第1話:三つ巴の契約と強制転移
漆黒の悪魔ゾルグと、純白の天使ミカエラが対峙する。凄まじい威圧感が教室に満ち、アキトは呼吸すら忘れた。
ゾルグは冷たい怒りを、眼前の天使ではなく、不完全な儀式を行ったアキトに向けていた。
「貴様が私をこの世界に繋ぎ止めたせいで、私は魔王様の使い魔になるための争いにすら参入できなくなった!」ゾルグの彫刻のような美貌が、憎悪で歪む。「貴様など即座に塵にしてやるところだ」
「穢れた悪魔よ」ミカエラは静かに、しかし断固とした口調で言った。「それがお前の罪だ。私は天の命に従い、魔王を狙う者と、その魂を汚すお前を、この世界から排除する」
アキトの心臓が激しく脈打つ。まさか本当に儀式が成功するなんておもってもいなかった。しかし、彼の頭にあったのはただ一つ。
「だ、だから、契約を……!」アキトは震える声でゾルグに懇願した。「ゾルグさんの力がいるんです。僕の報復の願いを叶えるために!」
ゾルグは鼻で笑った。「報復だと? 貴様の矮小な動機など知るか。待っていろ、目障りな天使を始末したら、つぎは貴様だ」
ミカエラは躊躇しなかった。その背の純白の翼が光を放ち、浄化の炎がゾルグめがけて放たれる。
ゾルグは瞬時に反応した。強大な魔力を放出させ、黒い結界で浄化の炎を迎え撃つ。ドォン!という爆音とともに、教室の壁が吹き飛んだ。
「この次元では、聖なる力が厄介だな」
ゾルグは圧倒的な魔力を持つが、この人間界の法則と、ミカエラの純粋な光の力の相性が極めて悪い。彼は力で押し勝てるが、その度にこの次元の境界が揺らぎ、無益な事態を招くことを理解していた。
ミカエラは優勢を崩さない。「魔界の力が弱いこの世界では、貴様が全力を出すことはできない。素直に天罰を受けなさい」
ゾルグは一瞬にして状況を分析した。ここでミカエラと消耗戦をすれば、無駄に魔力を消費し、儀式で不安定になった次元を崩壊させてしまう。それでは、魔界への帰還という最終目的が達成できない。
彼の彫刻のような顔に、冷酷な合理性が浮かんだ。
ゾルグが次の行動を起こす寸前、アキトが動いた。
「やめろぉおおおっ!」
アキトは、二人の間に、無謀にも飛び出した。
「ゾルグさんを倒したら、僕の報復の願いはどうなる!? まだ、あいつらを罰していないのに!」
ミカエラが放とうとした次の浄化の光が、寸前で止まる。彼女の使命は「ゾルグの排除」だが、「人間アキトの救済」も含まれている。アキトを傷つけることは本意ではない。
「アキト!」ミカエラの声が揺れる。「どきなさい! その悪魔はあなたを利用しているだけだ。私はあなたを救うためにここにいる!」
「うるさい!」アキトは叫んだ。彼はもう、ミカエラの言葉を信じられない。救済という名の、一方的な支配にしか聞こえない。
「僕を助けてくれるのは、ゾルグさんだけだ! 僕は何度も神様に祈った。でも助けてくれなかった。報復を叶えてくれるのは、ゾルグさんだけだ!」
ゾルグは、背中を向けているアキトの姿を一瞬、冷徹に見つめた。そして、その唇に、邪悪な笑みが浮かんだ。
――これこそ、最も合理的で、最も卑劣な一手。
ゾルグは、アキトの背中を掴み、その首に硬い腕を回した。
「動くな、天使。この人間は私の人質だ」
ミカエラの顔から色が消えた。「卑劣な! そのような手段を使うのか!」
「私は外道だからな。利用できるものは全て利用する。貴様は、この純粋な魂とやらに執着している。この首をへし折っても構わぬぞ」
現場は膠着した。ゾルグはアキトを盾に、ミカエラの動きを封じた。アキトは恐怖で呼吸ができない。ゾルグの腕は、彼の首を容易く折れるだろう。
その時、教室の空間全体が、ガラスのように軋み始めた。
キィン……ゴオオオオッ!
アキトが儀式で人間界と魔界の境界線を無理やりこじ開け、さらにゾルグとミカエラの強大な力が衝突した影響が、ここにきて噴出したのだ。教室の壁、床、天井のすべてが、赤黒い光を帯びて揺らぎ、次元の境界線が溶け出し始めた。
「くそっ、このままでは不測の場所へ飛ばされる!」ゾルグの声に苛立ちが滲む。
魔界の瘴気と、人間界の物質がぶつかり合い、空間は巨大な渦へと変貌していく。
「天使! 貴様は目的を果たせず、私は不純な転移を強いられる! 全てはこの人間(アキト)の愚かな儀式のせいだ!」ゾルグが叫ぶ。
ミカエラもまた、状況の異常さに気づいた。
次の瞬間、教室全体が巨大な黒い顎のように開いた。
アキト、ゾルグ、そしてミカエラは、抗う間もなく、魔界へと続く、制御不能の次元の渦に、まとめて呑み込まれていった。
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