血色の月に導かれ、祝杯をあげるのは誰?

みこと。

前編

 赤い満月の夜だった。


「オディリア・レトガー公爵令嬢! キミとの婚約を破棄する!」


 コンラート王子が突然、最愛の婚約相手オディリアに、婚約破棄を言い渡した。


「民をかえりみない、わがままなキミは未来の王子妃に相応しくない。公爵、どう責任をとるつもりだ」

「不肖の娘で申し訳ございません、殿下。もちろん、我が家からは除籍。隣国の修道院へ追放します」


(殿下? お父様?)


 いつも寄り添ってくれた王子が。

 優しかった父が。

 仇敵でも見るような目で責めてくることにオディリアは戸惑いを隠せない。


 民にも心を尽くして来たつもりだ。顧みない、という罪状がわからない。


 動揺している間に、オディリアは馬車に乗せられ、その身ひとつで国外へと運ばれることになった。

 彼女の侍女マーラだけが急ぎ付き従い、馬車の中で涙するオディリアを慰める。


「う、うううっ、どうしてこんなことに……。一体何が起こったの?」


 昨日まではいつもと同じ、変わらぬ日常だった。

 それなのに出向いた王城で突然罪を着せられ、放り出された。馬車まで用意されていたところを見ると、王子と父には決定事項だったのか。


「お父様は何かおっしゃっていなかった?」

「すみません、お嬢様。私めは何もお聞きしておりません」


 申し訳なさそうにうつむく、忠義にあつい侍女。

 馬車の窓から見える赤い月は、狂ったように咲き誇り、オディリアたちに影を作る。


 くように夜道を走っていた馬車は、やがて森へと差し掛かった。


「馬車を停めて、少し休みませんか?」


 マーラの言葉に頷いて、オディリアは馬車の外へと一歩踏み出す。

 高い木立が周囲を囲んでいるが、不思議と怖さはない。

 驚きと悲しみの感情が、胸を占めているせいだろう。


「これが夢であってくれれば良いのに……」


 呆然と呟くオディリアの死角で、マーラがそっと、馬車のクッションから手紙を取り出した。


 森の隙間から、遠く王城が覗く。


 赤い月に負けず劣らず、真っ赤に燃え盛る、この国の巨城シンボル


 城はいま、業火に包まれていた。

 尖塔のまわりには、羽虫のような黒い影が、あまた群がっている。

 見る者が見れば、その影が魔族たちの翼で、城が襲撃を受けていると分かるだろう。


 オディリアは気づかない。


 マーラは手紙を開く。

 端正な文字で綴られているのは、オディリアに宛てた王子コンラートからの最後の手紙。


 "オディリア、急なことで驚いただろう。だが今朝、宮廷占術師の元に予言が降りた。赤い月がのぼる今夜、魔族が攻め来ると。キミも知っての通り、予言は絶対だ。時間がない。キミだけでも。キミと腹の子だけでも逃げ延びて欲しい。愛している。キミのコンラートより"


 くしゃり、とマーラが便箋を握りつぶす。


 そして。


 ポッ……。


 どこからともなく生じた炎が、マーラの手の中で紙を灰塵かいじんへと変えた。


(バカな人間たち。魔族たちは魔王陛下を迎えに来ただけ。オディリア様のはらのうちで育つのは、我らが魔王。三百年の時を経て、勇者の血に転生されるというお言葉の通り、この世界に降臨された)


 コンラート王子の血脈は、さかのぼれば勇者に通じる。

 勇者の血が薄まった時に、勇者への耐性を併せ持つ最強の魔王が生まれることは、魔族にとって悲願であり、確定された未来であり、討ち取られた先代魔王の遺言でもあった。


(予言を伝えれば、きっとオディリア様も"城に残る"と言い張り、逃げ遅れる。そのことを危惧して何も伝えず送り出したとみえるが……。ふふっ、悪手だこと。これでオディリア様が信じる相手は、侍女の私だけとなる)


「マーラ、どうかしたの?」


 振り返ったオディリアの後ろに、赤く大きな月が重なる。

 血色の卵に包まれて、魔族の王が、誕生の時を待っている。


 喜びを口元に隠し、マーラがうながした。


「いいえ、なんでも。さあ、オディリア様、そろそろ参りましょう。ですが一度の長旅はお腹の赤子にさわります。まずは私の知人の家で、お心を落ち着かせてからにしませんか?」

「マーラ……、あなたには面倒をかけるわね」

「とんでもございません。私はあなた様の忠実な侍女なれば」


 マーラが差し出した手に、オディリアが手を重ねる。

 何の警戒も、ためらいもなく。


 故国を追放されたオディリアが頼れるのは、いまやマーラのみ。

 腹心の侍女はオディリアと王子の婚前交渉を手伝ったことで、信頼も得ていた。

 それこそが魔族の目論見だったとしても、誰ひとり知る由もない。


(ご安心ください、オディリア様。私があなた様を相応しい場所へとお連れします。次代の王と、そのご生母を、魔族の国へ──)




 オディリアが赴おもむくのは、隣国の修道院ではない。人間の住まいでもない。


 赤い月はただ、彼女たちの道行きを照らしていた。

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