第12話 他校交流会
期末試験のあと、一週間の夏季休暇は学院で勉強すると言い張るアスターを無理やりアシュフォード家に引きずって帰った。
兄はちょうど出張中でいなかったが、ママさんとパパさんは俺が連れてきた眉目秀麗で所作の端々から優秀さの滲む青年をすっかり気に入ってしまった。日を追うにつれ豪華になっていく夕食のメニューに、ママさんの入れ込みようがうかがえる。
学院に帰る前日はついに二段ケーキが出てきた。王都で流行りだという演奏家まで呼ばれ、アスターは圧倒されていた。流石の公爵家もこれだけ手と金のかかった夕食はめずらしいのだが、誤解が生まれている気がする。
ママさんは「またぜひ来てちょうだいね。うちのライルをよろしくお願いします」と涙ぐみ、パパさんも「何か困ったことがあったら相談したまえ」と握手をしていた。
夏の間に、俺も日本で大学生だった頃と同じくらいには背が伸びた。俺の場合はここで打ち止めだ。アスターはにょきにょきと伸び続けている。律樹の公式プロフィール記載の身長まで、あと五センチくらいか? 将来有望なやつ。
朝、学院へ向かう列車に乗り込むため駅に行くと、ものすごい混雑だった。王都中の学生たちが各々の学校へ向かうため駅に集まっているのだ。俺は人にぶつからないよう、かつアスターを見失わないよう必死だ。幸いなのは、既にアスターが周りから頭一つ分大きいおかげで少し離れても見つけやすいことだった。
人波に流されてまた遠くなってしまったアスターに近づき、彼の腕を掴む。振り向いたアスターが俺を見た。
「ライル」
「あと五分で列車が来るって。一号車に行こう。空いてるらしい」
言いながら、俺は不思議な既視感を感じていた。アスターと話すときの目線や首の曲げ方に、不思議と覚えがあるのだ。一瞬、律樹のことを思い出すのかと思ったが、そもそも俺と律樹に接点はない。ただのファンとアイドルなので近くで話したことなど言わずもがなだ。思い出せそうで思い出せない違和感の正体に首をひねっていると、背中にどん、と衝撃を感じた。アスターの腕が俺を抱き寄せる。振り向くと、薄桃色の制服を着た女の子がいた。日除けの布がついた帽子を被っている。
「ごめんなさい」
可憐な声で謝った女の子が、少し離れたところにいる同じ制服の集団へ人をかきわけて近づいていく。
聖クラウディウス女学院の制服だ。視線が思わず彼女を追うと、遮るようにアスターが俺を抱えて動いた。体が大きくて力が強いうえ、彼の顔を見ると人々が自ら道を譲ってくれるのでぐいぐい進む。俺も慌てて足を動かした。
無事に学院行きの列車に乗り、座席に腰を下ろすとそういえばもうすぐ秋だということにやっと思い至った。聖クラウディウス女学院との他校交流会が近づいている。
荷物を整理しているアスターをちらっと窺う。正直、俺の目からすると国中からアイドルのように慕われているフィン・クラウディウス王子殿下と同じくらい、むしろやや優勢なほどかっこよく見えるがワンチャン他校交流会での恋が実るということはないだろうか?
