第30話 古代魔法
「分かりました!」
リナは一歩前に出る。その顔には恐れの影すらない。
「己も準備に取り掛かろう」
クロウが静かに詠唱を始める。
憑依術がリナを包み、光が身体に絡みつく。
同時にクロウは、リナに重層の防御魔法を展開した。
ゆっくりと、だが確実に憑依は完成していく。
リナの呼吸が変わる。空気が震え、周囲の魔力が一点に集中していく。
そして、リナは杖オミクロンを握りしめ、詠唱を始めた。
四つの呪文。
それは、幾百の訓練を経て磨き上げた究極の詠唱。
一つ、また一つと紡がれていく言葉が、光となって舞い上がる。
四重の魔法陣が彼女の周囲に浮かび、それぞれが異なる輝きを放つ。
その光が交差し、重なり、やがて一つの巨大な結晶を形づくる。
空気が震える。
光が唸る。
リナは杖を高く掲げ、最終詠唱を解き放った。
〈ルム=イグニス、アルカ=テノス、
ノク=ゼル=ルド=アル=マギア、イグ=ノスティア。〉
リナの杖に刻まれた古代文字――オミクロンが、紫色の閃光を放つ。
──古代魔法。
──黎滅の
瞬間、天空が裂けた。
光輪のような魔法陣が次々と空に浮かび上がり、夜空全体を覆い尽くす。
まるで神々が裁きを下すかのように、無数の環が輝きを増していく。
「……これが、古代魔法……」
アーサーが思わず息を呑む。
古の時代、神殺しの大戦で一度だけ使用されたと伝わる禁忌の魔法。
その力が、今ここに蘇った。
数千の神環が、天から地上へと降り注ぐ。
地鳴りが轟き、大気が裂ける。
白光が爆ぜ、闇を喰らい尽くす。
神環に少しでも触れたモンスターは、すべて浄化され、白い粒子となって消滅していく。
その光はあまりにも神々しく、同時にあまりにも恐ろしかった。
十二万の軍勢。
そのすべてが、逃れることなく白の炎に包まれていく。兵たちの叫びも、剣が交わる音も、すべてが光に飲まれ、消え去る。
轟音が、空を裂いた。
一つ、また一つと神環が地上に落ち、地面を焼き、建物を砕き、世界を白く塗りつぶしていく。炎と光の奔流が、視界すべてを覆い尽くす。
そして――静寂。
すべての神環が地に届いたその瞬間、あらゆる命は消え去っていた。音も、風も、匂いもない。生の残滓すら存在せず、ただ白一色の世界だけが、静かに、冷たく、そこに残された。
「……リナ!」
アーサーが駆け寄る。
リナの唇が震え、赤い血が滴る。
彼女はそのまま膝をつき、地面に手をついた。
禁術の代償。
その力は、彼女の肉体にあまりにも大きな負荷を与えていた。
それでもリナは、倒れかけた身体を支え、空を見上げた。
「……みんな……守れた……ね……」
そう言い残し、彼女は意識を失って崩れ落ちた。
アーサーがその体を抱き上げる。
風が吹き抜け、白い灰が舞った。
戦場は、静寂と光だけを残していた――。
――――
イーライとリナは禁術により、完全な戦闘不能状態となってしまった。
その代償はあまりに大きく、魔力も生命力も削り取られた二人の姿に、誰も言葉をかけられなかった。
遊撃隊は進軍を止め、平原に野営地を設ける。
夕暮れ、風が冷たくなり始めたころ、隊員たちは無言のままテントを張り、焚き火の火がようやく灯った。
その夜、火を囲みながら、六名の隊長たちによる軍議が開かれた。
アーサー、ゼノ、マキヤ、クロウ、レオン、ルーク――この六名が静かに座り、戦場の残り香が漂う中、次の作戦について話し合う。
アーサーが最初に口を開いた。
「みんな!今日は本当にお疲れ様だったよ。
成果も想像以上に出たし、明日もこの調子で行きたいところだけど……イーライとリナの体調の回復具合はどんなかな?」
焚き火の炎が、アーサーの顔を赤く照らす。
その問いに、マキヤが肩を落としながら答えた。
「イーライの方は……かすかにだけど回復の兆しが見えている。
でも、リナはまだダメだね。負担が大きすぎたんだと思う」
ゼノが静かに言葉を継ぐ。
「あの魔法は、何度も打てる代物ではないかもしれぬ。
恐らく使用するたび、生命エネルギーが削られていく仕組みだろう。
