第28話 融合魔法

リナとクロウは日夜、訓練を続けていた。

その日々は、想像を絶する壮絶さを伴った。


四つの呪文を同時に詠唱し、それを一つに束ねる──そんな不可能に思える行為を、二人は挑戦し続けていたのだ。

だが、挑戦せねば古代魔法は決して発動しない。


リナは息を深く吸い込み、右手の平と左手の平、さらに胸元に憑依する口の力を感じ取る。最後に三つの口と自らの口で、古代語の四つの呪文を規則正しく詠唱していく。


(ここからが本番……慎重に、慎重に、注意深く……)


リナの瞳は鋭く光り、額には細かい汗が浮かぶ。彼女の全身の魔力が、微細な振動を伴いながら流れを整えていた。


四つの異なる魔力の流れが、彼女の指先、手の平、胸、そして口から絡み合い、一つの軌道にまとまろうとしている。


魔力の乱れが生じるたび、リナはすかさず指先の感覚でそれを修正する。

「そう……その調子……」自らに呟く声はかすかに震えていた。

魔力は波のように揺らぎ、時に暴れ出す。だが彼女の集中は微動だにせず、全ての流れを均一に、完璧に整える。


時折、微細な衝撃で床が震え、周囲の空気が唸る。だがリナの目は閉じられず、彼女の意識は一点に集中していた。


ゆっくりと、そして確実に、四つの呪文が融合し、一つの力として結晶していく。


〈ゼル=カリス、オル=ネフィア、レム=アークス。

アス=フィニス、ヴァル=エターナ、ノク=シル=アム〉


長い時間が過ぎ、幾多の困難を乗り越えた末、ついに完成する──


古代魔法

── 神断の呼吸ゼ=オル=レム


リナの前に三メートル程の白い球体が静かに出現した。

その球体の周囲には、古代文字が浮かび上がり、十字の形を描きながらゆっくりと回転している。


「はっ……ついに完成しました……」


リナは力尽きてしまい、膝をつき魔力の切れた体を床に預ける。

汗で濡れた髪が額に貼りつき、呼吸は荒い。だがその姿は、達成感と疲労の混ざった光を宿していた。


クロウは浮遊しながら、静かにリナに視線を落とす。

「リナ、ご苦労だった。主の覚悟、しかとこの目で見届けた。己は主を魔の頂きに到達させる」


その声は、穏やかでありながらも、強固な決意を帯びていた。

クロウの瞳は揺るがず、空中で微かに魔力を揺らしながらも、リナの体を守るように漂う。


「これで古代魔法と魔法の禁術、神聖魔法の禁術を現代に蘇らせた。だが、油断は死と直結する。最後の一手、これが必須だ。その鍵となるのは、魔法融合の書、すなわち《融合魔法》……」


クロウは魔法融合の書を取り出す。何度も読み込まれた古びた頁には、無数の記号と文字がぎっしりと記されている。

「全て違う理を、暴走なく完全に融合させる……どんな代償を払ってでも、必ず成功させる」


彼の声は低く響き、静かな緊迫感を漂わせる。

浮遊しながらクロウは、リナが目覚めるのをじっと待った。

その視線は優しく、しかし一切の揺らぎを許さぬ鋭さを持っていた。


――――


朝、魔王城へ出発したゼノは、夕方には街に戻っていた。

その姿は、いつもと変わらぬ静けさを保ちながらも、どこか誇りに満ちているように見えた。


まるで、ひとつの戦を終えた将のような落ち着きがあった。


その夜、メンバーは宿の食堂に集まり、暖かな明かりの下で夕食を囲んでいた。


木のテーブルには温かなスープと焼き立てのパン、香ばしい肉料理が並び、久々に安堵の空気が流れる。

だがその中で、誰もがゼノの帰還を心の奥で待っていたのだ。


すると、扉が静かに開いた。

夜風を背に、ゼノが帰ってきたのだ。


その姿はいつもと変わらない。

冷静で、鋭く、まるで周囲の空気ごと切り裂くような気迫をまとっている。


長いコートを無造作に脱ぎ、椅子に腰を下ろす。

革がきしむ音が、やけに静かな食堂に響いた。


ゼノは何も言わず、ただ黙って杯を手に取る。

その横顔には、深い思索の影が差していた。


誰もが息をのむ。

彼の口からどんな言葉が出るのか──それだけで、場の空気が張りつめていく。


最初に口を開いたのは、やはりゼノだった。


「魔王レグザードとの会談、愉快であったぞ。」


愉快?

