水族館をやめた俺はVな幼馴染に誘われて人気Vを目指します。

深海さん

「第一章」碧海凪誕生!

水族館辞めたい

――水槽の中を泳ぐ魚は、今日も変わらず美しかった。

 照明に照らされて銀色の鱗が反射する。その一瞬ごとに、俺の心臓は少し速くなる。小さい頃からずっと海の生き物が好きだった。夢はただ一つ――その魅力を誰かに伝えること。だから俺、湊凪(24)は水族館で働いている。


 ……いるのだけれど。


「はぁ……」


 休憩室のベンチに座って、ため息をひとつ。手元のスマホをちらりと見て、現実から逃げるように画面をスクロールする。そこには推しているVtuberの配信アーカイブ。彼女の明るい声がイヤホンから聞こえてくる。


『やりたいことやれないなら、やめちゃえばいいんだよ!』


 軽やかで、けれど真剣な声。ふと胸に刺さる。俺の夢は、海の生き物の素晴らしさを世に広めることだった。けれど現実の仕事は、魚に餌をやり、水槽を磨き、来館者に決まりきった説明をするだけ。もちろん、それが大事なのはわかってる。けど……俺がやりたかったのは、もっと違う何かのはずだ。


 それなのに、日々はただ過ぎていく。


 その夜、自分の部屋で机に突っ伏しながら、また彼女の配信をつけた。

 海沿いにぽつんと立つこの家は、祖母から譲り受けたもので、静かすぎるほど静かだ。波の音だけが絶え間なく響く。そんな中で聞く彼女の声は、俺にとって救いだった。

 モニターの中で彼女は、今日も元気にリスナーに語りかけている。


『えーっと、今日のお悩み相談マシュマロ! “やりたい仕事なのに、やってみたら思ってたのと違いました。どうすればいいですか”……ふむふむ』


 それは――俺だ。完全に俺のことじゃないか。

 思わず笑ってしまった。でも次の瞬間。


『なら、辞めちゃえばいいんじゃない?』


 あまりにあっさり言われて、心臓が止まりそうになった。

 でも、その言葉は重かった。心の奥にずっと隠していた不安を、的確にえぐり取られた気がした。


「辞める……のか、俺」


 呟いて、スマホをテーブルに置く。

 窓の外では、潮風がカーテンを揺らしている。小さい頃から好きだった海が、今もすぐそばにある。

 でも俺は――何をやっているんだ?


 翌日。

 上司に辞表を提出した。

 驚かれた。止められた。けど俺の気持ちは揺らがなかった。夢のはずなのに、違うと感じてしまった場所に居続けても仕方がない。海の生き物が好きである気持ちを、ここで失ってしまう方が怖かった。


 手続きが終わり、水族館を出たとき。背中に重かった鎖が外れたような気がした。

 けど同時に、足元がぐらつく。

 ――これから、俺はどうすればいい?


 答えは出ない。

 ただ波の音が、無情に繰り返されるだけだった。


 その夜。

 アルバイト情報誌を開いてみても、心は動かなかった。コンビニ、飲食店、倉庫作業……どれも違う。俺がしたいのは「海の生き物の魅力を伝えること」。それ以上も以下もないはずだ。

 けれど、その道をたどるには、どこに行けばいいのかまったく見えない。


「……ほんとに、俺はどうしたいんだ」


 呟きながら、机の上にある貯金通帳を開いた。額面はそれなりにある。金を使わず、趣味も魚と絵を描くことくらい。派手な生活はしていなかったおかげで、数百万円は残っている。

 だからこそ、余計に迷う。行動しようと思えばできるのに、方向性がわからない。


 そのとき。

 机の上のスマホが震えた。通知を開くと、推しVtuberの最新配信が始まっていた。

 モニターに広がる、光る瞳と笑顔。


『――夢はね、自分で掴むものだから!』


 心臓が強く脈打つ。

 あぁ、俺は、ここから何かを掴まなきゃいけない。

 海の生き物を好きな気持ちは、本物なんだから。


 窓の外に目をやる。夜の海は真っ黒で、波の音だけが響く。

 それでも――きっと俺にできることがあるはずだ。


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