第8話 暴発の魔道師

三人は、リファレットの家におじゃますることになった。

だが、そこに広がっていた光景は、目を見張るものだった。


壁は崩れ、窓は砕け、家具は散乱している。

戦いの爪あとがあまりに生々しく、ここでどれほどの激闘があったのかを雄弁に物語っていた。


「改めて、今回は本当にありがとうございました。イーライのヒールも大いに役立ったようですし……なにより、あの大規模魔法で魔族を壊滅に追い込んでいただいたこと、深く御礼申し上げます」


リファレットは深々と頭を下げた。

その姿は、長き時を生きた者の重みを感じさせる。


千年の時を生きるエルフである彼女は、魔族を焼き尽くした大魔法がゼノの仕業だと、すでに気づいているようだった。


「危うい戦況でしたね……ですが、また魔族が攻めてくる可能性もあるのではありませんか?」


アーサーが、不安げな声で問いかける。


「ええ。まず間違いなく再び攻めてくるでしょう。ただ、今回の被害で魔族側も兵を立て直すのに相当な時間を要すると考えられます」


その言葉に、場の空気が一気に重くなる。

誰もが口をつぐみ、表情を曇らせた。


アーサーとゼノにとっては、本来この戦争は重要ではなかった。

なぜなら――原初の闇に直接関わるものではないからだ。


しかし、見過ごしてよいものでもない。

ただ黙っているには、あまりに血の匂いが濃かった。


「さて……どうしたものか」


ゼノは腕を組み、深く考え込む。


するとアーサーが口を開いた。


「拠点を、この森から別の森に移すことはできないのですか?」


リファレットは、すぐに首を振った。


「できません。この森は、何千年も前からエルフたちが守り抜いてきた聖地。それを捨てることなど……あり得ないのです」


その言葉には、揺るぎない決意がこもっていた。


「ですが、どうか皆さんは心配なさらないでください。こちらにも立て直す時間はできました。次こそは、皆さまのお力を借りずとも、我らの手で必ず魔族を打ち倒してみせます」


リファレットの瞳が炎のように燃えていた。

その眼差しに、アーサーは思わず息をのむ。


――――


アーサーが、一番聞きたかったことについて、声を上げた。


「こんな時に伺うのは非常識かもしれませんが……古代魔法について、何かご存じではありませんか?」


「……古代魔法!」


リファレットの顔が驚きに変わる。


「古代魔法とは、太古に存在した失われし魔法。 その力は天を裂き、大地を割り、すべてを破壊する……そう言い伝えられています。ただ、私の知識をたどっても、それ以上のことは……」


そう言いながらも、リファレットはさらに言葉を続ける。


「そう言えば昔、この村に暮らしていたエルフの少女が、突然、古代語を話し始めたことがありました。その時、彼女の瞳には奇妙な数式のような光が浮かび、一分も経たぬうちに意識を失ったのです」


「その少女の名は――リナ・セラフィス。孤独の魔導師にして、古代語を理解できる希少な存在。二つ名は《暴発の魔道師》」


リファレットは深く息をつき、語り終えた。


「暴発の魔道師、だと……?」


ゼノが低い声で問いかける。


「ええ。 彼女は常人の何倍、いや何十倍もの魔力を宿しています。 けれど、そのあまりに巨大すぎる魔力ゆえに、制御という枷が外れてしまうのです。 望んでもいないのに、意図せぬ瞬間に魔力が暴走し、周囲を巻き込んでしまうのです」


