痰翌



 二〇二三年七月中旬、新宿駅周辺の喫茶店。待ち合わせの約五分前に彼女は現れた。二〇代前半。暗色系のブラウスに、デニムのテーパードパンツの簡素な服装。髪は肩口まであり、整えた形跡はあるが黒さに艶が無く、まとまりに欠けていた。


 店員から案内されてやってきた彼女は無言で頭を下げる。その表情は蒼褪めていて、固い。細面で全体的に活力に欠けた印象を受けるが、眼光の鋭さや鋭い鼻梁など顔の作り自体は意志の強さを感じさせる。「元々はキツい性格だった人間がエネルギーを抜き取られて幽霊みたいになってしまった」とでもいった感じ。今回の取材を電話口で依頼した時初めて聞いた声色と全く同じ印象を受けた。


「どうも今日はありがとうございます」


 こちらから声を掛け、手でどうぞと席を促す。彼女の骨ばった手が椅子を引くと、力が強く入っているせいかギイッと軋んだ。それでなくとも彼女の震える肩や足運びから緊張している様子は伝わる。


 当然だが、取材にこぎつけるまで随分苦労した。その為してきた説明や手段等をここでわざわざ書くことはしないが、彼女の精神に多大な負担を掛けることになってでも、彼女から聞ける話には価値がある。


 予めしておいた取り決めを再確認し終えると、雑談等は挟まず単刀直入に取材を始めた。




◆今の暮らしについて


―初めに、最近のことについて少し教えてください。今も東京に住んでいらっしゃるんですよね?


 はい。学生の頃、学校を辞める前と同じところに。


―学校、大学はもう辞めてしまったんですか?


 そうです。


―それはやっぱり事件のせいで?


 違います、いや、そうかも。実は退院した後、少しだけ授業に出てました。事件は大学の近くで起きたので、もちろん同じコースの人達も知っていたと思いますが、別に私とは繋がらなかったみたいで。まあ広い大学ですし。それで普通に復帰したんですが、でも、ダメだったんです。病院に居た頃にはもうそうだったんですが、頭が……上手く動かなくなってしまって。


―動かないというのは、具体的にどういうことですか?


 記憶……ですか、一番は。どうも忘れっぽくなってしまって。最近のことも子どもの頃のことも。短期記憶とか、長期記憶とか、詳しいことはわからないんですが。そのせいで、長いこと難しいことを考えるのもあんまりできなくて。今は生活をするので精一杯です。三重の両親にも帰って来るように言われているんですが、何分遠方で引っ越しのやりとりも難しくて……。だからすみません、今日あの頃のことを聞かれてもちゃんと話せないんじゃないかって思います。


―大丈夫です。わかることだけ話してくださればいいので。


◆上人との出会い・募金活動


―それでは、そろそろ事件のことについて伺います。上人との出会いは、やはりSNSだったんですか?


 (首を傾げて、訝し気に)いえ? そんなことしてたんですか? 私の場合は、募金活動で出会いました。


―募金?


 あの駅とかでよく見るのと同じです、箱持って歩いている人に呼びかけるやつ。私が見たのは新宿駅南口、何人居たかな、まあでも、あの人も居ましたよ。


―そこから、どんな経緯で活動に参加することになったんですか?


 細かいことはよく思い出せないんです……。でも、最初に単に興味でしたね。楽園を目指して航海するってどんな感じなのかなって。その為の手段が募金活動ってのも面白くて……大学のコースがそういう感じの学問だったってのもあります。それを素直に話したら上人も「いいよ、ボクらと一緒においで」って。それで。


―参与観察というわけですね。それで参加してからは何をしていたんですか?


 楽園に行く為の勉強会もありました、大学の自主ゼミみたいに。

でも、メインは募金活動でした。箱持って、「私達が楽園に行く為にお金をください」と上人と一緒に。上人は難しい口上とか言ってましたけど、私達が覚えさせられたりとかも無くて。あ、でも「真言」って、お経の簡単な一節は良く唱えさせられてました。


◆上人のこと


―上人についてもっと教えてください。教団というか、グループというか、何れにせよ活動の中心は上人だったんですよね?


 はい。まあ人数が少ないので、末端がいて幹部がいてみたいなちゃんとした組織構造はありませんが、何をするかは全て上人の言葉次第でした。募金も、勉強会も、その後のことも。全部上人がある時不意に言い出して、他のメンバーでどうにかこうにか実行するって感じです。連絡方法は電話のショートメッセージだけ。ちょっと古風な人でした。


―そのショートメッセージを後で見せていただくことはできますか?


