第7話 イメージチェンジ

 応援って、いいな。

 一学期前期試験の後、俺は爽やかな気持ちに包まれていた。

 アスターとの関係も、かなり良好だ。最近は俺が引っ付いて回らずとも、彼の方が俺を待ってくれるほどになっていた。移動教室の時に教科書を抱えて廊下で俺を待つ姿を見た時は感動のあまり目尻に温かいものが滲んだ。

 一方、別の問題もあった。

 これは完全にお気持ちの話なのだが、推しである律紀と全く同じ顔のアスターから名前を呼んだり微笑みかけられたりすると、いわゆる認知されたオタクというか、成功したオタクになったような錯覚に陥り落ち着かないのだった。確かに俺は律紀が大好きなんだが、認知されるのはまたちょっと別というか……。

 それはそれとして、俺が一番気にしているのはどのタイミングでアスターに髪を切らないか打診しようかということだった。まだか? まだ親密度が足りないか? 外見についての話題はセンシティブすぎて言ってもいいものかどうか全く判断がつかない。

 ほんの数センチ前髪を切らないかということを中々言い出せないまま俺とアスターは授業が終わるのを待ち、学院の裏手にある森で薬草を採集していた。保護用の分厚いグローブを付けた手で教科書に載っている魔法薬の材料を集めていく。それほど難しい作業ではない。

 そもそも入学したばかりの俺たちは、森での行動も大分制限されていた。ちょっと見回しただけでも立ち入り禁止の立札が目に入る。あそこを越えると、危険なモンスターが出没するという目印だ。

 モンスターとか、死んでも出会いたくないもんな。俺はたとえ進級しようがあの立札の向こうには絶対に入らない、と心を決めながら持ってきた籠に積んだ薬草を放り入れた。

 いずれモンスターよりも恐ろしくなる可能性のあるアスターは立札ぎりぎりのところで薬草を摘んでいる。普通に考えれば分かることだが、凡人は立札に近づくほど危険なので手前で薬草を摘む。結果、立札に近ければ近いほど貴重な薬草が残っているのだ。アスターはあれで合理主義なところがあるらしく、俺の制止も聞かずスタスタと歩いて行ってしまった。

 俺はつかず離れずのところから、数十秒に一度くらいの頻度で「アスター」だとか「おーい」だとか「それ以上向こうに行くなよ」とか声をかけた。アスターは律儀に「うん」と返事をし続けている。

 日が暮れる前に薬草を集め終え、寮に帰ると談話室がざわついていた。クラスメイトに聞くと、彼は俺の後ろで籠を持っているアスターをちらちら気にしながら教えてくれた。

「今年の交流会は聖クラウディウス女学院が来るらしいって噂なんだ」

 なるほど。頷きながら、俺はなにかが記憶の琴線に触れるのを感じた。なんだ? なにか重要なことを忘れている気が……。

 思い出したのは夕食が終わり、風呂にも入り、さあ寝ようかとベッドに入ってからだった。カーテンの中で思い切り飛び起きる。

 聖クラウディウス女学院の美しい令嬢、フローレンス! アスターが恋に落ちる相手だ。しかし彼女はフィン王子の婚約者なので二人が結ばれることはない。失恋はアスターの心に深い傷を残し孤独を強め、彼が魔王になってしまう遠因になる。

 そうか、フローレンスとは一年生の他校交流会で出会うのか。

 管理者から見せてもらった資料は当然ながら一人の人間の人生を全て詳らかに書いてあったわけではなく、重要なことだけがピックアップされていた。そのため詳しいことは現地で、と言われてはいたが、なるほど、こんなに突然来るとは、後ろから不意打ちで殴られたような気分だ。

 こんな綱渡りじゃとてもやっていける気がしない。

 そもそも、俺の記憶も大分あやふやになってきていた。

 ああ、なんとか資料をもう一度読めないものか。俺はダメもとで両手を組み、管理者に向かってどうかもう一度資料を見せてくださいと祈ってみたが、何も起こらなかった。数分で無駄だと悟り、大人しくベッドに入る。

 次に目を開けると、化け物じみて美しい顔が目の前にあった。

「呼んだ?」

 俺は飛び上がって驚き、胸を押さえた。ばくばくばく、とものすごい速さで心臓が脈打っているのを感じる。呼んだ。たしかに俺が呼んだんだけども、寝起きに管理者の顔は美しすぎてキツい。過ぎたるは及ばざるがごとしとはいうが、美しすぎても難があるとは。

「ペンダントが白くなってるってことは上手く行ってそうだけど、どうしたの?」

 管理者は俺の胸元を指さした。ほんのわずかに元より白く輝くペンダント。俺は何回か深呼吸をして気持ちを落ち着けてから管理者にもう一度資料を見せてはもらえないか聞いた。

