海底少女真凛

上条 樹

第1話 人魚姫

あれは夏の海だった。


学生時代の悪友達と1泊2日で訪れた神戸の須磨。ひとしきり酒を飲んだ後、ホテルを抜け出して酔覚ましも兼ねて一人浜辺を歩いていた。

もう、時計の針は日をまだぎ、深夜となっていた。さすがに誰も居らず、波の音がリズム良くメロディーを奏でている。


「ああ、少し飲み過ぎたな…」普段は、酒など飲まないのだが、今日は調子に乗りすぎたようだ。頭が少しクラクラする。こめかみに指を充ててグリグリと押しつけた。少し気持ちが良い気がする。

少し足元がふらついて倒れそうになるのを堪えながら、砂浜に腰を下ろした。


「ん、なんだ…?!」暗い海から何かがゆっくりと俺の方へ近づいてくる。亀の産卵かと思ったが、まさか須磨の浜辺に卵を産みにくる亀などいないだろう。俺は恐る恐るその物体に近寄った。


「えっ?」それは、うつ伏せに倒れた人だった。力尽きたのか動かなくなった。


「だ、大丈夫…」慌てて駆け寄り、声をかける。


「う、ううん…」どうやら生きているようだ。それは、少し大きな深呼吸をしたかと思うと寝返りをうち仰向けになった。


「しっかり…!!」突然、眼下に大きな2つの膨らみが現れた。それは、明らかに女の乳房であった。彼女は一糸まとわぬ姿で砂浜に横たわっていたのだ。

俺は、まだ酔が覚めて居ないのだと思い目を擦った。


女はゆっくりと瞼を開くと上体を上げた。


「あなたは、誰?ここは何処?」急に質問が始まり、少し躊躇する。


「須磨…、ここは神戸の須磨海岸だ。俺は…、ヤマト…、草薙大和…」豊満な胸から目を逸らす。彼女は隠そうともしない。


「これが気になるのですか?」自分の胸を指さして少し微笑む。羞恥心が無いのかもしれない。俺は羽織っていたパーカを彼女に着せた。男物なので、彼女の裸体は覆い隠された。


「こんな所で何をしているんだ?」


「静かにして…」彼女は俺の問いかけを無視しゆっくりと両手を俺の肩に回すと、目を閉じてキスをしてきた。頭の中が真っ白になる。


「な、何を!」両手で彼女の肩を掴み引き離す。決して嫌という訳では無いが、突然過ぎて対応出来ない。


「ごめんなさい。気が動転しゃって…、海で泳いでいたら水着が流されちゃって困ってたの…助かったわ」彼女は立ち上がると膝についた砂を手で払った。


「水着が?一緒に探そうか」


「いいえ、大丈夫。でも、このパーカお借りしててもいいかしら?」襟もとを手で掴み少し持ち上げる。なんだかとても愛らしい。


「ああ、別に構わないけれど…」そう言うと彼女は長い黒髪の前髪をかき上げた。綺麗な瞳と白い肌、相当な美形である。


「あと、大変申し訳ないのだけれど、お金を貸してもらえないかしら?」彼女は少し可愛いく上目遣いでおねだりしてくる。もしかして新手の美人局なのかと少し勘ぐる。


「お金って…」ズボンのポケットから財布を出す。中には虎の子の一万円が1枚眠っている。彼女は、それを素早く抜き取るとパーカのポケットに入れた。


「ちょっと…!」彼女の行動に唖然とする。


「きっと返すから!」彼女は大きく手を振りながら、駆けていく。


「返すって!君は一体誰なんだ!?」お互い面識もないのに返してもらえるはずもない。


「私は、マリン!真凛って呼んでね!!」その名を残し彼女は遠くに消えていった。きっと、二度と会うことはないだろう。そして俺の一万円も二度と返って来ないだろう。




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