 すいません、当時使っていたスマホは例のあの時に……。


―そうでした。失礼しました。では、上人はどんな人でしたか? 所謂カリスマ的な?


 まあ、類型的には……。そんなに目立つような感じの人でもないけど、髪が真っ白なのは印象的でした。新宿駅の人混みの中でもひょろりと出た白髪頭ですぐ見つかるみたいな。それで話してみると、昔のこととか色々なことを知っていて、ユーモアがあって。でも、それは上辺だけというか。


―どういう意味ですか?


 いや、今のはただ口から出ただけで、よく思い出せなくて難しくて。(しばらく口元を抑えてから)……でも、どこか変で。私、あの人と二人になって長い時間話すことがあったんです。どんな状況だったかは覚えていないけど、あの人はいつもと違って、私のことを細かく聞いてきた。大学でのことや、地元でどう暮らしていたかとか。でも段々おかしくなってきた。


―どんな風に?


「家族を亡くしたことは?」とか、「思い出したくないことを思い出してみて」とか。それでようやく「私から聞き出したいことがあるんだ」と気付いて。つまりあの人は何かよくない宗教やセミナーみたいな風に私を利用するつもりでいるんだと。だから聞いたんです。「変なこと聞いて、私に何させるつもりなんだ」って。そうしたらあの人は少し顎を引いて、微笑んでから答えました。「理由を聞いておきたいんだ。つまり、楽園に行くにはちゃんとした船出する為の理由が必要だから。でも今のでわかったよ」って満足した様子で。どういう理由か聞いたら、教えてもらいました……。


―伺ってもいいですか?


 それが、思い出せないんです。でもそこから私は本気で活動するようになりました。そうしないといけないと思ったんです、それなのに忘れてしまった。ああそう、上人に対する違和感を思い出しました。魅力的で言うことに従いたくなるんだけど、本当に言うことだけなんです。それ以外は信用できないのに。日々の募金活動や勉強会で教わる知識も何か意図を感じるのに、気付くと従ってしまう。そういうのもカリスマって言うのかな、でも最後までそうでした。


―そうして、あの日が来た。そうですね?


◆当日のこと


―決行当日のことを教えてください。


 覚えていることは少ないんです。朝起きてスマホを見たら、「今日が決行日です」ってあって。集合場所や、時間が書いてありました。そこに行って、あの船に乗って。いや、あれは船に行くための車だと思っていたのかな……。勉強会では「実際に海に出るかどうかは関係ない」ということは重ね重ね言われていたんで、そこは驚いたり疑問に思うことじゃなかったんです。


―船に乗った人達はみんな藤森さんが知ってる人でしたか?


 覚えてないです。でも募金活動に居た人達も確かにいました。


―上人は乗っていました?


 覚えてないです。


―それでは、車に乗って、その中での暮らしが始まった。そこは合ってます?


 はい。積み込んであった物を食べて飲んで、ずっと。


―他に何をしていたんですか?


 覚えてません。真っ暗で、すぐにスマホの電池も切れて。七人もいて息も詰まるし。屎尿の臭いがして、身の回りもどんどん不潔になっていくし。でも、嫌になったり、退屈になったりはしませんでした。いなきゃいけない理由があったんです、忘れてしまいましたけど。


―なるほど。でも結局、藤森さんは……。


 船を出ました。何日経ったのかもうわからない、暑苦しくて息苦しくて、それだけで自分が死んでないのがわかるようなギリギリの時でした。常時酸欠で、それで脳に影響が出たんじゃないかとかお医者さんには言われましたが、段々視界がチカチカ光ってきて。その中で一番大きい光に手を伸ばします。それは窓にハメられたパネルの隙間から漏れ出た陽光でした。私はその時「それは穴だ」と思って。「外に出る為の穴が空いてるんだ」と思って。死ぬ気でドアを押して、外側のガムテープを引きちぎって外に出ました。それで外を少し歩いて、気絶して、誰かの通報で病院に運ばれました。目が覚めた時にはもう、車は発見されて他の人達はみんな死んでいました。そのことを警察の人から聞かされて、私。あ……今、私、思い出しました。


―何をですか?


 上人に私が船に乗る理由がわかったと聞いた時、何て答えたか。あの人はこう言ったんです。「それは船に乗ればわかるよ」と。私、病室でそれがわかってから……こうなってしまった。私、船を降りてはいけなかったんです。




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