第15話 課外授業
冬期休暇を終えると、アスターはあれほど熱心に取り組んでいた食堂のバイトをすっぱり辞めた。
店主にはかなりしつこく引き留められたようだが、学業を優先すると断言し無理やり辞めてきたらしい。いい判断だ。下手に長居すると本当に店主の娘と結婚させられかねないからな。
俺はというと、アスターの顔が日に日にかっこよく見えて困っている。ただでさえ律樹に似て最高だと思っていたのが、彼自身を好きだと思ったとたん輝きが増したというか、輝きすぎて見えないというか……。下手に微笑まれるとひっくり返りたくなる。
「かっこいいよな、アスター」
俺はクラスメイト相手に愚痴った。
入学以来、フィン王子を始めとした学院のイケメンについて語り合っている男たちだ。彼らは「たしかに」「分かる」と頷いてくれた。
「眉毛がいいよな。かなりはっきりしてるけど、上品で」
なんて見る目のある男なんだ。俺は何度も「それな」と同意した。それ以降、顔にあるすべてのパーツを褒める流れが発生したが、全部わかる。アスターの顔に無駄なパーツも無駄な余白もない。
「まあでも、俺は王子の方が好きだけどね。やっぱりこの国一の美丈夫と言ったらフィン王子だろ」
「そうだな」
俺は穏やかに同意した。人間に順位をつけるなんて、なんて野蛮なんだ。俺はアスターボーイズを生み出したサバイバルオーディション番組を見て以来、人間に順位をつけるという行為を軽蔑していた。お前はフィン王子を一番だと思っている。だが俺はアスターが宇宙一かっこいいと思っている。それぞれ信念を大切にすればいいだけだ。争う必要はない。
俺は彼らの推し談義を聞きながら、内心で「でも、アスターは顔だけじゃないんだよな」とマウントをとっていた。こいつらはアスターに心を開いてもらえていないから知る由もないだろうが、彼は努力家で、真面目で、優しい。内面もけちの付け所がない男なのだ。
口には出さなくても伝わったのか、クラスメイト達から冷たい視線を向けられ「なんか今調子に乗ったか?」「公爵の息子だからって調子に乗るなよ。テストは何位だったんだ? ビリか?」と煽られたが、余裕の微笑みでいなしておいた。怖くて順位は見ていない。
入学から半年以上経ち、授業内容も徐々に難しくなっていた。俺はそもそも入学できたのが奇跡のような学力なので、ついて行くのが精一杯だ。日々の小テストすらアスターに介護されてやっとこなしている。彼はかなり忍耐強く、俺に「日々の小テストをきちんとこなしていれば、学内テストは問題ない」と言った。進学について言及されていないあたり、嘘をつけない誠実さを感じる。
そんなわけで、最近は座学よりも実技の方が楽しい。だから課外授業も楽しみにしていた。
王立魔術学院の一年生は、年に一度学院から離れた山へ行き、そこで実習を行う。指定された魔法生物の一部を手に入れる実技課題だ。ペアやグループではなく、個人で取り組む。俺には痺れ兎の体毛、アスターには飛行雷魚の鱗が指定された。
「行き慣れない場所だから、準備が必要」
と言って、アスターはいつも以上に綿密な下調べをした。俺も図書館に付き合い、痺れ兎の生態をノートにまとめる。同じ時間勉強したはずなのに、読んだ本が倍ほど違うのは、純粋に頭の出来の差なのか。アスターは自分の課題だけでは飽き足らず、俺の課題まで調べつくした。
当日、俺たちは目的の山まで列車で移動した。なんとなく京都への修学旅行を思い出す。危険度が全く違うが、学生たちの浮かれ具合は同じだった。列車に乗り遅れる生徒がいないか、教師たちがピリピリするのも同じだ。