みんなが一斉に首をかしげた。

魔王との会談が「愉快」などという言葉で済むはずがない。


「結果から言うと、補給と後方支援の件は、魔王レグザードが快く引き受けてくれた。」


ゼノの声音には確かな自信が滲み、その表情には達成感が宿っていた。


アーサーが思わず声を上げる。


「現魔王が快くそんなこと引き受けてくれるわけないだろ!ゼノ、何をした?」


「特に何もしておらんぞ。ただ一度、突きを食らわせただけだ。」


「……やっぱりそうなるんだね!」


誰かが笑い、次の瞬間、全員が大爆笑した。

食堂の空気が一気に明るくなる。


アーサーは目尻を下げ、うれしそうに言った。


「この大切な案件、無事まとめてくれて本当にありがと!さすが魔王ザギオンだな!」


「うむ。我にとっては旅行のようなものだったぞ。」


ゼノは杯を傾け、微笑みを浮かべた。

その余裕の姿に、仲間たちは改めて彼の底知れぬ力を思い知らされる。


「補給と後方支援の担当者はセスラとなった。遠征前に一度、打ち合わせをする必要がある。そして魔王レグザードは、原初の闇を正式な敵と認定し、増軍に踏み切るつもりだ。」


ゼノは静かに言葉を締めると、ゆっくりと酒を口に含んだ。

その背に、戦場で百を斬った男の風格が漂っていた。


アーサーは深く頷きながら、次の話題へと移る。


「これで、護衛部隊と補給は確保できた。後は……禁術だ。リナ、クロウ、古代魔法の方はうまくいってるか?」


リナは緊張を含んだ面持ちで、まっすぐに答えた。


「今日、古代魔法の起動が確認できました。発動まではまだですが、これは簡単に扱える魔法じゃありません……。ですが、起動時間を短縮できるはずです。もう少し時間をください。」


リナは深く頭を下げた。

その額には、幾晩も眠らずに詠唱を続けた者の汗が滲んでいた。


マキヤが、優しく声をかける。


「リナは頑張りすぎだから、少しは手を抜く方がちょうどいいんじゃないの?」


「リナの忍耐力はタガが外れておる。言葉通り、必ずやってのけるだろう。」


クロウの低い声が響いた瞬間、リナがはっと顔を上げた。


「クロウさん!魔法融合の書の解読はどこまで進みましたか?」


クロウは杯を置き、静かに答えた。


「既に解読してある。そして火・水・土・風・雷・闇 六種類の魔法の融合にも成功している。だが、これを禁術に応用できるかどうかは、実際に試さねば分からぬな。」


その言葉に、アーサーが思索に沈む。


「イーライの神聖魔法の禁術は完成してたよね?今、発動できる状態なのか?」


「うん!発動できる状態だよ!でもね、禁術を使う時は他の魔法がぜんぜん使えなくなるんだ。禁術のみに集中しないと、発動できないからねー。」


イーライはいつもの調子で笑ったが、その瞳には覚悟の光が宿っていた。

その笑顔の裏に、どれほどの代償を背負っているのかを、皆が理解していた。


アーサーは考えを巡らせる。


(聖剣ゼータと魔剣オメガは手に入れた。神聖魔法の禁術、魔法の禁術、古代魔法の起動……

ピースは確実に揃ってきている。残るは切り札、魔法融合。これを実戦で試す必要があるな。)


そして、決意を込めて立ち上がった。


「みんな聞いてくれ!ヴァルスレイは一ヵ月後、第一回目の闇への進軍を開始する。これは、闇の軍勢を相手にどこまで戦えるかを確認し、古代魔法と禁術の発動を実験する場とする!」


その声は食堂の奥まで響き、全員の胸を震わせた。


リナがすぐに答える。


「アーサー!もちろん大丈夫だよー!僕がんばる!」


イーライの明るい声が加わり、空気が熱を帯びていく。


「もし許されるなら、禁術同士の融合を試させてもらえぬか?かなりの被害が出ると思うが、ぶっつけ本番では荷が重すぎる。」


クロウの言葉は冷静だが、その瞳は炎のように燃えていた。


「もちろんだ!クロウ。《融合魔法》は必ず必要になる!チャンスがあったら試してみてくれ。遠慮はいらない。」


「承知した。」


その時、不意にゼノが静かに口を開く。


「そう言えば最近、ダンジョンに黒いモンスターが多く出現しているらしいな。それも低階層から、ミノタウロスやトロール、ヒュドラまで上がってきている……という噂話を聞いた。黒いモンスター、というところが引っかかるのだ。」


ゼノは酒を一口飲み、目を細めた。


「何か気にかかることでもあるのか?」


アーサーの問いに、ゼノはゆっくりと答えた。


「これはあくまで我の予想だが……現在、闇は魔大陸を侵食しているように見える。だが実のところ、人族のダンジョンをも最下層から侵食しているのではないか──ということだ。」


彼は目を閉じ、淡々と続ける。


「我は三年間、闇と戦い続けた。そのすべてのモンスターが黒色をしておった。ミノタウロスも例外ではない。それと同じ存在が人族の地から現れているということは……我らが思っている以上に、闇の侵食は早いのかもしれんな。」


