第24話 血の城塞、暴走する憎悪

 ゾルグから次の標的である『憤怒のサタナイル』の居場所を聞き、アキトとセレネは『血の城塞』へと向かった。


「セレネ、足はもう大丈夫なの」道中、アキトが尋ねる。


「ええ、いざとなれば転移術も使えるわ」セレネは自分の足を見つめたまま答えた。


 いざ、なんてことにはならない。とアキトは心の中で思っていた。自分には悪魔の力が流れている。もう弱かったときの自分ではない。


 *


「サタナイルの『血の城塞』は、魔界でも最も暴力的な領域よ」目的地に近づいたセレネは辺りを見回した。「周囲の魔力そのものが、『憤怒』の感情を増幅させる。あなたの『憎悪』と悪魔の力が、どう作用するかは予測不能だわ」


 アキトの左手の甲の黒い筋は、すでに微かに赤黒い光を放ち始めていた。彼は強烈な頭痛と共に、周囲の悪魔や魔物の持つ、細かな『怒り』の波動を以前より何倍も強く感じ取っていた。


(すべてが、うるさい。ささいな不満や苛立ちが、僕の異能を通して巨大な炎のように燃え上がって見える)


「セレネ、ここからは僕の指示に従え。この城塞全体が、僕の異能にとって毒だ」アキトは言い放った。彼の声には、すでに苛立ちのトーンが混じっていた。


 城塞の内部は、赤い石造りの通路が血の匂いと共に続いていた。アキトは慎重に進むべき通路を選び出すが、セレネの予測とは異なる方向ばかりを選んでいた。


「待って、アキト、そちらは行き止まりのはずよ」セレネが声を張り上げた。


「違う!」アキトは振り返らず、強い口調で反論した。「行き止まりじゃない。ただ、強い『憤怒』の感情がその通路を覆っているだけだ。サタナイルは、侵入者の『憤怒』を煽り、無益な戦闘をさせるのが目的なんだ。どうして悪魔の君がそんな簡単なこともわからないの」


 アキトの言葉の直後、通路の先にいたのは城塞の番人である下級悪魔たちだった。彼らはアキトたちを見るや、雄叫びを上げて襲いかかってきた。


「無益な戦闘?」セレネは鼻で笑った。「私は道具として、任務の障害を排除するだけよ」


 セレネは一瞬で魔力を集中させると、複数の黒い魔力の鎖を放った。鎖は下級悪魔たちに巻きつき、次の瞬間、彼らの肉体を一瞬で引き裂いた。血しぶきが通路を染める。


 アキトは、悪魔たちを瞬殺したセレネの冷徹な戦闘能力を横目に、彼らを無視して脇の隠し通路へと進んだ。


 しかし、城塞の深部へ進むにつれて、アキトの抑制が効かなくなってきた。周囲の『憤怒の波動』が、彼の心に根付く過去の『憎悪』を猛烈に増幅させ始めたのだ。


(いじめっ子たちの笑い声……! 彼らが僕を殴った時の『快感』が、この城塞の壁から響いてくる! 殺せ! すべての悪意を殺せ!)


 アキトの視界が赤く染まった。左手の甲の悪魔の力が、もはや異能の増幅というレベルを超え、アキトの肉体と精神を悪魔的な興奮へと突き動かし始めた。


「セレネ! 退がれ!」アキトは叫んだ。彼の内側に渦巻く憎悪のエネルギーが、外に向かって噴出する寸前だった。


 その時、通路の突き当たりに、巨大な鎧を纏った悪魔が姿を現した。これこそが『憤怒のサタナイル』だ。彼は何も言わず、巨大な戦斧を構えた。


 サタナイルの登場は、アキトの憎悪を爆発させるトリガーとなった。


「お前も、僕たちを道具として利用するのか!」アキトは錯乱し、目の前のサタナイルを、ゾルグやいじめっ子たちの集合体として認識した。


 アキトはゾルグのナイフを抜き、凄まじい速度でサタナイルに突進した。彼の動きは、以前の比ではない。それは、純粋な憎悪だけによって加速された、暴力の奔流だった。


 セレネは、アキトの異常な変化に戦慄した。アキトの周囲の魔力は、グレイやイシュタールのそれとは異質な、破壊的な『憎悪』のオーラを纏っていた。


「待ちなさい、アキト! 」セレネは叫んだが、アキトの耳には届かない。


 アキトとサタナイルが激突した。ナイフと戦斧が火花を散らす。サタナイルは、アキトの異常な力に驚きながらも、彼の憎悪を餌に取るように戦い続けた。


 セレネは、アキトの左手の甲の黒い筋が悪魔の魔力で脈打っているのを見た。


(いけない、このままではアキトはただの『制御不能な怪物』になってしまう!)


 セレネは即座に決断した。彼女は『道具』としての任務、すなわち「アキトの生還」を優先し、全力で魔力を集中させた。


 サタナイルの戦斧がアキトを打ちのめし、アキトが壁に叩きつけられた。アキトは立ち上がるたびに、より強く、より怒り狂っていく。


 セレネは、アキトを救うには、城塞の『憤怒の波動』から引き剥がすしかないと判断した。


「アキト!」セレネは叫び、アキトに向かって手を伸ばした。「転移よ! 今すぐ、ここを離れるの!」


 アキトはセレネの言葉にも反応せず、サタナイルに再び向かっていった。彼の意識は、完全に憎悪に飲み込まれていた。


 セレネは、自身の任務とプライドを捨て、共犯者としての行動に出た。彼女は魔力を集中し、サタナイルとアキトの間に飛び込んだ。


「あなた、わたしを守るって言ったじゃない!」セレネは、アキトの左手の甲の傷跡に、自らの魔力を無理やり注ぎ込んだ。


 激しい魔力の衝突が発生し、セレネの体が吹き飛ばされる。しかし、彼女の魔力が一瞬、アキトの悪魔の力と共鳴した。


 セレネは、意識を失う寸前に転移魔術を発動させた。激しい光と空間の歪みが、憤怒の地を飲み込んだ。

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