リファレットの声音には、かすかな震えが混じっていた。長い歳月の記憶を掘り起こすように、彼女の瞳は遠くを見つめている。


「制御がきかぬほどの魔力量か……」


ゼノが低く呟く。彼の双眸は鋭く光を宿し、獲物を見定める猛禽のようだった。その言葉には驚きよりも、むしろ興味と確信が込められている。


その緊張を破るように、アーサーが椅子を蹴るようにして勢いよく立ち上がった。

椅子の脚が床を擦る甲高い音が、室内に響く。


「リナ・セラフィスに会いに行こう!」


若き剣士の瞳は真っ直ぐで、揺らぎがない。燃えるような決意がその声に宿り、空気が震えたかのようだった。


イーライもまた、その熱に呼応するかのように大きくうなずいた。


――――


「リファレットさん!その暴発の魔道師は、今どこに?」


問いかける声音は力強く、彼の胸の内にある使命感がにじみ出ていた。


リファレットはしばし沈黙し、目を伏せる。その横顔には、どこか寂しげな影が差す。


「……五十年前に、一度だけ忘れ物を取りに帰ってきました」


彼女の言葉は、淡い追憶と共にこぼれる。


「その時、彼女は東の平原に身を置いている、と語っていました。けれど……」


わずかに唇を震わせ、続ける。


「今はもう、旅立ってしまった後かもしれません」


「なら大丈夫です!」


アーサーは胸を張り、肩を少しそらすようにして姿勢を正した。

その瞳には迷いはなく、決意と自信が力強く宿っていた。


「ここまで膨大な魔力を持つ者なら……俺の魔力感知で、必ず見つけ出せる!」


声に力が込められると、まるでその場の空気さえも震えるようだった。

周囲の森の木々がそよぎ、葉のざわめきが戦場の前触れのように感じられる。


アーサーは深く息を吸い込み、ゆっくりと目を閉じた。

静寂の中で全神経を集中させる。

魔力の波動を探り、広がる感覚のひとつひとつに意識を向ける。

指先から体中に、微細な震えが走るのを感じながら、彼は魔力感知を最大限に広げた。


「東の平原……巨大な魔力なし……さらに感知範囲を三百キロまで広げる……!…………な、なんだ!? この巨大すぎる魔力はっ!」


突然、体中に冷たい悪寒が走る。

背筋をゾクリと電気が駆け抜け、掌の汗が思わず滲む。

アーサーの意識は全てその漆黒の魔力へと集中する。


「漆黒の魔力……絶え間なく暴れている……制御は…不十分だ………そして、尋常じゃない……!」


心臓が高鳴る。血の鼓動が耳の奥で響き、全身が緊張に包まれる。

彼はその膨大な魔力の波動を、まるで空気の密度の変化のように感じ取った。


やがて、瞳を開き、周囲を見渡す。

そして、震える指を力強く一点に向けた。


「見つけた! ここから北東に百十キロだ!」


その瞬間、場に一気に安堵の空気が広がる。

ゼノやイーライの肩の力が抜け、静かに頷く。

大きく息を吐き、緊張の糸がほぐれていくのがわかった。


「では、明日の朝一番で出発しよう」


アーサーの言葉には揺るぎない決意が込められ、仲間たちの胸に静かに響く。

誰もが小さくうなずき、自然と笑みがこぼれた。

そして、夜の森の中に、次の冒険への希望が静かに灯った。


――――


その夜、ゼノがふと思い出したように声をかけた。


「ところでリファレット殿、一つ疑問がある。イーライに三歳の頃から休むことなくヒールをかけさせていたと聞いたが、あれはなぜだ?」


「ああ、その事ですか……実は気づいたのです。イーライは幼少期、少ない魔力しか持っていませんでした。けれど、一緒に暮らすうちに、魔力量がどんどん増えていったのです。ただ増えるだけではなく……終わりなく、増え続けるのです」