「えっ! 無理だよ。もう捨てちゃったもん」

「捨てた⁉ なんで……⁉」

 どう考えても捨てちゃだめだろ? 驚いて声が裏返る。管理者は悪びれもせず「一回見たら十分でしょ? 何のために二回も見るの?」と言っている。俺が正直に記憶があやふやになってきていること、大切なことを忘れているかもしれないと言うと、今度は管理者が腰を抜かしそうなほど驚いていた。

「人間ってそんなに馬鹿だっけ? ごめんね、捨てちゃって……」

 馬鹿で申し訳ない。俺は今更ながら、異世界に行ったばかりの、受験勉強のことしか考えられなくなっていた自分を恨めしく思った。あの頃死ぬ気で頑張ったおかげで今があるとはいえ、せめて初日に大事そうなことだけノートに書きとどめておくとかは出来なかったものか。己の頭の悪さが憎い。

「まあでも、凪くんは頑張ってると思うよ。正直ペンダントの色が変わるとは思ってなかったもん。すごいすごい!」

 管理者が手を叩いて褒めてくれる。ぱちぱちという男が空しく虚空に響く。相変わらずの真っ白な空間で俺は愛想笑いをした。え? 俺って失敗すると思われてるってことか?

「ぜひともこの調子で頑張ってくれたまえ! 世界の命運は君にかかっている!」

 そう言うと、管理者が俺の背中をぽん、と叩いた。ぐるっと目の回る感覚がして、まばたきの間に自分が寮の部屋に戻ってきたことを悟る。なんだったんだ。まるで嵐だ。なんの解決にもなってないし。

 時計を見ると、今更寝直すにも微妙な時間だった。仕方なく起き上がり、せめて今覚えていることだけでもメモしておくか、とノートを開いてみるが、まったくペンが進まなかった。

 はっきり覚えているこれからのことは、フローレンスの件、学院生活のどのタイミングかで起こる魔力の暴走事故、クモのモンスターに襲われて大けがをすること、そして最後の最後、身に覚えのない罪で処刑されそうになり、ついには魔王になってしまうということ。

 最後だけはなんとしても阻止しなければならない。

 その他になんとかできそうなことといえば、クモのモンスターに襲われないよう、彼が裏の森にある立札の奥へ行かないようにすること。魔力が暴走しないよう制御する方法を身につけてもらうことくらいだが、どちらもアスターの協力が必要不可欠で俺一人じゃどうしようもない。

 フローレンスの件に至っては「お前があの娘に恋をすると破滅が待っているから恋をするな」と言ってどうにかなるものでもない。

 頭を悩ませていると、ふっと天啓が降ってきた。

 そうだ、今こそイメージチェンジのタイミングだ。

 律樹の顔さえあれば、女の子なんて入れ食いなのだ。仮にフローレンスに振られたって他にもいい女の子が見つかる可能性がぐっと上がる。失恋の傷は新しい恋で癒せというし。

 俺は使命感に燃えて立ち上がった。朝になりアスターの目が覚めるまで、ひたすら口の中で「前髪が長いと前が見にくいだろ。そのままだと目も悪くなるし、少し切ったらどうだ? 俺が切ってやるよ」という定型文をひたすら繰り返し続けた。

 起床一番に上記のセリフを捲し立てられたアスターは眉を寄せて訝し気にしながらもあまりの熱意に押されて「うん」と頷いた。

 こいつ、最近俺の言うこと全てにうんと答えていないか?

 が、やっと本人の了承を得られたのだ。この機を逃してなるものかとさっそくアスターをテラスに用意した椅子に座らせる。下に新聞を敷いて作った、簡易散髪台だ。鋏を構えて、精神を集中させる。俺のこの鋏に、世界の命運がかかっている。

 じゃきん、と音がしてぱらぱらと髪が落ちる。アスターは目を閉じて大人しく椅子に座っていた。

 前髪を切ったアスターがどうなったか? そりゃもう当然、この国きっての美男子フィン・クラウディウスに劣らないほどの男になった。あまりの眩さに目が焼かれるかと思ったほどだ。

 久しぶりの前髪を介さずに見る律樹の顔、やばすぎる。あまりの尊さに鋏を持ったまま泣き崩れそうだった。心境としては、朽ちて汚れていた祠をきれいに掃除して立て直した気分というか、あるべきものがあるべきところに戻ってきた嬉しさがある。

 自分の顔にどれだけの価値があるのか知らないアスターは鏡を見て「どこが変わった?」と言っていたが、大違いだろうが!

 現に登校した途端、これまで目を逸らすばかりだったクラスメイト達の視線を根こそぎ奪っている。いいぞ。その調子だアスター。このまま他校交流会でクラウディウス女学院の女学生全員の心を奪ってこい!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る