俺は顔も知らない令嬢フローレンスとアスターが連れ立って歩く姿を想像してみた。が、思ったよりしっくりこない。現状アスターが人見知り過ぎて恋する姿が想像できないせいかもしれない。彼が女の子相手に微笑む姿を思い浮かべると、それは俺に向ける笑顔なのでは? と気になってしまいその先を想像できなかった。
一体、アスターはフローレンスという女の子のどこを好きになるのだろう。
見ると、荷物の整理を終えた彼は懐紙で靴についた汚れを拭っていた。綺麗好きなのだ。初めて会った頃はボサボサの髪にボロボロの服で身なりに頓着しない性格かと思っていたが、余裕がなかっただけだったのだろう。今は俺の兄から貰ったおさがりを熱心に手入れしながら身に着けている。
「アスター、もし交流会で運命の相手に会ったらどうする?」
「運命の相手?」
「会ったらそれまでの自分がまるきり変わってしまうような相手だよ。女子校との交流会だから、あってもおかしくないだろ」
アスターは顔を上げると、俺を見て少し考えこんでから答えた。
「もう会ってる」
「うそだろ⁉」
そんなことあるか⁉ 一体いつ出会ったんだ。俺たち、切り分ける前のレモンくらい一緒にいたよな。
俺は必死に記憶を振り返り、はっと気づいた。もしかしてさっきぶつかった女の子か? 俺は人が多すぎて騒がしく、ろくに顔も確認できなかったがアスターはあの一瞬で運命の相手だと確信するほど彼女を好きになってしまったのだろうか。言葉を交わす暇もなかった以上、一目惚れだろう。
「お前、意外と面食いなんだな……」
「うん」
アスターはかすかに微笑んで言った。
「世界一かわいい」
学院に帰ると、またいつもの日々が始まった。とはいえ、男ばかりの学校だ。他校の女子と触れ合う機会が近づくにつれ、段々と騒がしくなる。
限られたパイを奪い合う上で、彼らが注目したのは輝く顔のアスターだった。みんなの人気者であるフィン王子には既に婚約者がいるので、脅威にならなかったのだ。
「何割持っていかれると思う?」
「七……、いや、八割?」
「八割か……、あっちの一年生も三十人くらいだろ。熾烈な戦いになるな……」
クラスメイト達は沈痛な面持ちだった。交流会では最終日にダンスパーティーがある。そこであぶれないよう必死なのだった。俺も本来であればダンスのパートナーを見つけるために必死になるべきだが、意識は完全に逸れていた。
俺の思考を占領している男は、真剣な顔で本を読んでいる。めずらしく教科書ではない。調理技術の本だ。冬期休暇で行くバイトを前に、勉強熱心なアスターは四六時中料理のことばかり考えているのだった。
困ったことになった。
なんとか交流会でアスターとフローレンス嬢が出会い、恋に落ちるのを阻止しようと考えていたのに気づかぬうちにアスターはフローレンスと出会ってしまったのだ。しかもベタ惚れだ。世界一かわいいと言っている。
俺がアスターのことを、アスターが料理のことを考えている間に、あっという間に交流会の日になってしまった。
学院側は朝から大忙しだった。クラスメイト達がいつもの二割増しで身だしなみに時間をかけている。アスターだけがいつも通りの支度を終え暇そうにしていた。
かくいう俺も、すっかり周りに感化されて髪のセットに時間をかけていた。あと五分で終わらせないと集会に間に合わないが、まだ右側しか終わっていない。日本にいた頃だって女の子のためにこんなに必死になってお洒落したことないぞ。
なんとか遅刻寸前で講堂になだれ込み、空いていた後ろの席に座る。アスターが席に着くと、会場がざわついた。俺たちとは反対側に座っている薄桃色の制服を着た集団が、ひそひそと話をしていた。聞かなくても内容が分かるな。
生徒が揃うと、各校の校長が挨拶をし、交流会の趣旨を説明した。俺は前に座る生徒らの頭の間から聖クラウディウス女学院の面々を見た。フローレンスはどこにいるのかと探したが、当然ながら全く分からない。駅でぶつかったのは一瞬だったし、事前に見せてもらった資料にも、名前が出てくるだけで写真はなかった。そもそも、全員同じ制服を着て爪先の角度まで完璧に揃えた彼女らの見分けはほとんどつかなかった。
「それでは、両校の生徒とも節度を守り、存分に学び合うように」
生徒たちは教師の手前大騒ぎしなかったものの、期待に胸を膨らませている様子だ。近くの友人らと膝や肩をつつき合っている。数人はすでにお目当ての生徒を見つけたようで、寮に帰るとさっそくあの子が可愛い、この子の髪が綺麗だと言い合っていた。
翌日の授業からは生徒たちが半分に分かれて男女同数での混合授業が行われた。
一列ごとに席が決まっており、無駄なトラブルを招かないようにか、授業でペアになる組み合わせまで細かく決められていた。意外なのは、フィン王子と彼の婚約者であるフローレンスが別々の組になったことだ。忖度はなかったらしい。
