗するための天使の禁忌とも言える術式が記されていた。


 彼女の天使としての本能は、この書物に触れることを拒否した。これは、「悪魔の知恵」であり、天使が扱うべきものではない。


「ですが、神よ……わたしは、正義のため、愛する人間を救うため、この禁忌を犯します」


 ミカエラは、ページを開いた。書物には、悪魔の力に対抗するための『逆転の魂縛(アンチ・ソウル・バインド)』の術式が記されていた。それは、術者の魂の一部を犠牲にし、対象の魂に深く食い込んだ契約を強制的に解除する、危険な術だった。


 ミカエラは、その術式を理解するために、聖典に没頭した。彼女の身体は癒やされつつあったが、精神は、悪魔の知識に触れることによって、激しく摩耗していく。


(この術を使うには、わたし自身の神聖な力を、一度『無』に還元し、悪魔の契約を模倣する回路を構築する必要がある……。成功すればアキトを救えるが、失敗すれば、わたし自身の魂が悪魔の契約に囚われる可能性がある)


「神よ、わたしは、アキトの魂を救い、そして必ず救い出します」


 彼女は、聖典を閉じ、立ち上がった。銀色の鎧は砕けたままだが、その瞳には、かつてないほどの強い意志と覚悟が宿っていた。


「わたしは、アキトを救うため、墜天します」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る