学院が貸し切った車内で、俺とアスターは菓子を食べていた。アシュフォード家から贈られてきたチョコレートによく似た菓子だ。手紙にはママさんの字で『アスターとライルへ。仲良く食べて』と書いてあった。普通、自分の息子の名前を先に書かないか? アスターは手紙を読むと、わずかに口の端を緩めて「これが欲しい」と言った。
「この手紙?」
「うん」
「いいけど……」
「ありがとう」
アスターはそう言うと、皴にならないよう手紙を教科書に挟んだ。
菓子を食べ終えると、俺たちは各々仮眠をとったり、本を読んだりして過ごした。言わずもがな、寝ているのが俺だ。列車の揺れは異世界でも眠気を誘った。
意識を揺り起こしたのは、アスターの鼻歌が聞こえてきたからだった。聞き覚えのあるメロディー。なんだったっけ? 目を閉じたまま、心地よいまどろみの中で考える。そうだ、夜光虫を捕まえたあの日、俺が口笛で吹いたクラシック。たった一回聞いただけで覚えてしまったのか、アスターは正確に旋律をハミングしていた。
がたん、と列車が揺れ、今度こそ完全に目が覚める。見ると、アスターが下りる準備を始めていた。目的地に着いたらしい。俺も荷物をまとめて列車を降りる。
一年生全員が山のふもとに集まると、引率の教師が課題の説明を始めた。
タイムリミットは日没。それまでに指定されたものを持ってくれば合格、持ってこれなければ後日追試がある。危険な時は筒形の日中用発煙薬で知らせる。補助の教師が生徒たちにちょうどリップクリーム程度の大きさをした発煙薬を配って回った。俺も受け取り、ポケットにしまう。
全員が発煙薬を受け取るのを確認して、教師が課題開始の笛を鳴らした。
個人課題だというのに、俺とアスターは相変わらず一緒になって行動していた。お互いが目当てにしているモンスターの生息地が近いので、途中までは一緒に行こうという話になったのだ。
アスターは手製の地図を見ながら「ここは崖だから危ない」とか「ここなら魔物がいないから少し休める」と説明してくれていた。ここは崖と言われても、山なのであちこちに崖があるし、なんなら今いる場所も崖だ。
「じゃあ、俺はあっちだから。終わったら合流しよう」
「うん」
俺は痺れ兎を、アスターは飛行雷魚を探しに別れた時だった。何かが飛んできて、肩にぶつかったと思った途端激しい痛みを感じた。衝撃に体がふらつき、運の悪いことによろめいた足場が悪く、地面が崩れた。
宙に放り出される感覚。両足が地面から離れた。ぐらりと体が落ちる。
「ライル!」
アスターが崖の上から俺を見ている。彼の腕が素早く伸ばされたが、わずかに届かず、指先と指先が掠って空を切った。次の瞬間、アスターは躊躇いなく自ら崖を飛び降りた。もう一度伸びてきた手が俺の腕を掴み、ものすごい力で引き寄せられる。彼の体に抱きこまれた。
ばさばさばさ、とものすごい音を立て、俺とアスターはぶつかった木の枝を折りながら地面に落ちた。直前にアスターが魔法を使わなければ、確実に死んでいただろう。
「大丈夫か、怪我は⁉」
「だ、大丈夫、アスター、お前は? 怪我……」
「してない」
「でも血が……」
俺は彼の頬に触れた。枝が当たったのか、白い頬に横へ一閃、赤い傷が出来ていた。アスターは自分でも頬を拭い、手のひらについた血を見て「かすり傷だ」と答えた。
とにかく立ち上がろうと体を動かす。すると激しい痛みを肩に感じ、思わず呻いてしゃがみこんでしまった。見ると、肩に何かが刺さっていた。これのせいで体勢を崩したらしい。アスターが厳しい表情で俺の肩を見ている。
「矢だ」
「矢……⁉」
