第6話 功利主義

「私、昨日、選挙に行ってきたわ。台頭してる党は、少数派の意見を言わないから、なかなか、難しいわね。選ぶ党がないのよ。私が、少数派の味方だということを、知らないのかしら。政治家は庶民の声を聞くんじゃなくて、少数派の意見も聞いてほしいわね。『最大多数の最大幸福』。これが、正しいとされる人間社会なのかしら。私、とても悲しいわ」

 十五歳から選挙に投票することができる世界で、哲学哲子はそう言った。

 学校の無人の教室で、僕に話しかける。

「なんで、私ばかりこんな目に遭わないといけないの。そう思っている人が、正直に政治参加できる社会でないといけないと思うの。どうしたって、大多数の声が大きくなるじゃない。カリスマ性の強い政治家の声に同調する国民ばかりじゃない。それって、どうなのかしら。みんなが平等に幸福になれる選択肢がないからって、少数派の私が発言をしたって、どうするのよ。どこも推したい党がないなら、自分が立候補すればいいのよ。三百万で、市民の数少ない声を上げることができるなら、安いものじゃないかしら。私は、悪くない。ベンサムが悪い。悪いのは功利主義を社会に打ち出したベンサムよ。マイノリティの声が社会に反映されない、聞き入れられないなんて、かわいそうじゃない。人に迷惑をかけてはいけないのは当然の配慮だけれど、でもね、少数派の意見が反映されないのも困るのよ。わかるかしら、私のこの気持ちが。リベラルなんてものに一括りにされたくない。そんなんじゃないの。そもそもの日本人の精神の話しをしているのよ。民族意識。帰属意識。そして、日本人の哲学の話しをしているの。わかるかしら、でっくん。私のこの気持ちが」

「わ」

「『わかるよ』って、同調してほしいわけじゃないの」

 わかるよ、と言いたかったが、僕がそれを口にするより早く、次の言葉を続けた。

「私は、哲学をしたいだけ。そもそも論になるのだけれど。ベンサムの作った功利主義の基準が間違っているのではないかしら。まずは、それを疑うべきなのよね。大多数が幸福になるからって、これから産まれてくる子供達に不幸になってほしくはないと思わない? 物で溢れる豊かな社会で、沢山、生産されて、消費し切れなかったものは廃棄される。私が吸わせていただいているこの空気を汚して、ありえない量の物を生産している。いつか、人類は今生きている私達の時代を『あの時代はよかった』と思う時が来るのかしら。いえ、そう思うのは、私がおばさんになってからかしら。他国と競争した生産性は、いつかこの地球を壊すのではないかしら。尤も、どうせいつかは人類は衰退して地球は滅びるのだから、今と少しの未来が大事だという意見も、あるわね。その通りよ。正解なんて、ありはしないわ。もしかしたら、幸せになることが、人類の目的なのかもしれないからね。でも、やりたいことをやらなくちゃいけない、とか、幸せにならなくちゃいけないって、急かされるのも、違うと思うのよ。別に、人は、幸せになるためだけに生まれたわけじゃないし。苦しみから目を背けるために、生まれたとも言えそうだけれど。あのね。オダラデクのでっくん。私、人類は――日本人も、なにか間違いを犯しているんじゃないかしら? 法律を犯しているくらい、いや、それ以上の、なにか。間違いを犯している。そうでないと、この私の納得のできなさは、説明がつかないもの」

