イケオヤジ、異世界で天地を説く
MASA-NO-SUKE
第1話 胃もたれと異世界召喚
如月煌真、四十五歳。
大手商社の営業部長。
肩書きはそこそこの重みを持ち、社内の人間からは「仕事ができるイケオヤジ」と評されることが多い。
数字を落とさない。取引先の信頼を得る。部下に無茶をさせない。
これだけで十分に“優秀”と呼ばれるのだろう。
だが、彼自身は常に冷めた視点を持っていた。
(優秀、ね……。そんな言葉を真に受けたら、途端に落ちるのが営業だ。
数字は一夜でひっくり返る。信頼も、一度の失言で壊れる。
俺はただ、危うい均衡の上で、毎日を積み上げているに過ぎない)
人心掌握。
それが如月の最大の武器であり、同時に呪いでもあった。
――女性関係がいい例だ。
結婚歴はない。
だが、好意を寄せられれば肉体関係を持つことはある。
ただし、それを「交際」と呼んだことは一度もない。
相手が「私だけを見てくれますよね」と問いかければ、煌真は真剣に「君は特別だ」と答える。
嘘ではない。本当にその瞬間は特別なのだ。
だが彼はその言葉に「将来」や「永続性」を付け加えない。
だから不思議と、彼を恨む女性はいなかった。
真摯に時間を過ごし、裏切りの言葉は吐かず、誠実に去っていく。
それが相手の心を満たし、逆に「また会いたい」と思わせてしまうのだ。
周囲からは「イケオヤジは女泣かせ」と陰口のひとつでもあってよさそうなものだが、現実には逆だ。
むしろ女性たちからは「如月部長は誠実」「彼といると安心する」と評され、距離を縮めたがる者さえ多い。
(……営業と同じだ。顧客に「この人は自分のために時間を使ってくれている」と思わせれば、契約率は跳ね上がる。
俺にとって女性関係もまた、“人心掌握の訓練”にすぎない。必要経費だ)
そう言い聞かせなければ、罪悪感に呑まれる。
そしてたまに――ふと胃が重くなる。
(……これも、あの男の血なのか)
遊び人で借金を作り、家を捨てた父。
母を泣かせ、やがて病で倒れた彼女の手を握ることもなく消えた。
あの血が、自分の中にも流れているのか。
真剣に向き合っているつもりでも、結婚を避け、家庭を作らない姿勢は、父に似ていないか。
思えば、女性を抱くときでさえ――ふと父の顔がよぎることがある。
甘い吐息の中で、自分は父の生き写しなのではないかと。
そのたびに、胸の奥で冷たい氷のような感覚が広がり、胃の奥がきゅうと縮んだ。
そして今――。
彼は、見知らぬ空の下に立っていた。
草の匂いが強烈だ。鼻腔を刺し、吐息が荒くなるほどに濃い。
周囲には槍を持つ兵士たち。甲冑の軋む音が耳に重く響き、遠くで旗がはためく。
どう見ても、現実の日本ではありえない光景だった。
「……戦場か? 冗談だろ。今日の予定には“戦場ロケ”なんて入ってなかったが」
自嘲を混ぜて呟く。
だが、その声は意外なほど冷静だった。
不条理に放り込まれても、混乱よりも先に「現状分析」が頭を占める。
――営業部長としての習性だ。
そのとき、視界に薄い光の窓が浮かんだ。
――《特典スキル:万能薬調合(胃腸系に強い)》
――《サブスキル:言質奪取(軽度の魔術付与)》
――《パッシブ:中年の信頼感(初対面の好感度+小)》
「……“中年の信頼感”。なんだそのパラメータ。俺のKGIか?」
乾いた笑いが漏れる。
だが内心では、「中年だからこそ相手の安心を得やすい」という評価が、あながち間違っていないのだろうと理解していた。
現に、現世でも女性も部下も、彼を“安全な港”として見てしまう。
それは彼の武器であり、同時に呪縛でもあった。
父親譲りの“人を惹きつける何か”なのかもしれない。
その考えがまた、胃を重くする。
遠くから声が聞こえた。
青い外套の青年が駆け寄ってくる。切れ長の目に緊張が宿り、その声は震えていた。
「召喚、成功! あなたが伝承の軍師――」
「いや、俺は営業部長だ」
「……え?」
「肩書きは大事だ。人は肩書きで期待値を決める。
賢者なんて呼ばれたら、無茶振りの天井が上がるだろう。軍師でいい。営業部長として請け負う」
青年はきょとんとしたあと、すぐに真剣に頷いた。
名は副官メレル。
彼の目には、不安と同時に「この男ならどうにかしてくれるのでは」という淡い期待が混じっていた。
その期待の眼差しに、煌真はふと現世の女性たちを重ねる。
――ベッドの上で「特別ですよね」と囁かれたあの視線。
それと同じ種類の“依存”を、彼はよく知っていた。
(……またか。俺はどこへ行っても、こうして“頼られる”役になるのか)
それは誇りでもあり、同時に恐怖でもあった。
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