めちゃくちゃ人為的じゃないか。落ちている途中で、矢じりに近い部分以外が折れたらしい。自覚すると一気に痛くなってきた。肩を押さえて木に寄りかかる。
周りを見回すと、今いる場所がちょうど窪地になっていることが分かった。崖が前面に反り出ていて、登るのは難しそうだ。高さもかなりある。
これじゃ課題は無理だと判断して、俺はポケットから発煙薬を取り出した。説明された通り、口を上に向け筒の後ろを手のひらで軽く叩く。が、何も起きない。もう一度やってみたが、やはり無反応だ。俺とアスターは思わず顔を見合わせた。
たまたま不良品だったのかも、とアスターの持っていた発煙薬でも試してみたが、やはり壊れている。
黙り込むアスターの横で、俺は嫌な予感をひしひしと感じていた。
学院に潜む、アスターの食事に毒を入れ、彼を殺そうとたくらんでいる人たち。今回も彼らが動いている気がする。おそらく、本来ならアスターを狙った矢が外れて俺に当たってしまったのだろう。発煙薬を配った補助の教員も仲間なのかもしれない。冷たい汗が背中を伝う。俺は気持ちを落ち着けようと深く息を吐いた。
もしこれがやつらの仕業だとしたら、これで終わるわけがない。彼らの目的はアスターを殺すことだった。緩やかな毒殺を諦め実力行使に打って出たということは、今日すべてを終わらせるつもりだろう。
「アスター、とにかくここを離れよう。さっきの地図にあった安全な場所に行くんだ」
「でもライル、怪我が……」
「ここにいる方が危険だ。なにがあるかわからな……」
言いながら、俺の目はアスターの背後、崖下にある洞窟らしき暗闇を見ていた。正確には、暗闇に光る八つの目。
次の瞬間、洞窟から何かが飛んできた。咄嗟にアスターを横へ突き飛ばす。
飛んできた何かが腕に当たり、べたりと巻き付く。糸だ。白く粘ついた糸。俺の目がそれを捉えたのと同時に、体がものすごい勢いで洞窟の方へと引きずられた。
視界が一瞬で真っ暗になり、自分が洞窟へ引きずり込まれたことを悟る。
もう駄目だ、と目を閉じた瞬間、糸にとられた腕とは反対の手を誰かの手が掴み、俺の腕を捉えていた糸が燃えて千切れた。アスターだ俺を抱えて、岩陰に体を隠す。俺たちは息を潜めた。
洞窟の奥には、明らかに強い魔物がいた。クモのモンスターだ。半人半虫の、凶悪な食人生物。
俺の手が無意識にアスターの服を握った。
激しい後悔の念が胸に巻き起こる。よく考えれば、毒殺が上手く行かないとなればやつらが次の手を打ってくることは簡単に分かることのはずだった。もっと警戒しなければいけなかった。
必死に図鑑で学んだモンスターの記述を思い出す。
糸で獲物を捕らえて、牙から毒を注入し中身を溶かして食べる。弱点は目。火にも弱い。
アスターは炎の魔法が得意だ。彼とモンスターの相性は良い。だが、目⁉ 八個あるけど⁉
「ライル」
呼ばれて、俺は顔を上げた。目が闇に慣れてきたのか、アスターの顔がぼんやりと見える。彼は俺の目を見つめて「大丈夫だ」と言った。
「あいつ、目で物を捉えてる。耳は悪いんだ」
「アスター……」
「俺が陽動するから、その隙に逃げて。先生を呼んで」
そんなことできるわけない。俺は首を振って拒否した。恐怖のせいか、目から涙が間違って出た。慌てて肘で拭って、アスターに言い返す。
「じゃあ、お前が先生を呼びに行けよ。俺が陽動する。お前は怪我してないから、走って呼びに行けるだろ」
「ライル、わがままを言わないで」
「わがままなのはアスターだろ」