二人の魔法発動は……あと一発が限界かもしれぬ」
その声は低く、焚き火の音にかき消されそうだった。
クロウが腕を組み、重々しくうなずく。
「己も侮っておった。
古代魔法と禁術が、これほどまでに人体へ負担をかけるとはな……。
ゼノ殿が言うように、あと一発が限界だと推測する」
沈黙が落ちる。
その静けさを破ったのは、レオンだった。
「……一度、街に戻って、完全に体調を回復させた方がいいんじゃないのか?」
「そうだね。」
アーサーは小さくうなずくと、ゆっくり立ち上がった。
「今回の遠征はここまでにしよう。
魔力を込めた目印の石を置いておけば、いつでも転移魔法で戻ってこられるしな。」
そう言い残し、アーサーは夜風の中へと歩み出る。
外では彼の声が響き、大規模転移陣が起動した。
眩い光が野営地を包み込み、魔法陣の紋様が地面を走る。
ヴァルスレイ、ゼウスロウ、魔王軍の部隊が、次々と転移陣の中心に入っていく。
そして瞬く間に、彼らは魔都市ニドへと帰還した。
――――
遠征終了から、三日後。
アーサーはクロウと並んで立ち、静かに語り合っていた。
「禁術と古代魔法はあと一発が限界だ。
融合魔法との実験ができなくなっちゃったけど……クロウ的には、どう思う?」
クロウは宙に浮かびながら、ゆっくりと答えた。
「まず、イーライが禁術を成功させた。
そしてリナも古代魔法を成功させた。
さらに、己の禁術は無条件で発動可能。
これで三つの条件が整った。」
彼の声音には、理論を重ねてきた者の確信があった。
「本来であれば、リナの古代創世魔法に、イーライの禁術、そして己の禁術を融合させる手筈であった。
だが……魔法を融合した後の恐ろしい魔力に、リナの体は持たないだろうと判断した。」
今日のクロウは、珍しくよくしゃべる。
その横顔には、焦りと決意の両方が見えていた。
「己の禁術を起動しながら、イーライの神聖魔法の禁術とリナの古代創世魔法を融合させる……
己の身は無事では済まぬだろうが、今はこれしか方法がない。」
アーサーは苦笑を浮かべた。
「魔法融合の件は、クロウに任せるよ。俺じゃ理解できないしね。」
「となると、次の遠征が最後になるかもしれないな。」
アーサーは遠くを見つめながら言った。
「クロウ、大役を頼むよ。」
「己が叡智を尽くして、成功させてみせよう。」
クロウは静かにうなずいた。
その時、背後からゼノの声が響いた。
「なあ、アーサー……一つ気になることがあるのだが。」
「やあ、ゼノ。何かあったのか?」
アーサーが笑みを返す。
「うむ、前回の遠征で気づいたことがある。
闇が濃くなる方向の先には、我が城――魔王ザギオンの城があるはずだ。
原初の闇は、まだあの場所に潜んでいる可能性が高い。」
アーサーは思考を巡らせた。前回進軍した位置から、魔王ザギオンの城までは約二日。二日なら、レオンもゼロスもセスラも耐えてくれるはずだ。
イーライとリナの体調が回復次第、最後の遠征を決行することを心に決めた。彼らの覚悟と炎のような意志が胸中に鮮明に浮かぶ。
──その夜。
ヴァルスレイ、ゼロスロア、セスラのメンバーが再び集まり、軍議が開かれた。焚き火が燃え、炎が静かに彼らの顔を照らす。
木々の影が揺れ、夜の闇が戦士たちを包み、遠くで微かに聞こえる動物の声や風の音が緊張感をさらに際立たせていた。
「みんな!集まってくれてありがとう。これから軍議を行う!」
アーサーが声を張る。焚き火の光が顔を赤く染め、夜の冷気を一瞬だけ忘れさせる。
「我ら遊撃隊は、イーライとリナの体調が回復次第、最後の遠征に向かう!」
アーサーの言葉に、レオンが眉をひそめた。
「次で最後なのか?話では、数ヶ月かかると聞いていたが?」
「こちらのクランの事情で申し訳ない。少し状況が変わってしまって、作戦を変更せざるを得なくなった。」
アーサーは深く頭を下げた。火の揺らめきが彼の真剣さを際立たせる。
「転移魔法で、先日の最前線に転移する。そこから百キロ先にある城――そこに原初の闇がいる可能性が高い!