「増え続ける魔力……か。おもしろいな」


ゼノが感心する。


「そこで私は、イーライにできるだけ魔力を使わせました。特にヒールを。すると、予想通り彼の魔力は使うたびに膨れ上がり……今では私すら超えているのです」


「すごい!やっぱり僕って天才かも!」


イーライが得意げに鼻を鳴らすと、ゼノが笑う。


「なるほど、納得した。いい師を持ったな」


イーライはますます天狗になってしまった。


――――


一方その頃――。


リナ・セラフィスは、すでに百七十歳を数えていた。

しかしエルフの時の流れは人とは違う。人間に換算すれば、まだ十七歳ほどの少女の姿でしかない。


けれど彼女の人生は、普通の少女とはあまりにもかけ離れていた。


その始まりは、まだ幼い四歳の頃。

突如として制御できぬ魔力が暴走し、周囲に危険を及ぼすようになったのだ。

村人たちは恐れ、距離を置き、やがて疎みの視線を彼女に向けるようになった。


「もう嫌だ……」


小さな唇から漏れたその言葉を最後に、幼いリナは村を後にした。

暴発しても迷惑をかけない場所を求め、選んだのは人の少ない平原。

そこに身を潜め、孤独の中で日々を過ごしていった。


――そして百年以上。


彼女はただひたすらに魔法を磨いた。

古代魔法の研究に没頭し、日々記録を取り、数式のような言葉を唱え続けた。

神聖魔法にも興味があり、禁術とされる神聖魔法の解明にも力を注ぐ。


生活に役立つ小さな魔法はもちろん、攻撃魔法、防御魔法、補助魔法までも一通り身につけてきた。

膨大な魔力量は、年月を重ねるごとに少しずつ増えていく。


だが――。


その心には、たったひとつ、拭いきれぬ悩みが残っていた。


それは実戦の経験がまるでない、ということ。

どれほど強力な魔法を会得しても、それを敵に向けて放つ勇気が持てなかった。

何度も何度も決意しては、恐怖に押し潰され、結局は撃てずに終わる。

そんな日々を繰り返してきたのだ。


――――


「はあ……どうして私って、こんなに怖がりなんだろう」


夕暮れの平原の片隅で、リナはひとり額に汗をにじませていた。

遠く百メートル先では、醜悪なゴブリンの群れがうごめいている。

彼らの甲高い笑い声と、武器を叩き合わせる音が、リナの耳に嫌でも響いてきた。


「やるしかないよね……!私には世界を旅して、すべての魔法を極めるって目標があるんだから!今日こそ、その最初の一歩にするんだ!」


彼女は自分に言い聞かせるように声を張り上げ、震える右手を前へ突き出した。

指先は小刻みに震えていたが、その眼差しには決意の光が宿っていた。


「第七階梯魔法──《ゼクス・ボルト》!」


瞬間、天を裂くような轟音が大気を揺らした。

黒雲が走り、矢の雨にも似た稲妻が一斉に降り注ぐ。

大地が焼け焦げ、空気が灼熱に包まれ、中心部は一瞬にして爆心地と化した。


光と轟音に呑まれたゴブリンの群れは、抵抗する間もなく消し飛んだ。

雷撃の余波を浴びた者たちは全身を痙攣させ、黒煙を上げながら倒れ伏していく。

その惨状は、彼女が幼い頃から恐れ、けれども夢に見ていた「力の証明」そのものだった。


岩陰に身を隠しながら、リナは必死にその光景を凝視した。


「す、すごい……!」


胸の奥からこみ上げる震えと感動。

初めて敵を倒した、その事実が彼女の体を熱くさせる。


だが次の瞬間――。


真横で、ドンッ!と耳をつんざく爆発音が轟いた。

砂埃が舞い、地面が揺れる。


「わあっ!? ……はあ、また暴発しちゃった」


慌てて身を縮めながら、リナは肩をすくめて苦笑した。

暴発は相変わらずだ。

けれど、その顔には不思議なほど清々しい笑みが浮かんでいた。


そう――彼女は確かに、初めての戦いに勝利したのだ。


「ふー、やればできる!私はすごい!」


そう、彼女が小さく息を吐きながら声をもらした瞬間――。


大気を切り裂く鋭い風切り音が、上空から迫ってきた。

気づけば空の一角に巨大な影が生まれ、それは見る間に輪郭をはっきりとさせながら、真っ直ぐリナへと急降下してくる。


リナは慌てて振り返り、思わず目を見開いた。


「な、なに!? あの大きな鳥……! 私を食べようとしてるの……!?」


翼を広げれば十メートルは下らぬ巨鳥。

鋭いくちばしは槍のように光を反射し、鉤爪は鋼鉄をも容易に引き裂くような禍々しさを帯びていた。

その赤黒い瞳は獲物を捕らえた猛禽そのもので、標的から一歩も逸れる気配はない。


けれど、先ほどの戦闘を終えたばかりのリナの胸には、確かな手応えと自信が宿っていた。

彼女は一歩も退かず、逆に冷静に状況を見極め始める。


「……落ち着いて考えれば、ただの巨大な鳥。速さはあるけど、常に空を飛んでいる……。だったら――あの魔法が役に立つかも!」


心臓は早鐘のように鳴っている。だがその震えは恐怖ではない。

次の一撃を的確に決めるための、高揚と緊張の証だった。


リナは右手を高く掲げ、狙いを定める。

唇は動かさない。詠唱を省略し、魔力を一気に練り上げる。


「第八階梯魔法――《ファイヤー・ホーミング》!」


瞬間、魔法陣が展開され、彼女の掌から紅蓮の炎が奔出した。

渦を巻きながら収束する炎は、まるで意思を持った生き物のように唸り声を上げ、一直線に巨鳥へと襲いかかる。


しかし――。


巨鳥は嘲るかのように、翼をひと振りしただけでその炎弾をかわし、一直線にリナを狙ってくる。

突風が砂を巻き上げ、羽ばたきだけで地面が震える。


「あれ?避けちゃった。でもまだ終わらないよ!」


その時、


彼女の魔法は炎の尾を引きながら、まるで生き延びた蛇のように軌道をねじ曲げた。

目標を見失わぬ炎弾は、大きく弧を描いて巨鳥の背後に回り込み――。


ドンッ!!


大地を揺るがす轟音とともに、直撃。

爆炎が夜空を裂くほどに広がり、熱波が周囲を薙ぎ払った。

巨鳥は甲高い絶叫を上げ、その巨体ごと爆煙に呑み込まれる。


焼け焦げた羽が舞い散り、炎に包まれながらバランスを失った巨鳥は、そのまま地面に叩きつけられた。

衝撃で大地が抉れ、土煙がもうもうと立ち上る。

大きな鳥が、グリフォンだった事をリナは知らない。


リナは両腕を広げ、思わず跳ねるように叫んだ。


「よし!よし!うまくいったー!!」


胸いっぱいに広がる歓喜。

作戦通りに敵を打ち倒したという事実に、全身が震えていた。


「これからは少しずつ、戦いにも慣れていかなきゃ……旅に戦闘はつきものだから!」


呟いたその瞳には、もう怯えの色はなかった。

未来を切り開こうとする、冒険者の光が力強く宿っていた。

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