場所もわきまえず言い合いになりかけたが、奥の方でシャー、という不気味な声が聞こえて黙り込む。アスターは目で俺を説得しようとしたが、俺は絶対に折れなかった。諦めたのか、彼の手が背中に回り抱きしめられる。こんな時なのに、俺の鼻は彼の体臭を感じ取った。甘い藤みたいな香り……藤? はっとしてあたりを見回す。アスターから離れ、嗅覚に意識を集中させた。
やっぱり、藤の匂いがする。冬なのにこんなに強く香るのはどう考えてもおかしい。
アスターにそれを伝え、俺たちはすぐに走り出せるよう体勢を整えた。怪我している方の肩を支えてもらい、足に力を込める。準備が整うと、俺たちはゆっくりと口笛を吹いた。
口笛の音に呼応するように、暗い洞窟の中でぽつりぽつりと青く淡い光がともる。夜行性の光る蝶。視界に入ってきた刺激に、クモの魔物が反応した。夜光虫めがけて糸が伸ばされ、ぶちゅっと嫌な音を立てて潰される。途端、仲間の匂いにつられた夥しい数の蝶たちが一斉に発光した。
そのタイミングを逃さず、俺たちは洞窟の入口に向かって全力で走った。
夜光虫が目くらましになってくれる隙に、糸の届かないところまで逃げ切るのだ。
不完全な作戦だが、二人で乗り切るにはこの方法しかない。アスターの腕が俺の肩を強く掴み、引きずるように走る。せめて足手まといにならないよう、俺も力を振り絞って足を動かした。
もう少しで洞窟の入口に差し掛かるというところで、背後からけたたましい魔物の咆哮が響いた。俺とアスター、二人の腹をまとめて縛り上げるように太く白い糸が巻き付く。
体のバランスが崩れ、地面に顔がぶつかる。目を開くと、今にもこちらに向かって噛みつこうとしている化け物の姿が見えた。
「アスター、目だ!」
俺が叫ぶと、アスターが素早く呪文を詠唱する。激しい炎が、まさに化け物の目前で爆ぜる。命中。八つの目を同時に焼かれ、クモはのたうち回って洞窟の奥へ逃げて行った。影響する範囲を超えたのか、体を縛り上げていた糸が消える。俺たちは肩で息をした。
魔物が戻ってくる前に、俺たちはなんとか地図に書いてあった安全地帯へと非難することが出来た。道中弱い魔物には遭遇したが、漏れ出る魔力がばちばちと雷のような音を立てるアスターには近づけないようだった。
やっと体を休められる場所に来て、俺は地面に倒れこんだ。いつ怪我したのかは分からないが、口の中を切ったらしい。血の味がする。アスターも疲れたようだ。息を切らしていた。彼の手が転がる俺の顔に触れ、乱れた髪を後ろへ撫でつける。
「良かった……」
アスターの言葉に頷く。本当に良かった。死ぬかと思った。アスターは続けて言った。
「もしライルが死んでたら、俺はおかしくなってた。どんな手を使ってでもこんな目に合わせた犯人を見つけ出して、殺してたと思う」
俺はぎょっとして彼の顔を見た。アスターは沈痛な面持ちだった。青ざめて、唇が震えている。
「俺はそういう人間なんだ」
「違う」
痛む肩に構わず起き上がり、アスターの顔を覗き込む。俺はもう一度「違う」と言った。
「お前がそんなことしないって知ってるよ。万が一、いや、俺は絶対に死なないけど、もし万が一死んだって、アスターは誰かを傷つけたりしない。お前は誰かを傷つけるんじゃなく、思いやれる人だって俺は知ってる」
アスターの宵闇色の瞳から涙がこぼれる。
日没を迎えると、戻ってこない俺たちを探しに来た教師たちに発見され、無事学院へ帰ることが出来た。
しかし明らかに人為的な怪我をした俺の状態を重く見た学院は、疲れて眠りこむ俺になんの相談もなく、アシュフォード家への一時帰宅を決めてしまったのである。
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