第19話 中年男の浅はかな野望
(せっかく女の多い職場に入ったんだから、とりあえず誰でもいいからものにしないとな)
先週、派遣社員として洋菓子係に配属された五十歳の
低身長で頭も禿げ上がっている彼は、とてもモテるタイプとは言えず、今まで女性とはまったく縁がなかった。
(仕事中はとてもじゃないけど、女と話してる余裕はないから、チャンスがあるとすれば、帰りのバスの中だな)
川本はそう考え、仕事が終わると、わざとゆっくり着替えた。
そのようにした理由は、早くバスに乗り込むと、自分が窓側に座ることになり、女性が誰も隣に座って来ないからだ。
川本はたっぷり時間を掛けて着替えると、ほぼ全員が乗車しているバスに乗り込んだ。
(さてと、誰の隣に座ろうかな。佐藤さんの横が空いてるけど、彼女は坂本さんとデキてるみたいだからパスしよう。石原さんや平本さんはタイプじゃないし……おっ! 藤原さんの横が空いてる。よーし、彼女に俺の口説きのテクでも見せてやるか)
川本はそんなことを考えながら、久美に声を掛けた。
「隣に座ってもいいかな?」
すると、久美は別段気にする様子もなく「どうぞ」と、すんなり受け入れた。
(よし! とりあえず、第一段階はクリアした。後は出たとこ勝負だな)
川本は久美の横に座ると、さっそく話し掛けた。
「いやあ、前から思ってたんだけど、藤原さんってほんと美人だよね」
「そんなの、こっちはいつも聞かされてるから、慣れっこなんだよね。もっと気の利いたこと言えないの?」
「そうなんだ。じゃあ彼氏とは、普段どこでデートしてるの?」
「今は彼氏はいないわ。私と釣り合う男なんて、そうそう見つからないからね」
「……なるほど。それは言えてるかもね」(なんだ、この女。えらく高飛車だな。今時こういうタイプは珍しいな)
久美のあまりの傲慢ぶりに、川本が戸惑っていると、今度は久美の方から話し掛けた。
「あんた、女性目当てで、この職場を選んだんでしょ?」
「えっ! ……そんなことないよ。俺はただ、ここが仕事の割に時給がいいから選んだんだ」
「別に隠すことないじゃん。たとえ女性目当てだろうが、仕事をきっちりやってさえいれば、誰も文句は言わないからさ」
「それもそうだね。じゃあ正直に言うよ。俺は彼女を見つけるために、ここに来たんだ」
「やっぱりね。で、女性の隣に座ろうと思って、今日はわざとゆっくり着替えたんでしょ?」
「…………」
久美の核心のついた言葉に、川本が言い返せないでいると、彼女は更に詰めてきた。
「前にもあんたみたいな男がいたのよ。その人、坂川っていうんだけど、いつも私の隣に座ってきてさ。それだけならまだよかったんだけど、他の若い女性にも声を掛けまくるような最低な奴だったんだよね」
「……へえー。世の中には、そんなクズみたいな男がいるんだね」
「あんたも似たようなもんでしょ。今のところ、私にしか声を掛けてないみたいだけど、これからいろんな女性にアタックするつもりなんでしょ? けど、そう思ってるのなら、やめといた方がいいわよ。あんたみたいな男と付き合う奇特な女性なんて一人もいないからね」
「…………」
その後、目的地に着くまで、川本はずっと黙ったままだった。
シファとスサンが母国語で激しく言い合っている。
仲が良い二人にしては珍しいことだ。
「二人とも、どうしたんだ?」
透かさず協田が仲裁に入ったが、シファは「協田さん、止めないでください。今回ばかりは、許せないんです」と、まったく怒りを抑える気配を見せなかった。
「とりあえず理由を話してくれよ。でないと、こっちも対処のしようがないからさ」
「わかりました。スサンが私の作ったクッキーを無断で食べたんです」
「はあ? おい、おい。そのくらいのことで、こんなに激しく言い合うことはないだろ」
「そのくらいじゃありません。だってそのクッキーは、協田さんに食べさせるために作ったんだから」
「ふん。あんたが抜け駆けしようとするからいけいないのよ。協田さんは誰のものでもないんだからね」
スサンが悪びれる様子もなくそう言うと、シファは怒りのあまり彼女に掴みかかった。
「二人とも、いい加減にしろ! このままケンカをやめないのなら、二人とはもう絶交するからな!」
協田が珍しく声を張り上げると、そのあまりの迫力に、二人はすぐにお互いの身体を掴んでいた手を離した。
「協田さん、ごめんなさい。もう二度とケンカなんてしないから、絶交しないでください」
シファがそう訴えると、スサンも「協田さんに絶交されたら、もう生きていけないから許してください」と、懇願した。
「分かればいいんだよ。俺も強く言い過ぎて、悪かったな」
「じゃあ、許してくれるんですか?」
「これからもわたしたちと話してくれるんですか?」
「もちろんだよ。というか、最初から絶交する気なんてなかったけどな」
「ひどーい! わたし、本気で心配したのに」
「わたしもよ。協田さんに嫌われたと思って、泣きそうになったんだから」
「ああでも言わないと、二人がケンカを止めないと思ったんだよ。まあ、無事ケンカも収まったことだし、今日もがんばって仕事しようぜ」
「「はい!」」
二人は協田に嫌われていないことにホッとしたのか、飛び切りの笑顔で元気よく返した。
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