6章「DM」カラス―鳴き声の代わりの、言葉を交わすー
6章「DM」カラス
―鳴き声の代わりの、言葉を交わすー
カラスは鳴き声で仲間と交流するらしい。回数や鳴き方の細かな差異で、メッセージを仲間に伝達し、コミュニケーションをとる。
私はカラスと名乗りながらも、鳴き声を上げることをしない。鳴き声の代わりに言葉を書く。子どもの頃から、そうやって生きてきた。
カラスの鳴き声など、誰も耳を傾けない。私は、それを嫌というほど知っているのだ。
5歳のある夏の日。私は公園で自転車に乗る練習をしていた。ヨタヨタ漕いでいた自転車から転げ落ちた。肘と膝から血がポタポタと流れ落ちた。私は驚いて「痛いよー」と大きな声で泣いた。
でも、近くにいる大人も子どもも、誰も助けてはくれなかった。
痛さと驚きから泣きながら家へと帰った。母は、泣いている私より、肘と膝から流れ落ちる血と土で汚れた服を見て、こう言った。
「汚い子ね。部屋を汚さないでね。早く手を洗って、着替えなさい」
それだけだった。
私は、泣いても誰も助けてくれないし、意味などないということを学習した。
だから私は鳴き声を上げない。誰とも鳴き声でコミュニケーションしない。代わりに、私は言葉を紡ぐのだから。
memoでの投稿「ゼロに戻れ」が人気投稿になったとき、いくつもコメントやDMが届いた。
その多くはイチの支配下にいる者たちからだった。どれもテンプレのように同じ。
「イチ様に謝れ。そして、memoから出ていけ」
大人が書いている言葉とは、とても思えない罵詈雑言で溢れていた。私は、そのたびに、薄汚い墨を無理やり飲まされたような気持ちになった。
そんなとき、ツバメからもDMが届いた。「memo」からのDM通知。差出人は「ツバメ」。
すぐに嫌悪感が湧いた。また、イチの支配下の者からのDMだと思ったからだ。
「しつこいな」
私は思わず声に出していた。誰もいない部屋で一人呟く自分が惨めだった。だから、私は、一晩ツバメからのDMを開かなかった。
そして、次の日。ファミレスで、洗い物をしながら、一日中、私の頭の中ではツバメからの言葉が勝手に想像されて、消されて、また想像された。
DMの差出人がツバメだったことに、嫌悪感と警戒心と共に、淡い期待のような感情も同時に湧いてもきた。なぜなら、ツバメからの私を慕うようなコメントの言葉に、ほんの少し……本当にほんの少しだけ、心を許していたからだ。
コミュニケーションに慣れていない私は、この感情に名前をつけたくない。名前をつけてしまえば、それは「期待」になってしまうから。
仕事を終えた私は、DMを開かずに、スマホをリュックに仕舞った。読むなら家に帰ってから。冷静になってから。そう自分に言い聞かせた。
家に着いた私は、水を一口飲んでから、そっとDMを開いた。
ツバメからのDMをゆっくり味わうように読んだ私は、心がざわざわと揺れ出した。
なぜなら、ツバメは私のエッセイに書かれた言葉を批判せず、共感の思いを届けてくれたから。そして、イチの支配下で甘んじていると思っていたツバメが、イチから脅迫されていると知ったから。
私は今まで味わったことのない感覚が心に芽生えていくのを感じ、自分でも驚いた。
それは、恐る恐る名前をつけるのならば……「ツバメを守りたい」。そんな感覚が湧いてきたのだ。
私は、その感覚をすぐに払い除けた。私が、仲間を求めている?冗談じゃない。
私は誰とも群れずに、一人で空を飛ぶ黒い鳥だ。
自分の愚かさが、腹立たしくさえ感じながら、それでも私は、喰われてたまるかとばかりに、ツバメへの返事を言葉にした。
そして、コップになみなみと水を注いで、一息に飲み干してから、返す予定のなかったDMの返事をツバメへと送った。
※カラスからツバメへのDM(2025.7.21. PM8:45)
ツバメさん
DM読ませていただきました。
私は、イチとツバメさんの間の問題に関わる気はありません。
なぜなら、不明瞭なことが多すぎるからです。
ごめんなさい。
ただ、ひとつだけ。
私のエッセイを理解してくれて、ありがとうございました。
カラスより
※
私が人にメールを送るなんて、何年ぶりだろう?私の言葉を盗んだ編集者の男に送ったメールが最後だっただろうか?