「それは有り得るな。俺もダンジョンの第一階層で、第五階層の黒いミノタウロスを狩ったことがある。あの時のみんなの騒ぎぶりはすごかった。」


アーサーは真剣な表情で言った。


「人族の地も危ないってことだね!」


マキヤの瞳に闘志が灯る。


「急がないといけませんね。」


リナもまた、強く拳を握った。


彼らは互いに視線を交わし、無言で頷いた。

そして再び、それぞれの戦いへと戻っていく。

闇の侵食が迫る中、それぞれの想いが静かに燃え始めていた。


――――


─ 一ヶ月後


魔都市ニドは、まるで戦いに備える巨大な獣のように息づいていた。

闇の侵攻を阻むため、全勢力を結集して編成された遊撃隊。

その陣容は、まさしく伝説級だった。


先頭を務めるのは──

SSSランククラン 蒼雷牙ゼウスロア


リーダーはSSSランク、聖剣士 レオン・アークライト。

副リーダーSSランク、剣士 ルーク・グレイブ。

SSSランク槍士 レイ・ボルト。

SSSランク弓士 リアン・ヴェイル。

SSランク魔道師 ネイト・リーパー。

そしてSSランク治癒士 リリー・ブリーズ。


彼らはすでに数々の伝説級討伐を成し遂げた最強のクランであり、その名を知らぬ者はいない。


次に続くのは、

Fランククラン──闇斬ヴァルスレイ


Fランク冒険者 アーサー・ソードハート。

Fランク冒険者 ゼノ・ダークヴェイン。

Fランク冒険者 イーライ・ナイトレイ。

Fランク冒険者 リナ・セラフィス。

Fランク冒険者 マキヤ・ハヤセ。

Fランク冒険者 クロウ・ネクロフェル。


彼らは階級こそ最下位だが、その戦績と異能は規格外。

とりわけ、ゼノとアーサーの名はすでに英雄譚として囁かれている。


最後に、魔王軍補給後方支援部隊。

その中心に立つのは

──魔王軍四天王、魔法士団長 セスラ・ゼーリス。


その配下には、アークデーモン十体、ヒュドラ五十体、ケルベロス五十体、キマイラ五十体、サイクロプス五十体。

まさに、異種族混合の最強戦力がここに集結していた。


この“遊撃隊”は、人族と魔族の垣根を越えた史上初の合同部隊。

名実ともに、最強の軍である。


――――


アーサー、レオン、セスラの三人は天幕の中で地図を広げていた。

テーブルの上にはランプの光が揺れ、重々しい空気が漂う。


アーサーは地図を指でなぞりながら言う。

「闇の濃度は、北東から急速に上がっている。だが……真正面からぶつかるのは愚策だ。西を迂回して背面を叩く」


レオンが頷き、セスラが目を細めた。

「北東正面はすでに瘴気が濃すぎる。正面突破はほぼ自殺行為。賢明な判断ですわ」


アーサーは短く息を吐いた。

(問題は……この二人が上手くやれるか、だ)


沈黙の中、アーサーは思い切ってセスラに尋ねた。


「正直、人族と組むの嫌じゃないか?」


セスラは驚くこともなく微笑した。

「これは好き嫌いではなく、滅ぼさねばならぬ敵がいるという事実が、私を動かしているのです。それに、アーサー様も人族でしょう?」


そう言って小さく笑う。

その笑みには、過去の戦を乗り越えた者だけが持つ強さがあった。


次に、アーサーはレオンに視線を向けた。

「レオン。実際、魔族と組んでどう思う?」


レオンはしばし沈黙し、拳を握る。

「正直……思うところはある。大戦で、俺の仲間は多く死んだ。魔族に……いや、“戦争”に殺された」


沈黙が落ちた。

だがすぐに、レオンは顔を上げ、力強く言い放つ。


「だがな、これはお前からの依頼だ。そしてただの依頼じゃない。──“世界の終焉を止めるための戦い”だ。そんなもの、断る理由があるか!」


「ありがとう!レオン」


二人の拳が強くぶつかり合い、信頼の音が響いた。


――――


そして、第一回──闇への遠征が始まった。


北西進む街道は、かつて交易で栄えたはずの道。

だが今は、草が生い茂り、空気に黒い瘴気が混じっている。


このまま北に直進すれば、すぐに闇と衝突する。

遊撃隊は北西へと進路を取り、慎重に進軍を続けた。


目的地までの距離、およそ五百キロ。

行軍は十四日間に及び、昼夜を問わぬ移動の末、闇の境界に辿り着いた。


そこに拠点を築き、テントを張り巡らせる。

周囲の警戒も完璧。

ここまでは何一つ問題はなかった。──だが、問題はここからだ。


――――


ゼノがアーサーに近づき、静かに告げた。


「アーサーには言っておらなかったが、我には右腕一人と、四人の配下がおる。いずれもデーモンロードだ。強さは保証する。その五人を右翼、レオンを左翼に置けば、成功の確率はさらに高まると思うぞ」


「右腕……?」


アーサーが目を細めると、ゼノの影が波打った。

次の瞬間、地面が影に溶けるように沈み込み、そこから五体のデーモンロードが姿を現した。


全員が黒い甲冑に身を包み、燃えるような瞳で主を見つめている。

その光景に、周囲の兵たちは息を呑んだ。


「王よ……漆黒の奈落より参上いたしました。我が刃、我が魂、すべては王のために。如何様な命を……?」


ゼノの声が低く響く。

「うむ。我らの護衛の任務だ。死んでも我らを守れ」


「承知──」


地面が震えるような重低音の返答。

その威圧感に、空気が一瞬凍りついた。

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