 ……。

「全てベンサムのせいなのよ」

 ……全てベンサムのせいにする主張は、偏っていて、少し滑稽ではあるけれど。ある意味では、的を得ているといえた。

 功利主義。

 結局は、それも、主張に過ぎないのではないか。

 世界に絶対がないように。

 利益や幸せを求めることが、絶対ではない。

「私は悪くない。ベンサムが悪い」

 社会が悪いとは言わないで個人――故人を出すところに、おかしみを感じるが。

 それでも、彼女は真面目だ。

「少数派の人の幸せを願うのは勝手だけれど、でも、物事を是とするときは、多数決になるわけで、それはどうしようもないわけね。大多数の人が不幸になるわけにはいかないからね。でも、人と人は助け合って生きてきたわけで、いまの個人主義が、弱い人を排除しているのではないかしら、と思うことがあるのよ。お金持ちのお金がさらに増える資本主義のように、社会主義といいながら、庶民から徴収した税金が貴族の懐や軍事資金にしかならない国のように、なってしまってはいないかしら、と思うのよ。考え過ぎかしら。でもね、子供が残酷なように、大人も、この社会も、世界も、残酷で、冷酷なものだったんじゃないかって、思うの。生命保険と同じくらい、冷酷なものだったのではないかしら。お金は、命より重いのか、命より軽いのか、そもそも人間の尊厳はどこにあったのか、なかったのか。私の抱えている痛みも、喉元過ぎれば熱さ忘れるくらいのものでしかなかったのかしら。他者と比べられる、学校教育でテストの順位をつけられる環境で育っているのに、税金のことや、保険のことを、なにも詳しく教えてくれないなんて、おかしいじゃない? 人間の尊厳を軽視しているとしか感じられないわ。ねえ。そうは思わないかしら。オダラデク――でっくん。正しいことなんて、なにもないかのような、この狭い箱庭のような学校生活を送っているけれど、私、なんだか感情的にならざるを得ないの。抑圧されるから解放された時に自由を感じられるのかしら? 自由は思い通りに生きられることじゃないかしら? 自由には責任がつきまとうのなら、その責任逃れをした、狡賢い大人にはなんて言うのかしら? 大人になりたくない。でも、大人になりたいの。アンビバレンツ。私は、正しい、大人に、なりたい。間違っても、他者を蹴落とすことのない、正しくて、正しくて、正しい大人に、なりたいわ」

 他者を蹴落とすことなんか、考えたくない彼女は、そう、言った。

 哲学哲子。まさに、彼女は――正しかった。

 正しいことが正しいという教え。絶対的な正義があるという教え。それらが、彼女を、苦しめている。

 そんな気がした。

 ただ、オドラデクの僕は、どうすることもできない。彼女の悲しみに寄り添うこともできない。だって、僕は、どこにでもいる、いるのか、いないのかわからない、そんな、平凡でかつ、動き回るだけの存在だからだ。

 数の暴力。多数決。それは、集団として生きている上では、仕方のないことなのではないだろうか。人間社会に生かされているのだから、酸いも甘いも苦いも、甘受するしかないのだ。苦い顔をすることはなく、他の大多数の人に紛れて、慎ましく暮らすこと。

 それは、仕方ないのだろう。

 ――果たして、そうだろうか。

「……大多数の人の利益になるからって、何もせず、黙っているのも違うのでは。そんな自己犠牲は身を滅ぼすだけ。助けを求めたら迷惑だからって、自分だけが被害を被る必要はない。……もっと、人――社会に助けを求めやすくなればいいのに」

 僕は、口を出していた。

「そうよ。でもね、人に助けを求められない個人的な事情を抱えている人もいるのよね。デジタル化が進んで、ネットの手続きが進む環境について行けない老人がいるように、若い人には理解できないことってあるのではないかしら。大人が、学生の頃を『なんであんな小さなことで悩んでいたんだ?』と不思議に思うように。大人になると、当時の頃の多感な繊細さを忘れてしまうのよ。私は、死にたい人の気持ちが、とてもよくわかる年頃だけれど。でも、病気になってしまったら、健康に生きている人が、羨ましくなるのよね。人と人は、分かり合えない。分けることができない。ひとりひとり、ばらばら。痛みを抱えている人が、どんな痛みかを言語化しても、それを聞いた人は、その痛みを完全には共有できない。生理痛の痛みを、男性にも伝える道具が開発されたけれど。それも、完全には再現できてはいないでしょうね。痛みのキツさも人それぞれ違う。一括りにはできない。でもね。それでも、声を上げるべきだとは思うのよ。理解されなくても。不幸を嘆くのは、よくないとか、個人の気持ち次第で幸せになれるとか、そういう思想が蔓延しているけれど。ちょっと、違うのではないかしら。格差の広がっている、この人間社会において、私達は、言葉に気をつけて使うべきなのよ。主語を大事にして。『私はこう思う』『私は功利主義によってこういう不幸になっている』と。そうよね。だって、耐え忍んでばかりいて、折角声を上げられるのに上げないのは、損だもの。そうは、思わないかしら。ただし、個人名を出したり、集団名を出して、非難するだけではなにも変わないのよ。それは、犬のように吠えているのと、なにも変わらない。だからね、具体的な理由と解決策が必要なのよ。非難するだけでは、なにも変わらない。それなら、代替え案を提示してほしいわね。でないと、合理的ではないわ。感情論になってしまう」

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