第7話 昼休みの会議
月曜日の朝。いつもより少しだけ早く家を出た俺は、通学路の途中で、ふわりと甘い香りに包まれた。見上げると、道の脇に植えられた金木犀が、小さなオレンジ色の花をたくさんつけている。秋が深まっているのを感じる。
「おはよう、恒成。早いね」
角を曲がったところで、聞き慣れた、しかし俺の心臓をいつも不規則に高鳴らせる声がした。振り返ると、そこにはブレザーの袖を少し捲り、にこやかに手を振る加奈の姿があった。
「今日はたまたま早く起きたからね」
「私に会えるなんて幸運だなぁ〜 なんて」
「べ、別に幸運でもなんでもねぇだろ…」
「なるほどね でも、恒成の顔、なんだかすごく嬉しそうに見えるけどなぁ。私の顔見たら、そんなに元気になるの?」
「なるわけないだろ! むしろ、朝からお前の顔見たら、どっと疲れるわ!」
「ひっどーい。私は、恒成に会えて今日も一日頑張れそうだなぁって思ってたのに。」
クスクスと笑う加奈。その笑顔は、秋晴れの空みたいに眩しくて、俺はまたしても視線を逸らしてしまう。
教室に入ると、文化祭の話題で持ちきりだった。各クラスの出し物の噂や、準備の進捗状況などが飛び交っている。俺たち1年3組の舞台も、脚本チーム(加奈、美沙希、そしてアドバイザーの俺)を中心に、少しずつ形になり始めていた。
昼休み。俺が謙介や遼たちと弁当を広げていると、加奈が美沙希と一緒にやってきた。
「ねえ恒成、昨日話してた舞台のラストシーンなんだけど、やっぱりヒロインが主人公に手作りの何かを渡すっていうのはどうかなー? 例えば、恒成が私に何か手作りのものくれるとしたら、何がいい?」
いきなり、とんでもない爆弾を投下してくる加奈。
「はぁ!? なんで俺がお前に手作りのものを…! しかも舞台の話だろ!」
「えー? だって、主人公の気持ちになって考えないと、良いアイデアなんて浮かばないじゃない? ほら、恒成、もし私に何かプレゼントするなら、何がいいか真剣に考えてみてよ」
加奈は真顔で、しかしその瞳の奥は楽しそうに俺を見つめてくる。
「そんなの、分かるわけないだろ…」
俺がしどろもどろになっていると、美沙希が助け舟(?)を出してくれた。
「加奈さん、雪村さんをあまり困らせてはいけませんわ。でも、確かにラストシーンは重要ですわね。観客の心に深く残るような、感動的なものにしたいですわ」
「でしょー? だから、恒成の“愛の告白”シーンの練習台になってもらおうかと」
「誰が練習台だ!」
結局、加奈のからかいは止まらない。美沙希はそんな俺たちのやり取りを、微笑ましそうに眺めている。
放課後。本格的な脚本作りのため、脚本チームと主要キャスト候補が図書室の会議スペースに集まった。
「それで、物語の舞台は現代の境港だけど、少しだけファンタジー要素を入れるのはどうかな? 例えば、主人公が持っている古い懐中時計が、時々不思議な現象を引き起こすとか」
俺が恐る恐る提案すると、加奈が目を輝かせた。
「それ、いいじゃん! 恒成、意外と面白いこと考えるんだね! その懐中時計が、ヒロインとの運命を繋ぐ鍵になる…みたいな?」
「まあ、そんな感じだ…」
「じゃあ、その懐中時計のデザインは、私が考えてあげる! 恒成のセンスじゃ、ダサいのしか思いつかなさそうだしねー」
「余計なお世話だ!」
「あとは湖から時を超えるとかはどうかな?」
「いいね!」
美沙希も「時を超える恋、というテーマは普遍的で魅力的ですわね。主人公とヒロインの心の機微を丁寧に描けば、きっと素晴らしい作品になると思います」と、的確な意見を述べる。
