10章「happy ending!」カラスー黒い声で、叫びたいからー
10章「happy ending!」カラス
ー黒い声で、叫びたいからー
私は、SNSで「カラス」と名乗っていた。
ただ、この白いものが善と簡単に肯定される世界を、真実の黒い文字で、埋め尽くしたかったからだ。
でも、そもそも真実とは何か?
虚言という名の、多層のレイヤーの下で、真実は息さえできないでいるのではないか?
自分の深層心理の、奥深くまでダイブして、真実を探り当てること……そのことには、痛みが伴う。でも、そのことこそ、真実を掘り当てる唯一の道なのではないか?
自分自身の傷から目を背けず、傷を抉ることこそ、本当の治癒の道なのではないか?私は、そう思って生きてきたし、これからも、私は、私の現実と目を背けずに生きていきたい。
イチが、駅のホームから落ち、電車に轢かれたあの日。
私は、逃げるようにその場から去った。その後、どうやって部屋に戻ったのか、記憶が断片的で曖昧だ。
覚えているのは、駅のホームに立っていたこと。白い服を着た私の隣に、悪臭を放つイチがいたこと。スマホの画面を見せたこと。
そして、イチが落ちていく姿。
電車が来る音。それだけだった。
気づいたとき、私は部屋のラグの上で横たわっていた。ツバメに擬態した白い服のまま。今が何日で何時なのかもわからない。
体を起こそうとすると、手が震えた。止まらない震えだった。心臓が不規則に打っている。速すぎるのか、遅すぎるのかもわからない。ただ、胸の奥が痛かった。
眠ろうとするたびに、あのシーンが脳内で反芻される。イチがホームの端に立っている。私がスマホの画面を見せる。「助けて」と叫ぶ私の声。人々が駆け寄ってくる。そして、イチが落ちる。何度も、何度も、繰り返される。まぶたを閉じるたびに、同じシーンが再生される。眠ることができない。
私が会いに行ったから?
私がスマホを見せたから?
私が声を上げたから?
いや、違う。私は何も悪くない。イチは、正義を振りかざす群衆に囲まれて、勝手に死んでいった。私は、ただそこにいただけだ。
そう自分に言い聞かせても、手の震えは止まらなかった。
やがて喉の渇きを感じた。這うようにして台所へ行き、コップに水を注いだ。両手で持たなければ、震えでこぼれてしまう。
一口水を飲んだ瞬間、吐き気が込み上げてきた。洗面所に駆け込み、水と胃液を吐き出した。何度も何度も、体が痙攣するように吐き続けた。
鏡に映った自分の顔は、見たことのない色をしていた。青白く、目の下には黒い隈ができていた。白い服は皺だらけで、袖口が汚れていた。
体から、いつもとは違う匂いがした。イチの部屋から漂っていたあの悪臭が、私の体にも染み付いているような気がした。
「私は、汚れてしまった」
イチが、体中にへばりついている。服を脱いで、シャワーを浴びた。でも、汚れが落ちない。どれだけ洗っても、イチの匂いが消えない気がした。
シャワーから出て、黒い服に着替えた。
白い服は、ゴミ袋に詰め込んだ。二度と見たくなかった。
ラグの上に戻り、また横たわった。天井を見つめながら、何も考えないようにした。でも、脳は勝手に動き続ける。
ツバメに連絡しなくては。
そう思った瞬間、体が硬直した。スマホを手に取ることができなかった。
それから、幾日も経った。
カラスは、震える手でスマホを掴んだ。イチが死んでから、もう10日が経っていた。
ツバメの声を聞きたかった。彼女の優しい言葉だけが、この胸の痛み—あの日の悪臭と残像—を洗い流してくれると信じていた。心の灯火を、もう一度灯してほしかった。
私は、memoアプリを開いた。
でも、memoアプリを開くと、「ツバメ」のアカウントは跡形もなく消えていた。
私は、途方に暮れた。
きっと、ツバメはイチの死にショックを受けて、アカウントを削除したのかもしれない。
ツバメは守られるべき、かわいい存在なのだから。
カラスの脳裏に、ツバメが言ったあの言葉が反芻された。
「カラスさんは悪いことができる人じゃない。カラスさんの言葉を読んでいればわかりますから」
あの言葉は、私の真実を、私の孤独を、見抜いていた。ツバメは、あの言葉をくれた唯一の存在だった。そのツバメが、理由もなく姿を消すはずがない。
ツバメは、私を「友だち」だと呼んでくれた。その言葉だけが、この10日間の悪夢の中で、私が唯一信じられる絶対的な真実だったのだ。
私は、イチを葬るという「役目」を果たした。次は、ツバメという名の「真実」を取り戻す番だ。
彼女の笑顔と声こそが、私という存在の「汚れない証明」なのだから。
そして、カラスは思い出したのだ。
ツバメとtalkで話したとき、ツバメが私に、自分の個人情報を明かしたあの瞬間を。
「友だちだけど、今日、初めて話した私に、住所や名前を教えるのいやだよね。じゃあ、私の住所と名前を言うから、メモしておいて。カラスが、いつか、手紙を送ってもいいかなあって思えたら、送ってよ。そして、いつか、私に会いにきたくなる日が来たら、会いに来れるでしょ?ふふ」
あれは、単なる冗談ではなかった。ツバメは、最初から私に、物理的な「居場所」を教えてくれていたのだ。
なぜなら、ツバメは知っていたのだ。私が、イチを喰らい、この世で居場所を失うことを。そして、私が最後にすがる居場所が必要になることを。
ツバメだけが、私の罪と孤独を予測し、「 HOME(還る場所)」を用意してくれていたのだ。
「ツバメは、私を、最後の最後まで、愛してくれている。」
私は、ツバメが伝えてくれた、住所と名前を、メモしておいたファイルを、震える手で取り出した。
確証はなかった。しかし、この世の真実は、もうツバメの中にしか存在しない。何があっても、その信じる心は揺るがない。
「これで、ツバメを助けに行ける」
カラスは、黒い武装に身を包み、ツバメの家へと向かった。
【ツバメdiary】
黒い封筒と白い便箋を買う。
白い便箋に、濃い黒のペンで、私は手紙を書く。
でも、出すことはない。
この手紙に書いた思いは、宙を彷徨い、いつか届く。それでいい。それがいい。
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