第6話 余韻
西井加奈との映画デート(…と俺が勝手に思っているだけかもしれないが)から数日が過ぎた。あの日の出来事は、まるで夢だったかのように、しかし鮮明な余韻として俺の心に残り続けている。加奈のいつもと違う私服姿、映画館の暗がりで不意に触れた手の温もり、カフェで見た幸せそうな笑顔、そして別れ際の「今日のデートのお礼は、月曜日たっぷりからかってあげるから」という挑戦的な言葉…。思い出すだけで、顔が熱くなり、心臓が落ち着きなく脈打つのだ。
そして宣言通り、月曜日の朝から加奈のからかい攻撃は絶好調だった。
「おっはよー、恒成! 週末は、私のエスコート、お疲れ様。まあまあ及第点ってとこだったかなー?ありがとう」
昇降口で俺を見つけるなり、満面の笑みでそう宣戦布告してきた。
「だ、誰がお前のエスコートなんか…! 普通に映画観に行っただけだろ!」
俺は顔を真っ赤にしながら反論するが、加奈は楽しそうに目を細めるだけだ。
「ふーん? でも恒成、映画中、私のことチラチラ見てたじゃん」
「み、見てねーし! スクリーンに集中してたっつーの!」
「えー、本当かなぁ? ポップコーン取った時さー、恒成の肩、めっちゃ震えてたの、私、気づいちゃったけどなー」
くすくすと笑う加奈。こいつ、全部お見通しかよ…。朝からこれでは、今日一日が思いやられる。
今日の体育は、グラウンドで走り高跳びだった。俺は運動神経が壊滅的なわけではないが、特に得意というわけでもない。一方、加奈は意外にも身軽で、綺麗なフォームで軽々とバーを越えていく。
「ねえ恒成、体育祭のリレーの時みたいに、また私を『おおっ』て言わせるようなプレー、見せてくれるんでしょ? 私、ずーっと恒成のこと、応援してるからね。もし失敗したら…ふふ、今日の放課後、私にジュース奢ってもらおうかなー」
自分の出番を待つ俺の隣に来て、加奈は楽しそうにプレッシャーをかけてくる。その期待のこもった(?)瞳に見つめられると、俺は「見てろよ!」と息巻いてしまう。
結果…助走のタイミングが合わず、バーの手前で無様に足がもつれて転倒。クラス中から笑いが起こる。最悪だ…。
「恒成?大丈夫?ド派手に転んじゃって。怪我なかった?」
加奈が駆け寄ってきて、心配そうに俺の顔を覗き込む。その距離の近さと、ふわりと香るシャンプーの匂いに、俺はまた心臓がドキドキする。
「だ、大丈夫だ…これくらい…」
強がって立ち上がろうとする俺に、加奈はそっと手を差し伸べてきた。
「ほら、手、貸してあげる。…でも、こんなことで怪我でもされたら、週末の映画デートの第二弾お預けになっちゃうから、気をつけてよね?」
その言葉に、俺は「誰がデートなんか!」と反論する気力もなく、ただ加奈の小さな手に引かれるまま立ち上がった。その手の温かさが、なぜか妙に心に残った。結局、ジュースは奢らされる羽目になったが…。
放課後。俺は図書室で、加奈に先日貸す約束をしたファンタジー小説の第一巻を探していた。加奈が本当に読むのか半信半疑だったが、「恒成のおすすめなら、読んでみようかなー」なんて殊勝なことを言うものだから、つい貸す気になってしまったのだ。
「あれ、恒成じゃん。こんなとこで何してるのー? もしかして、私に会いたくて、図書室で待ち伏せしてたとか?」
いつの間にか背後に立っていた加奈に、俺はびくりと肩を揺らす。
「ち、違う! お前に貸す本、探しに来ただけだ!」
「嘘だよ。というか私のためにわざわざかぁ〜 嬉しいなぁ。その本、恒成が私に読み聞かせしてくれるってのはどう? 王子様がお姫様に本を読むみたいにさ」
「誰がやるか! 自分で読め!」
俺は本を押し付けるように加奈に渡し、そそくさと図書室を出ようとする。
「あ、待ってよ恒成」
加奈が呼び止める。
「その本のお礼に、ってわけじゃないけど…恒成、最近ちょっとお疲れ気味じゃない? ほら、目の下にクマできてるし」
そう言って、加奈は俺の目の下を自分の細い指でそっと撫でた。その予期せぬ接触に、俺の体は完全に固まってしまう。
「だ、大丈夫だ…別に疲れてなんかない…」
「嘘だー。絶対疲れてるって。しょうがないなぁ、恒成は。…じゃあさ、今度の日曜日、私が恒成のこと、い、癒してあげようか?」
「は…? 癒すって…何を…?」
「んー? それはねー、当日までのお楽しみで!どこか景色のいいところにでも連れてってあげて、美味しいものでも食べさせてあげて…それから、恒成がずーっと私の隣で安心して眠れるように、子守唄でも歌ってあげようかなー、なんてね」
加奈は悪戯っぽく笑いながら、俺の顔を覗き込んでくる。その距離の近さと、甘い言葉の連続に、俺の思考回路はショート寸前だった。
「ば、バカなこと言ってないで、早く帰るぞ!」
俺は顔を真っ赤にしながら、加奈の本当はずっと握っていたい手を振り払い、足早に図書室を後にした。後ろから加奈の楽しそうな笑い声が追いかけてくる。
帰り道。今日は謙介や遼たちとは別で、またしても加奈と二人きりだった。夕焼けが空を茜色に染め、俺たちの影を長く伸ばしている。
「そういえば恒成」
加奈が不意に口を開いた。
「文化祭の出し物、舞台に決まったけど、どんなストーリーにするか、もう考えたりしてるー?」
「え? ああ、まあ、少しはな…」
俺は、自分が考えていたファンタジー的な要素と、境港の風景を組み合わせた物語の断片を、少しだけ加奈に話した。専門用語やマニアックな設定もつい口走ってしまったが、加奈は意外にも真剣な表情で耳を傾けていた。
「へえー、恒成、そういうの考えるの得意なんだね。いいと思うよ」
「…そうか?」
「うん。だからさ、脚本、私も美沙希と一緒に頑張るけど、恒成も監督として、いっぱいアイデア出してよね。私たちの舞台、絶対に成功させようね!」
そう言って、加奈は俺に向かって、力強く拳を突き出してきた。その真剣な眼差しと、クラスの仲間を信じるような強い意志に、俺は胸が熱くなるのを感じた。
「…ああ、もちろんだ!」
俺も加奈の拳に、自分の拳を軽く合わせる。
別れ際、加奈が振り返って、いつものからかうような笑顔ではなく、とても優しい、穏やかな笑顔で言った。
「じゃあね、恒成。また明日ー!」
その言葉を残し、加奈は手を振って去って行った。一人残された俺は、その場に立ち尽くし、顔が燃えるように熱くなるのを感じていた。
(だから、そういう不意打ちは、反則だって…)
加奈の言葉一つ一つに、俺の心はまるでジェットコースターのように揺さぶられる。でも、その揺らぎは、決して不快なものではなかった。むしろ、心地よいとさえ思える。
秋の深まりと共に、俺たちの関係も、少しずつ、でも確実に、新しい季節へと向かっているのかもしれない。文化祭という大きなイベントが、すぐそこまで迫っている。そこで、俺と加奈の物語は、どんな展開を見せるのだろうか。期待と不安、そして胸いっぱいの温かい気持ちを抱えながら、俺はゆっくりと家路についた。
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