そんなことを考えながら眠りにつく準備をしていたとき、スマホの通知音が鳴った。ツバメからのDMだった。
私はツバメから返事が来たことに、喜びを隠せなかった。一人で鳴き声を上げず生きてきた私の「声無き声」
何よりも大切にしてきた、私から出た言葉が、初めて人に届いたからだ。
生き延びるためには一人でも平気だと強がりを言うしかなかった。でも、私は仲間を求めていたのだと、ハッとするように気がついた。
私は、ひったくるようにスマホを掴み、急いでDMを開いた。
※ツバメからカラスへのDM(2025.7.21. PM8:58)
カラスさん
お返事ありがとうございました。
カラスさん、もし良かったら、これからmemoのtalkで、お話ししませんか?
これから、talkのリクエストを送ります。
お嫌でしたら、スルーしてくださって大丈夫です。
ツバメ
※
memoに非公開で通話ができるtalk機能があるのは、もちろん知っていた。でも、使うことなどないと思っていた私は、緊張で胸が高鳴るのを抑えることができなかった。
そして、talkリクエストの通知音が軽やかに鳴った。
私はツバメからのリクエストを許可した。
※ツバメとカラスのtalk 2025.7.21.PM9:02
(画面には二人のアイコンが静かに光っている。文字は残らない。記録もされない)
「あの、聞こえますか? ツバメです。はじめまして」
ツバメの、高音で鈴の音のような柔らかい声が、耳の奥に鳴り響いた。私は震える声でこう返した。
「カラスです」
「ふふふ。ちょっと緊張しています。でも、カラスさんと話せて嬉しいです。ずっとカラスさんのことが好きで、カラスさんとお話ししたいって思っていたんです。私、書くことが得意じゃないから、声の方が伝わるかなあって……」
私は、言葉には騙されない。でも、ツバメの声が私の閉じた黒い羽の内側に静かに入り込んできた。私は大きく深呼吸をした。
ツバメは続けた。
「まず……自己紹介しますね。照れますね、ふふふ。私は28歳で、都内の実家暮らしです。KPOPアイドルのAMIちゃんと、同姓同名なのが自慢です。今は病気で働けていませんが、慶明大学で心理学を学んでいたので、カウンセラーになりたいなあと思っていて……」
私は思わずツバメの話を遮った。
「都内に住んでるとか、名前とか大学名とか……本当かどうかわかりませんが、そんな個人情報を他人の私に言っていいのですか?」
ツバメは笑いながらこう答えた。
「全部、本当の話ですよ。カラスさんなら、なんでも話せるなあって。だって、友だちだから」
私は「友だち」という甘い響きに心を揺さぶられながらも、一つ呼吸を整えてから答えた。
「友だちだろうと、他人に自分のことを軽々しく話さない方が良いです」
ツバメは即答した。
「大丈夫ですよ。カラスさんは悪いことができる人じゃない。カラスさんの言葉を読んでいればわかりますから。でも、ちょっと意外でした。カラスさんの声、女の子らしくて、かわいいんですね。意外なんて失礼か……ふふふ」
私はこんなに人と話すことが初めてだったこともあって、ただツバメの言葉に身を委ねるばかりだった。
女の子らしくて、かわいいなんて、生まれて初めて言われる言葉に、喜びより戸惑いの感情の方が強かった。
私は、正直に言った。
「女の子らしいとか、かわいいとか、28歳の私には、褒め言葉にもなりませんよ?」
ツバメは、笑いながら言った。
「28歳!同い年ですね!28歳は、まだまだ、かわいいが通用するし、カラスさんの話し方も声も、かわいらしいです。ふふふ」
ツバメは、本当に嬉しそうに話した。話すことに慣れていない私は、ただ聞くだけだった。
そして、ツバメはイチの話を始めた。
イチからDMで、嘘の投稿をしていることや、人の言葉を盗んで真似していることを、memoのみんなにバラすぞと脅迫されていること。だからイチに従うしかないこと。
memoの他の人たちもみんなイチから脅されていること。イチのしつこさと執着心は、心理学的に見ても異常で病的だと感じること。
そして、ツバメは言った。
「イチは蛇なんです。memoと、memoの人たちを飲み込もうとしているんです」
私はやっと声を出した。
「蛇なんて、うまいことを言うね」
ツバメはケラケラと笑いながら、砕けたようにこう言った。
「イチは、memo以外では生きられない。memoに住む蛇。そして、ツバメとカラスは蛇を退治する。おもしろい物語になりそうじゃない?」
私も少し砕けて続けた。
「ツバメは弱い鳥。蛇を退治できないだろ?蛇を喰らえるのは、カラスじゃないか?」
すると、ツバメは急に子どもみたいに、「えーんえーん」と泣き声を上げた。私は驚きながらツバメに声をかけた。
「何? どうしたの?」
ツバメは涙をしゃくりあげながらこう言った。
「ずっとイチが怖かったの。でも、私は弱いって自分でもわかってるから。でも、カラスさんがイチを喰らって、退治してくれるって嘘でも言ってくれて、嬉しくて、泣いてしまったの」
私は、ツバメの泣き声を聞いて、一瞬おかしいなと、そんな疑いを感じた。
なぜだろう。声は震えているのに、息遣いが静かすぎたからか?