レオンとセスラは、そこまででいい。あとは転移魔法で遠くに避難しておいてくれ!」
その声に、焚き火の周囲に沈黙が一瞬だけ広がった。緊張と覚悟が皆の胸を突き刺す。
レオンとセスラは黙って頷いた。その表情には、覚悟と信頼が宿っていた。焚き火の赤い光が揺らめき、影が一層長く伸びる。
風が静かに夜を撫で、遠くからかすかに聞こえる戦場の残響が、最後の遠征の重みを彼らの胸に刻む。
アーサーは周囲を見渡し、真剣な眼差しで口を開いた。
「他に何かあるかな?」
戦場の幕舎の中、緊張が張り詰めている。外では砂を巻き上げる風が吹き、遠くで響く金属音が、戦乱の余韻を静かに思い出させた。セスラが立ち上がり、姿勢を正して報告する。
「我が後方部隊は、補給と支援、いずれも順調に進んでおります。ただし、最後方において数度の小規模な交戦が発生しました。しかし、すべて無事に制圧しております」
報告の声には疲労の色が滲んでいたが、その言葉の一つ一つには確かな自信があった。
アーサーは軽く頷き、穏やかに礼を述べた。
「助かるよ、セスラ。君たちが支えてくれているから、前線は安心して戦える」
言葉は柔らかかったが、その奥には深い信頼があった。
そして、アーサーは次にゼウスロアへと視線を向ける。
「次に、ゼウスロアに聞いておきたいんだけど、通常戦闘と同じように戦えているかい?」
名を呼ばれたレオンは即座に背筋を伸ばし、笑みを浮かべて応えた。
「むしろすごく調子いいぜ!エクスカリバーは最高だし、他のメンバーも貰った伝説級の武器を使わせてもらっているからな!」
言葉の端々から高揚が伝わる。仲間の顔にもわずかな笑みが浮かんだ。
アーサーもその空気に微笑みを返す。
「それは良かった!ゼウスロアはこの作戦の要だからな!凄く期待してるよ!」
そう言うアーサーの声は明るく、それでいて背後には、計り知れない重圧を包み隠す強さがあった。
彼は立ち上がり、全員に向けて告げる。
「二人の体力が回復次第、連絡を入れるから、それまで待機をお願いするよ!」
その言葉とともに、幕舎の中の緊張がゆるやかに解ける。
重苦しい空気の中に一瞬だけ安堵が生まれ、誰もが静かに立ち上がった。
それは一時の休息──嵐の前の静寂であった。
――――
─一週間後
イーライの体調は徐々に戻っていた。
走ることはまだできないものの、歩くことにはもう支障がない。
朝になると、少し遠くの丘まで散歩し、帰り道で屋台の焼き菓子を買って頬張る──そんな姿が見られるようになった。
かつて命を削るほどの魔法を放った少年の姿は、もうそこにはない。
代わりに、静かに、それでいて確かな光を宿した瞳を持つ青年がいた。
だが、一方で。
リナはまだベッドの上にいた。
意識を取り戻したのは数日前。
しかし体の奥に残る疲弊は、想像を超えていた。
古代魔法を発動した直後の反動は凄まじく、魔力も生命力も削られ、いまだ立ち上がることすら難しい。
それでもリナは、枕元のノートに筆を走らせ、失われた魔法式を解析していた。
(あの魔法は成功した……確かに、力は出せた。でも……)
視線が窓の外に向かう。
雲が流れ、遠くの空がゆっくりと明るくなる。
それを見つめながら、リナは胸の奥に湧き上がる不安を押し殺した。
今回の魔法は、古代魔法。
だが、次に待つのは――古代創世魔法。
世界そのものを生み出し、滅ぼすほどの力を秘めた、禁忌中の禁忌。
必要な魔力量は桁違いで、いまの自分では到底耐えられない。
(古代魔法だけでこの有様……創世魔法を使ったら、きっと……)
頭の中で、嫌でもその先が浮かぶ。
全身の血が冷たくなり、指先が震えた。
それでも、彼女は迷わなかった。
震える唇から、決意がこぼれる。
(やっぱり……命を全部使うしかない!)
その言葉は、静かな部屋の中に確かな熱を生んだ。
責任の重さは分かっている。
自分の選択ひとつで、世界の命運が左右される。
その重圧に押しつぶされそうになりながらも、リナは顔を上げた。
胸の奥で燃えるものがあった。
それは、希望。
そして、誰よりも強い「願い」だった。
(私がダメになっちゃっても、みんなが笑える世界が来るなら……最高だよね)
窓の外、朝日が差し込む。
その光が、リナの頬をやさしく照らした。
薄い笑みを浮かべるその横顔には、少女の儚さと、戦士の覚悟が同居していた。
──そして、運命の時は、確実に近づいていた。
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