セキセイインコ
ナカメグミ
セキセイインコ
その地に初めて立った時、冷たい空気に驚きました。東京生まれの東京育ち。大学を卒業して、全国紙の新聞社に記者として採用されました。初任地は地方都市が通例です。私は、全国でも観光地として人気がある、その北の土地に配属されました。入社式を終えて、研修を終えて。これから社会人。緊張感に包まれました。
会社が家賃補助をしてくれる住宅は、公共交通の駅に徒歩3分と近く、レンガ模様の外観のワンルームマンション。私の部屋は、最上階の10階でした。勤務を終えた夜。ポータブルのCDプレーヤーに、ヘッドフォンを着けて音楽を聞きながら、ベランダで缶ビールを煽る。働き始めてからの楽しみでした。
仕事に向かう朝。少しだけ憂鬱なことがありました。マンションの前が、幼稚園の送迎バスのバス停だったのです。前日の仕事が長引いた翌日は、通常のサラリーマンより遅い8時半から9時にかけて出社します。新聞を4紙持って玄関を出ると、幼児を連れた母親たちがいます。薄化粧をした身ぎれいな母親たちは、何がおかしいのか、笑いながら話しています。
1人の男に、配偶者として選ばれたという自信。子供を産んだという自信。そう。独身の私は、妬んでいるのでしょう。
手くらい、つなげよ。子供、轢かれるぞ。交通事故の原稿もよく書く私は、心の中で毒づきました。
仕事に慣れたころ。殺風景な部屋が寂しく感じられました。セキセイインコを飼い始めました。小さなからだに似合わず、セキセイインコは丈夫です。子供のころに飼っていた子は、10年、生きてくれました。全身がまっ黄色で目の色が赤い、ルチノーという種類のメス。「ただいま」。家に帰ってくる瞬間が、楽しみになりました。
配属から9ヶ月。連載記事を任されました。高齢化社会に備えて、介護を家族のみに負わせるのではなく、社会みんなで支えようという保険制度が始まる前でした。地方版で、その連載を受け持つのです。難解な制度は、本社の専門記者が書いています。私は、その地方に即した読み物の担当です。制度の概略を頭に入れたら、人脈づくり。役所の担当者、医療施設のケアマネージャー、現場の介護ヘルパー。そして、取材に応じてくれる高齢者。この制度を利用することは、家族が悪者になるわけではない、と伝えたい。、3回分の原稿を用意しました。
制度が動き出す初日。1回目の原稿が載ることはありませんでした。
火山が噴火したのです。
火山活動を活発化させていた山が、大噴火しました。学者が事前に住民の避難を呼びかけて、人的被害はゼロ。ただ、住民の住まいや温泉観光地は、大量の火山灰で埋まりました。記者は全員、1週間交代で現地に入り、紙面は火山一色で埋まりました。
現地は、火山からいまだ吹き出す黄色っぽい煙が見え、硫黄の臭いがしました。まちのあちこちに、自衛隊や消防などの仮設の拠点がつくられていました。記者は、役所の中の現地本部の会見を取材するほか、若手は、体育館や公民館に設けられた住民の避難所をまわりました。
「取材か?もう、うんざりだ」
「あんたに、なにがわかる?帰れ!」。
ダンボールの上に横たわる避難者。ろくに寝ていないであろう役所の職員。みんなが疲れ切っていました。外から来て、帰るお前に何がわかる?。私も逆の立場なら、そう思います。
1週間を終えて、支社での勤務にもどった3日後。「◯村ちゃん」。キャップ(記者のまとめ役)に呼び止められました。「✕田のかみさん、調子よくないんだって。悪いけど、また明日から、現地に入ってもらえる?」。✕田は、同じ支社の男性の先輩記者です。妻が子供2人の子育て中で、体調が優れないことは知っていました。
「わかりました。準備します」。
私だって、体調は悪い。不規則な勤務のせいか、生理の時に飲む鎮痛剤は、どんどん強いものへと変わっていきました。婦人科を受診したくても、その暇がない。その生理が、2回目の現地と重なりそうです。
家族持ちなら、子育て中なら、なんでも許されるのか。若い独身者は、イエスというしかないのか。
ずるいな。ぼんやりした頭で思いました。
2回目の現地から帰ると、鳥かごの中に、黄色い、小さなものが横たわっていました。セキセイインコが死んでいました。2回目の現地に行く朝、まとめて餌をやることを忘れました。鎮痛剤や生理用ナプキンは忘れなかったのに。餌は忘れました。
冷たい、小さなからだは、私のせいです。
手のひらにそっとのせました。涙は出ませんでした。
噴火の取材も一段落したころ。休暇をもらい、東京に帰りました。空港で母が待っていました。「お疲れさま!」。笑顔の母は、お気に入りの黄色いジャケットを着ています。「いつも身だしなみに気をつける」「明るい色は、顔をきれいに見せてくれる」が、母のモットーです。
変わらねえな。だれがあんたのこと見てるか、教えてくれよ。
「ただいま」と笑顔で言いながら、思いました。
近況を話しながら、公共交通へと続く階段をおります。下の方から、3歳くらいの女の子の手をひいた母親らしい女性が、階段をのぼってきました。私は、左側によけました。母は目を細めて、女の子を見た後、後ろの私を振り返って言いました。
「かわいいねえ。あんたも早く、産みなさい」。
おまえ、今、それ言うか?
いくら、踏ん張ればいい?
なにを、頑張ればいい?
私は、今の自分がすべきことが、はっきりとわかりました。前を歩く母のからだは、私の足が届く位置にあります。白髪がまばらに混じり始めた後頭部を見ながら、その下の黄色い背中を、右足で思い切り蹴りました。ゴロ、ゴロ、ゴロ。黄色い大きなかたまりは、階段の一番下まで落ちて行きました。悲鳴が聞こえました。私は階段をゆっくり、おりて行きました。黄色いジャケットと、頭のどこかから出る赤い液体が見えました。みんなが母を見ていました。
よかった。あんた見られたじゃん。
あんた、ひとり、産んだじゃん。
生殖動物としての役割はまっとうしたのですから、これはもう死んでいいい動物です。
黄色と赤。セキセイインコの色。
私は、働く私を支えてくれた、黄色いセキセインコの冥福を祈りました。
(了)
セキセイインコ ナカメグミ @megu1113
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