哲学的な彼女
@rrugp
第1話 モンティ・ホール
「モンティ・ホール問題を知っているかい?」
冒頭に、そんなことを質問してきた、彼女の名前は
僕は今、無人の教室で机を挟んで向かい合う方で座っているのだけれど、首を傾げるしかなかった。
「……モンキーホール問題?」
「違う。モンティ・ホール問題。そんな、猿の集会所の話しなんかしていないのよ」
彼女は、至って冷静に訂正をした。
それから、内巻きにカールしたショートヘアの毛先をいじりながら「まあ、そもそも
木偶の坊とはよく言われるが。
猿とまで言われた憶えがない。
徒堕落木偶とフルネームで呼ばれる覚えもないが。
そう。僕の名前は
奇しくも、フランツ・カフカの短編小説『父の気がかり』のオダラデクと同じ名前である。そんな本名を面白がって、哲学さんは、僕のことを『オダラデク』と呼んだり、愛称で『でっくん』呼びをしたりする。
一方的に、僕は哲学的な質問を浴びせられるばかりなのだが、その関係を哲学哲子は気に入っているらしい。名前が名前なだけに、哲学が好きなようだ。
美人が多いことで有名の、
「で、でっくんは、モンティ・ホール問題を知ってるかい?」
「モンティ・ホール問題か。あれだろ? あれは、哲学というか、数学というか、算数の問題」
「そう。簡単な計算もしないで、損をする確率問題の話し。それが、モンティ・ホール問題」
彼女は嬉々として語る。
鼻を鳴らして、機嫌が良さそうだ。
「よっこいしょ」と僕の前の席の椅子の背もたれを前にして座って、プリーツスカートのポッケからトランプを取り出した。
「今からゲームをします」
「大富豪ですか?」
「二人でやる、大富豪もいいけど、そうね……モンティ・ホールゲームとでも名付けようか。モンティ・ホールゲームをします」
「モンティ・ホールゲーム」
果たして、モンティ・ホールさんはこの名前が、ゲームになってしまうことをよしとしただろうか。
死人に口無し。
僕は、机の上に置かれるカードの裏側を黙って見ていることしかできない。
山札から一枚ずつバラバラに置かれていく。ふと、哲学哲子さんのまつ毛が長いことに気づいた。整った顔に、メイクさえ完璧。さすが美人城中学校トップの美人。
見惚れている僕に気づいて、視線が合ってしまう。
一瞬、時間が止まったかと思った。
「なに?」
「いえ」
僕は、オダラデク。それ以外のなんでもない。
「……できたわよ。神経衰弱みたいだけど、違うわ。この54枚のカード中に一枚だけ、アタリが入ってあるの」
なんだ、ただのモンティ・ホール問題か。
「今、ただのモンティ・ホール問題だと思った? 違うわ。当たりのご褒美が違うのよ。もし、この54枚の中でアタリを引いたら、私を性奴隷にする権利を与えるわ」
「……」
ちょっと待った。センシティブな発言が問題になる現代に聞き捨てならない単語を言ってなかったか?
そうだった。彼女は哲学の話しになると、見境がなくなるのだ。哲学哲子。なんて恐ろしい子。自分の人生すら軽々しく賭けるなんて。
これは、なにがなんでも、彼女の人生における、汚点を残さないためにも、僕は、ハズレを引かないといけない。
「さあ、どれかひとつ引いてみて。木偶の坊のでっくん」
木偶の坊のでっくんは、彼女に艶かしい表情で見られて、ドギマギしているのですが、震える手で言われるがままに一つカードを選んだ。
「まだ表にしないで。そこから、このカードの中からハズレを52枚取り除きます。そこでひとつ、貴方には選択肢が与えられます。残りの二枚のカード、もう片方のカードに選び直してもいいよ?」
そうだった。モンティ・ホール問題は、選び直しがある。選び直すことによって、当たる確率が高くなる。そういう問題だったはずだ。つまり、ここで、僕が、
冷静になれ。僕は、社会的道徳を守る、ごく普通の青年。センシティブさとは無縁の世界で生きるのだ。そして、ゲームを受けたからには、終わらせなければならない。
「じゃあ、選んだカードのままでいいよ」
「フーン、そっか。換えないんだ。でも、こっちのカードは54分の1より明らかに当たる確率が高いよ。だって、さっきハズレのカードを52枚取り除いたからね。それでも、でっくんは自分の意思を貫くのかい?」
「うん」
僕は、自信なさげに、それでも声を強めて返事をした。
「じゃあ、正解発表」
彼女は、選んだカードを表にした。
果たして、そこに書かれてあったのは
……なんで?
偶然か?
「偶然じゃないよ。でっくん」
間髪入れずに、そう言った。
間、髪容れずに。
艶やかな黒髪だけは唐突に近づけて。
つまりは、僕の耳元で囁くように、そう言った。
「人を信用し過ぎだよ。よかったね。当たって」
ま、さか。
そう思い、選んでいないもう一つのカードを表にした。そこにも、アタリと書かれて、いた。
「確率の前に、前提条件の確認は必須。今回の、でっくんの敗因は、根拠なく、私を信じ込み過ぎたこと。だって――」
だってと、彼女は言う。
――真実はひとつじゃないもの。
と、そんなこんなで彼女は僕の性奴隷となったわけだが、センシティブさに敏感な僕は、素直に喜べない事態となってしまった。
「あれは冗談だったんじゃ……」と言っても、彼女は意にも介さない。
「だって、冗談も真実だったかもしれないよね」と言われたら、返す言葉もない。
結局、僕は、流れに任せるしかないのだ。
運も実力のうちとはいうが、実力が運のうちだったのではないか。今回の件において、僕が反省すべきは、僕の運の良さを侮っていたことだった。
「全くもってそうだよ。私を奴隷にすることができるんだものね」
僕の後を付きまといながら、人目を憚らないでそんなことを言う。
彼女と知り合ったことが運の尽き、この場合、幸運だったのかもしれない。
「それにしても、鶏が先か、卵が先か。結果があるから過程があるのか。過程があるから結果があるのか。モンティ・ホール問題で重要なのは、感情を抜きにこの問題と向き合えるか、ということなのかもしれないね。直感を抜きに、人を好きになれないように。直感でモンティ・ホール問題を理解しようとしたら、この前のように52枚のハズレのカードを取り除く場面を見せなければならない。あんな場面を見せられたら、わかりやすいよね。選んだカードがアタリの確率は54分の1。それが入れ替えたら、2分の1以上になる。わかりやすいものには裏がある。その前提条件を誤解して思い込んでいたとすら思わない。想像力の欠如。さて、これから、私は、オダラデクのでっくんに、性奴隷にされてしまうわけだけれど、今日も――哲学ができて楽しかったよ!」
彼女は、本当に哲学を語る時は楽しそうだ。
「最初、モンティ・ホール問題について理解できなかったよ。三択だとわかりにくいからな。でも、桁が十桁になってようやく、わかった。この問題の出題者の意図が」
「トランプカードが三枚しかなくて、ハズレを一枚取り除いた状況を説明するだけだと『二分の一なら、最初選んだカードと交換してもしなくても当たる確率は変わらないじゃん』って言う人の気持ちもわかるけどね。ねえ。もし、二分の一で出会える二人の男女の恋仲ではなく、一億分の一の確率でしか出会えていない男女の恋仲だったら、それが、ハズレでも、運が良かったって思えるのかな。他に選ぼうと思えばいくらでも、選べたのに」
――ねえ、どう思う?
最後に彼女は僕に向かって、意味深に問いかけた。
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