泣いているふりをして、泣いていない人間を、私は何度も見てきた。
いや、でも、気のせいか。私は人を信じたことがなさすぎて、疑っているだけか……私は、迷いを振り切って、こう答えた。
「ツバメ。私は嘘が嫌いだ。嘘はつかない。私がイチを喰らって、memoから葬ってやる」
私は、もう、ツバメを疑うことをやめた。ツバメを守れるのは私だけ。それしか考えられなくなった。
ツバメは、鼻をすすりながら言った、
「カラス。ありがとう。私、カラスと出会えてよかった。わかんない。わかんないけど。でも、私達のこの未来、けっこういい線行ってると思うよ。」
私の中で「未来」は、暗く黒いものだった。でも、ツバメの言葉は、私の心に光として差し込んできた。
私は答えた。
「根拠などなくても、私達の未来は、けっこういい線行くに決まってる」
ツバメは一呼吸おいて答えた。
「うん。絶対そう思う。カラスは友だちだよね?ねえ、カラス。私に、手紙書いてくれない?」
私は、唐突なツバメの言葉に笑いながら聞いた。
「この時代に、手紙?急に、何言ってるの?」
ツバメは、食い入るように答えた。
「私の夢なの!友だちが出来たら、手紙を送り合う。ずっと手紙をもらってみたかったの。絵本みたいでしょ?ねえ、手紙の交換しようよ」
私は、今日初めて話した人間に、自分の住所を言うのは躊躇われて、押し黙った。
その私の思いを察して、ツバメは言った。
「友だちだけど、今日、初めて話した私に、住所や名前を教えるのいやだよね。じゃあ、私の住所と名前を言うから、メモしておいて。カラスが、いつか、手紙を送ってもいいかなあって思えたら、送ってよ。そして、いつか、私に会いにきたくなる日が来たら、会いに来れるでしょ?ふふ」
私は、なんて答えればいいのかわからないままだったが、ツバメは続けた。
「メモしてね。いい?私の住所と名前は、東京都◯◯区……」
私は、本当かな?と疑いつつ、スマホのドキュメントに、ツバメの住所と名前を打ち込んだ。
ツバメは言った。
「いつの日か、カラスからの手紙が、私の家に届く。黒い封筒に、白い便箋。黒のインクの濃いペンで、ツバメへって書いてある。私の夢だな」
私は、やっと声を出した。
「手紙より、まずは、イチ……memoの邪魔者、厄介者、とにかく、最悪な蛇を、葬ることが夢だろう?
絶対に、イチをmemoの世界から、消してやる」
そう言いながら、私の中で何かが音を立てて壊れて行くのを感じた。
イチ。あの醜い蛇。memoにまとわりつき、他人の言葉を舐めまわし、気づかれないように絞め殺す。
「あれ」を放置することは、言葉を喰らい、生きてきた私への最大の侮辱だ。
私の過去、私の傷、私の言葉。全部を穢してきた奴に、私が牙を剥かずにどうする。
そう思いながら、私の中で、今まで堰き止めていた、「私を攻撃してきた人間たちに復讐したい」という感情のダムが、決壊したのをはっきりと感じたのだった。
私は大脳を肥大させた知能の高いカラス。そのつもりだった。
でも、もしかしたらツバメの方が、この世を生き抜くための知能はカラスより高いのかもしれない。
今なら、それがよくわかる。
【ツバメdiary】
27クラブ。
才能のあるミュージシャンや俳優は、27歳で死ぬ。その伝説は、私の希望だった。
それなのに、私は、27歳を超えてしまった。
それは、私が、平凡な人間という証明。
28歳。
私は、この世で、生き過ぎた。
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