フローレンスがどんな女の子なのかは、すぐに知れることになった。
かなりまずいことに、学院側が決めたアスターのパートナーが、まさに彼女だったのだ。
金色の髪に菫色の瞳をした女の子が、アスターの隣の席に楚々として座っている。俺は自分のペアになった女の子に愛想笑いしながらアスターの様子を窺い見た。信じられないことにフローレンスの方を全く見ず、料理の本を熟読していた。照れて顔を上げられないのかもしれない。
最初の授業では、前学期の復習が行われた。教師がフローレンスを指名すると、立ち上がった彼女がすらすらと答える。教室中の視線が彼女に集まり、可憐な声と優雅な佇まいに感嘆のため息を漏らした。
が、アスターは顔を上げない。今度は教科書を読んでいるようだ。なぜか俺の方がじれったくなって前に座る彼の背中を叩くと、不思議そうに振り返る。隣を見るように目配せするが、彼は一瞬フローレンスを見るとすぐにまた教科書に目線を戻してしまった。
聖クラウディウスのフローレンスが見事な解答を披露した一方、次に指名された俺は気もそぞろだったせいで破れかぶれだった。名前を呼ばれて立ち上がるが、何を聞かれたすらよく分からなかった。
くすくすと笑う高い声が聞こえ、俺は真っ赤になりながら「分かりません……」と白旗を上げた。教師が呆れたようにため息をつき、手をひらひらと振って座れと促す。顔から火が出そうだった。
「落ち込むな」
昼休み、アスターが励ましてくれた。
「人の失敗を笑うなんて、悪いのはライルの頭じゃなくてあっちの性格だ」
「ありがとう。お前って本当にいいやつだな……」
いつも空いていて食事の場所にぴったりな中庭は、今日に限って混雑していた。至る所で一年生が女の子と話し込んでいる。俺たちは出来るだけ空いているところ探した結果、池のほとりの柳の下に追い込まれた。アスターが練習だと作ってくれたサンドイッチを頬張る。美味しい。彼はなんでも器用にこなす。
よく見ると、池の対岸で王子様とお姫様がベンチに座って語らいあっていた。フィン王子とフローレンス嬢だ。絵画のような光景だった。一気にアスターに申し訳なくなり食欲が減退する。
フローレンスは、想像の五百倍可愛かった。肌は白く、頬は桃色で、目が大きい。笑い方は控えめだ。思わずときめく角度でフィン王子を見上げている。
あまりにも微笑ましい二人の姿に、アスターが傷ついてはいないかと隣を見る。彼はサンドイッチを食べながら膝に置いたメモに何かを書きつけていた。見ると、味の改善案らしい。幸い傷ついてはいなさそうだ。
午後の授業も、各教科前学期の復習が行われた。
どうやら学院より聖クラウディウス女学院の方が授業の進みが早いらしい。どの子も指名されると少し進んだ内容でも難なく答えていた。
男たちの方は麗しく良い匂いの女の子たちを眺めることに夢中で全くやる気がない。教師陣が今日を振り返りにあてた理由がよく分かる。唯一真面目に授業参加しているアスターに女生徒たちの視線が集まっているのがなんだか皮肉だった。
「ねえ、あの方のお名前、アスターさまって言うんですって」
「黒い髪と黒い目が素敵だわ。背が高くって、劇の騎士様みたい」
「とても成績が良いという噂だわ。でも孤児ですって。ご存じ? 王都で起きた魔力事故の……」
入学当初に戻ったような騒がしさだ。アスターが入学前、王都で魔力を暴走させ大聖堂を破壊したのはよほど大事件だったらしい。彼女たちは遠巻きにアスターを見ていた。
フローレンスはというと、静かに本を読んでいるか、婚約者であるフィン王子の隣にいるかだ。一体いつ恋に落ちるんだろう。それとも、特別なやりとりはなく、ただ一目惚れしただけの恋が破れて魔王になりたくなるほど彼を傷つけるのだろうか。一応数分おきにペンダントを確認しているが、白みを帯びた青のままだ。
事件は翌日、錬金術の授業中に起きた。
四人ずつグループになって行う色変え薬の復習だったが、アスターのグループで手順の間違いが起こり、鍋が噴きこぼれてしまったのだ。あわやフローレンスが鍋の中身を被ってしまうところを、間一髪アスターが助ける。熱湯が手にかかり、彼がしゃがみこんだ。
一気に騒がしくなる教室で、俺は慌ててアスターの傍に行った。彼の体を肩で支えて水道まで力づくで運び、真っ赤になった手を流水に浸す。すぐに教師が医務室の職員を連れてきた。迅速に処方された魔法薬のおかげで、アスターの手は傷一つない状態に戻った。
ほっと胸を撫で下ろしながら彼の顔を見て、俺は雷に打たれたように固まった。
色変え薬を被った彼は、髪の色が変わっていた。濡れるような黒羽色から、輝く星のような金色に。
目の前の彼は最後のライブで見た宮葉律樹そのものの姿をしていた。
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