第2話:人生のゲームオーバー

(終わった……なにもかも)


俺はリビングの床に座り込んだまま、ただ虚空を見つめていた。

ミサキを失った。

信じていた未来を失った。

生きる意味すら、失ってしまった。


冷たいフローリングの感触だけが、俺がまだここにいることを伝えてくる。

暗いリビングの中で、唯一、色を持つものが目に入った。


つけっぱなしにしていた、パソコンのモニター。

そこに映し出されているのは、見慣れたゲームのタイトル画面。


『アークス・エンデ』


それは、俺が現実から逃避するための、ただの遊びだったはずだ。

だが、その青く輝くロゴだけが、今の俺にとっての唯一の光のように見えた。

まるで、俺を誘っているかのように――。


「……ははっ」


乾いた笑いが漏れる。

何が光だよ。

こんなものに救いを求めてる時点で、俺の人生はもう終わってんだ。

ミサキの言う通りだ。

俺は、甲斐性のないクズ野郎。

だから裏切られた。

全部、俺が悪い。


(もう……どうでもいいや)


立ち上がる気力もない。

このままここで、夜が明けるのを待つだけ。

いや、もう一生、夜が明けなくたっていい。


ズキッ!


また、頭痛がする。

熱も上がってきたみたいだ。

体も心も、もうボロボロだった。


ぼーっとする頭で、俺はモニターを眺め続ける。

『アークス・エンデ』のロゴが、ゆらゆらと揺れているように見えた。

何度もクリアしたゲーム。

全ての隠し要素、全ての最強装備、全てのストーリーを知り尽くしている。

俺が唯一、胸を張れることなんてそれくらいだ。

情けないにもほどがある。


ブゥン……。


不意に、パソコンのファンが唸りを上げた。

今まで聞いたこともないような、低い駆動音。


「……なんだ?」


モニターの光が、不規則に明滅を始める。

チカ、チカ、と。まるでホラー映画のワンシーンだ。

(いよいよ壊れたか……)

このオンボロPCも、俺の人生と同じでゲームオーバーってことか。


その時だった。


バチッ!!


モニターが、閃光と呼ぶにはあまりに強烈な光を放った。


「うおっ!?」


思わず顔を腕で覆う。

網膜に焼き付くほどの白い光。

部屋全体が真昼のように照らし出された。


なんだ、なんだよ一体……!

漏電か? 火事か?


恐る恐る腕の隙間からモニターを見る。

光は収まっていた。

だが、『アークス・エンデ』のタイトルロゴが、不気味にうごめいている。

まるで水面のように波打ち、その中心がゆっくりと黒く染まっていく。


(……なんだ、これ)


ドクン、ドクン、と心臓が嫌な音を立てる。

頭痛とは違う。

本能的な恐怖が、俺の全身を支配していた。


黒い染みは、徐々に円形の渦となり、モニターのフレームを無視して広がっていく。

それはまるで、画面の向こう側とこちら側を繋ぐ「穴」のようだった。


ギギギ……。


その穴から、何かが這い出てくる。

緑色で、皺くちゃの汚い指が、モニターの縁を掴んだ。

続いて、もう片方の手。

そして、醜悪な顔がぬるり、と現れる。


「ひっ……!?」


声にならない悲鳴が喉から漏れた。

幻覚じゃない。

熱のせいでもない。

目の前で、現実離れした光景が繰り広げられている。


そいつは、モニターの中から完全に半身を乗り出すと、床にべちゃり、と落ちた。

生臭い、ヘドロのような悪臭が鼻をつく。


体長は1メートルもないだろうか。

子供くらいの大きさだ。

だが、その姿は到底、人間のものではなかった。

緑色の醜い肌。

長く尖った耳と鼻。

そして、爛々と輝く黄色い瞳が、明確な殺意を込めて俺を捉えていた。


(嘘だろ……なんで……)


震えが止まらない。

足が竦んで、動けない。


知ってる。

俺はこいつを知っている。

『アークス・エンデ』で、プレイヤーが最初に戦うことになる最弱モンスター。


(ゴブリン……!)


ゲームの中の存在が、なんでここにいるんだよ!

ありえない。

こんなこと、あるはずがない!


ゴブリンは、よだれを垂らしながら口元を歪める。

その手には、錆びついた短剣が握られていた。

ゲームで見た、初期装備そのものだ。


「キシャァァァ……!」


甲高い鳴き声と共に、ゴブリンが俺に向かって駆け出した。

短い足で、しかし驚くべき速さで距離を詰めてくる。


(死ぬ……!)


頭が真っ白になる。

なすすべがない。

俺はただのフリーターだ。

武器なんて持っていない。

戦う術なんて、あるわけがない。


(こんな死に方かよ……俺の人生……)


ミサキに裏切られて、絶望して。

最後は、ゲームのザコキャラに殺されるのか。

笑える。

あまりにも、俺らしい惨めな最期じゃないか。


ゴブリンが目の前まで迫り、錆びた短剣を振りかぶる。

その切っ先が、俺の喉元を狙っていた。


もう、どうにでもなれ――。


俺が死を覚悟し、固く目を瞑った、その瞬間。


ブォォォォン!!!


再び、モニターが凄まじい光と音を放った。

今度は光じゃない。

闇だ。

先ほどゴブリンが出てきた穴が、部屋全体を呑み込むかのように急速に拡大していく。


「――グッ!?」


ゴブリンの刃が俺に届く寸前、その動きがピタリと止まった。

いや、違う。

ゴブリンじゃない。


(俺が……引っ張られてる……!?)


強烈な吸引力。

掃除機に吸われる埃のように、俺の体がモニターの方へと引きずられていく。

ゴブリンが驚いたようにこちらを見ている。

その醜悪な顔が、どんどん遠ざかっていく。


「な、なんだよこれぇっ……!」


抗えない。

体が宙に浮き、なすすべもなく闇の中へと吸い込まれていく。

ぐにゃり、と視界が歪む。

部屋の景色が、まるで絵の具のように混ざり合って、意味のない色の羅列に変わる。


浮遊感。

落下感。

回転する感覚。


あらゆる方向感覚が狂い、脳が悲鳴を上げる。

膨大な情報が、無理やり頭の中に流れ込んでくるような激痛。


(ああ……もう……わけわかんねぇ……)


ミサキの顔が、タカシの顔が、そしてゴブリンの顔が、走馬灯のように脳裏をよぎる。

俺の、空っぽな人生の最期。


意識が、急速に遠のいていく。


そして――。


俺の世界は、完全に暗転した。



――――――――――――――――――――

★★あとがき★★


お読みいただき、ありがとうございます。

NTRからのゴブリン……主人公、踏んだり蹴ったりですね(笑)


ですが、お待たせしました。ここからが本当の始まりです!

ようやく異世界転生パート、スタート!


最強への道はまだまだ長いですが、ここからの成り上がりをぜひ見守ってやってください。


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