幸誠も「主人公の感情表現、難しそうだけどやりがいがありそうだ」と、役者としての意気込みを見せる。
活発な意見が飛び交い、少しずつ物語の骨子が出来上がっていく。恒成は、自分のアイデアが採用されたり、加奈や美沙希の才能に触れたりする中で、舞台制作という共同作業の楽しさと難しさを実感していた。特に加奈だ。普段は俺をからかってばかりいるが、脚本のことになると途端に真剣な表情になり、次から次へと魅力的なアイデアを出す。そのギャップに、俺はまたしても心を揺さぶられる。
打ち合わせが長引き、気づけば窓の外は夕暮れに染まっていた。
「わ、もうこんな時間! 長居しちゃったね」
加奈が慌てて時計を見る。
「じゃあ、今日のところはこれくらいにして、各自でアイデアを深めてきましょうか」
美沙希がそう言って、打ち合わせは終了した。
帰り道。またしても、俺と加奈は二人きりだった。秋の日は釣瓶落としとはよく言ったもので、空はもう藍色に変わり始めている。
「今日の打ち合わせ、結構進んだね。恒成のあの懐中時計のアイデア、すごく良かったよ。私、ちょっと鳥肌立っちゃった」
加奈が、珍しく素直な言葉で俺を褒めてくれた。
「…そうか? まあ、お前らの脚本が良ければ、もっと面白くなるだろ」
俺は照れ隠しに、ぶっきらぼうに答える。
「ふーん? 私と美沙希だけ? 監督の恒成がいなくちゃ、映画なんて始まらないでしょー? もっと自信持ちなよ、私たちの“名監督”さん」
加奈はそう言って、俺の腕を軽くポンと叩いた。その言葉と仕草に、俺の心臓がまた大きく跳ねる。
並んで歩いていると、不意に加奈の髪が風に煽られ、俺の頬をかすめた。金木犀の残り香とは違う、加奈自身の甘くて優しいシャンプーの香り。その香りに包まれた瞬間、俺は意識が遠のきそうになるほどの幸福感と、強烈なドキドキに襲われた。
「あ、ごめーん。私の髪、邪魔だったー?」
加奈は、俺の顔が真っ赤になっているのに気づきながらも、楽しそうに笑っている。
「…別に」
俺はそれだけ言うのが精一杯だった。
駅までの短い道のり。他愛ない会話を交わしながらも、俺の頭の中は、週末の映画デートのこと、そして文化祭の舞台のことでいっぱいだった。加奈と一緒にいる時間が増えれば増えるほど、俺の気持ちはますます彼女に傾いていく。この想いは、いつかちゃんと伝えられる日が来るのだろうか。
別れ際、加奈が振り返って言った。
「ねえ恒成、週末の映画、本当に楽しみにしてるんだからね。もしドタキャンなんてしたら…恒成の部屋に毎晩、丑の刻参りしてやるから覚悟しといてよね」
「誰がドタキャンなんかするか! 俺だって楽しみにしてる…って、いや、別に!」
慌てて取り繕う俺を見て、加奈は声を上げて笑った。
「ふふ、素直じゃないんだから、恒成は。じゃあ、また明日ね。…監督さん?」
その最後の言葉と、悪戯っぽい笑顔を残して、加奈は改札の向こうへ消えていった。一人残された俺は、その場にしばらく立ち尽くし、胸の高鳴りが収まるのを待っていた。
秋の夜長。家に帰ってからも、俺は加奈のことばかり考えていた。文化祭の舞台、そして週末の約束。楽しいことがたくさん待っている。このかけがえのない日々が、少しでも長く続けばいいのに。そんなことを思いながら、俺は机に向かい、舞台脚本のアイデアをノートに書き出し始めた。物語は、いよいよ文化祭へと、その大きな舵を切ろうとしていた。
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