一章二話 光を弔うヒカリビト。(2)


「---で、クロアはこれからどうするの?」


独りで住むには大きい古びた家の中でクロアは幼馴染のピリカに問い詰められていた。


「どうも、こうも・・・オレだってわかんないよ」


項垂れるクロアにピリカは強気で言い返す


「でもでも、クロアって『ヒカリビト』なんでしょ!」


ほら、これ!

とピリカは勢いよく古びた本を開いて見せる。

どうみても何十年、下手をすれば何百年経っていそうな年季の入ったその本は、この町の村長でありクロアを引き取った祖父のモノだった。

祖父は自他ともに認める"変わった人"で。

周辺海に囲まれた町の外の世界についてやたら詳しく、難しいことが書かれた本を沢山持っている人だった。


その中の一冊に、ヒカリビトという話があった


命等しく御霊でありて 御霊心宿し肉を持つ

肉朽ちる時御霊心共に地へ還る

時に御霊迷う事有りて 迷魂(まよいご)いふ其れは大いなる木へ迎入られる

其れは地へ還ることなく眠る

慈悲深き心持つ者木へ触れる時、迷魂いふ其れは光と成りて地へ還る

是をヒカリビトと呼ぶ


コタンの町に伝えられる、お祈りの儀式。

それは命の終わりを弔う儀式であった。

借り物である肉体が老衰事故天災等で朽ちる時、人は本来の姿である魂へと変わる。

それら魂がコタンの町全てを守る大樹へ迎え入れられ、生命を司るラマへと変わり天命を全うする。

ラマへ変わるときそれが魂にとっての「終わり」である。

それら魂を見届けるのは親族のみが許されており、血を別つ者の最後のお別れをお祈りの儀式としている――のだが、先日クロアが祖父のお祈りをした際幾つもの淡い光が天へ舞い、寂しそうな木は豊かな花蕾を咲かせた。


それはまるで、この話にそっくりで。


「祖父様が言ってたとおりだね」


ピリカはボソリと、呟いた。


「・・・どういうこと?」


クロアの問に、あれ、聞いてない?と腑抜けた顔をしてピリカは続ける。


「祖父さまがね、クロアはカムイの使いだーって言ってたんだ。みんなには見えないものが見えて、お話ができるんだって。それってつまり、クロアにはラマが見えてるんじゃないかって。」


楽しそうに、けれど少し寂しそうに話す幼馴染を他所にクロアは開いた口が塞がらないでいた。


そういえば忘れていた記憶。


あまりにもそれが日常で、皆には見えていないのが、不思議で。

見える事が何気なくあたりまえになっていて。

でも、"みんなと違う"たったそれだけが理由で「視ないように視えないように」と塞ぎ込んでいた視界にクロアは呆然とした。


涙のせいなのか、単純に視界がぼやけているだけなのか、何せ暗闇へいざなうように雲がかった視界に、思わず強く目をこする。

パチパチと見ないようにしていた「それ」達は嬉しそうに楽しそうに舞っている。

まるで雲間からお日様の光が地を照らしてるかのような情景に唖然としていると、思い出すのは祖父の言葉。


「人間、役目のないモノなどおらん。自分にしかできないことは何かを探しそれを好きになれ。そうすれば自然と生き方ってもんが分かる。」


さっきそこにあの人がいて、

今その言葉をかけられたように、思い出す記憶。


(あのじいさんは、全てを見越していたのか)


なんて憶測を考えてしまうほど、とびきりの言葉をくれていた。


道に迷った時どの道へ進みどんな未来を描くかなど、今考えるべきことではない。

今自分が立っている地面を見つめ、周りを見つめ「今」自分にしかできないことが何か。それを考えるべきなのだとじいさんは教えてくれていた。


「今という未来を生きろ」


「何それ?」


「じいさんが、よく言ってたんだ。未来ってもんは先にあるんじゃなくて、今にあるって。この瞬間だって、一秒・・・いや、数えるなんておこがましいほど、簡単に過ぎ去っていて。この「今」の為に沢山のイノチが紡がれてる、って」


クロアは祖父の言葉を思い出しながら、言葉を紡ぐ。


「・・・それだと、今は過去にならない?」


ピリカはきょとんとした顔でクロアを見つめる。


それはとても見覚えのある顔で。

幼き記憶、祖父へ全く同じ質問を全く同じ顔でしたな なんて思い出し笑いがこぼれる。


「それはオレたちが、生きてるから言える事なんだ」


クロアは手に力を込めて握りこぶしをしたり、手を広げたり、指を一つずつ曲げながらぽつぽつと語りだす。


「何気なく生きて、何気なく明日を迎える。それは、そうしてくれた誰かの、何かのおかげで続いている。・・・明日が、今が、オレたちは当然なんだ。だって生きてるから。今を生きれるからだ。でも、違う。じいさんも、その前のじいさんも、皆「今」を知る事は出来ない。今を変えることはできない。だって、肉体がないから、みんな、ラマになったじいさんたちの事、視えないから。死ぬって事は 肉体が終わるってことは、今に往けないって事なんだ」


じゃあこの世界は沢山のラマでできてるから、それって・・・

とかわいらしい眉毛を八の字にして下を向くピリカ。

まだ成熟していない彼女にとって、命の理を受け止めることは酷な事だったかもしれない。

けれどクロアは話をつづけた。

命とは何か、今とは何か。命の恩人であり生きる術を教えてくれた祖父から貰った沢山の話を。

ピリカは少し切なそうな顔をしながらクロアの話を聞いた。それは一つ一つ確かにピリカの心に届いたであろう。泣き虫なはずの彼女は涙を流すことなく聞き続けた。


春といえど、まだ風は寒い。

風は木の隙間からヒューっと入り込み、部屋の中で舞う。


ふと、周りに目をやると、いつのまにかぼやけた視界は晴れ渡り、遠くの柱の木目まで数えれそうなほどになっていた事にクロアは気付く。


細やかな木目を刻んでいたのは何十年もたっているであろう古びたものだった。

板一枚になろうとも、かつて一本の木であった証をその身に刻んでいる事実。


木目をじっと見つめているとそこに小さなラマが飛んでいた。

木の一部であろうラマは、クロアを見つけると嬉しそうに宙を舞った。

笑っているのか歌っているのか、分からないけれど、親しみを持って舞うラマ。

まるで切られても形を変えられても人を恨んでいないというようにクロアの周りを飛ぶ。


クロアの心に何か届くものがあったのかはわからない。

けれど確かに、伝わったものがあったのだろう。重々しい空気の中クロアは突然立ち上がる


「ピリカ、農業の事、教えてくれ。それから、家造りの事、全部だ。」


「え、どうしたの急に?そりゃ、ととさまに言えば教えてくれるだろうけど・・・」


「オレ、今を無駄にしたくない。やれること全部やる!」


ばたばたと、外に出るクロア。


今までと何の変哲もない風景。


けれど確かに先ほどまでとは違う何かをクロアは感じていた。


桃色の花びらが揺れる、草も揺れ、枝も揺れている。

揺らしていた風はいたずらのようにクロアの肌を撫で、髪を揺らし空へ舞う


風が冷たい。


花の香りが甘い。


天が眩しい。


木々の音は心地よく、胸に手を当ててみれば、鼓動が手を揺らす。



「だって、オレ 生きてるんだ!」



なら、この世界を知らなければ!


今を彩った全てを、できるかぎりの全てを、知らなくては!

そうでなくては勿体ないだろう!


だってこの世界は、美しいのだから。


少女が護ったこの世界は、

今も続いているのだから。




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