JS-TC線の人気者 <季節の話・秋>

蓮田蓮

終着駅に漂う金木犀 <季節の話・秋>

 夕刻の空は、群青と橙の境を曖昧に溶かしながら、ひと駅ごとに夜へと近づいていた。

「本日もJS-TC線をご利用いただき、ありがとうございました」

JS-TC線の終着駅に着いた汐海は、最後の放送を終え、マイクからそっと手を離した。

ホームに降りると、電車の機械音が少しずつ弱まり、やがて遠い余韻となって消えていく。

静まり返ったホームには、電灯の明かりと、時折吹き抜ける風だけが残されていた。

その風に乗って、ふいにやさしい香りが鼻をかすめる。

足を止めた汐海は、思わず目を細めた。

――金木犀だ。

線路横の植え込みに、小さな橙色の花が、まるで光を集めるように咲き誇っている。

昼間は気づかなかったその存在が、夜の静けさに包まれていっそう際立っていた。

香りは甘く、けれどどこか切なくて、ひと呼吸するたびに胸の奥が揺れる。

一日中、秒刻みで働いてきた神経がほどけていき、時刻表から解き放たれた心に、秋の深まりがすっと染み込んでいく。

「こんなふうに、季節に気づける余裕がまだ残ってるんだな」

小さな独り言が、ホームの屋根に吸い込まれる。

制服の襟に残る車内の匂いと、金木犀の香りが重なり合い、今日一日の記憶に新しい色を加えていく。

見上げれば、空にはまだ消え残る夕焼けの朱と、滲み始めた星の光。

列車を降りていった人々の気配はもうなく、終着駅は、汐海一人の舞台になっていた。

彼はゆっくりと歩き出す。

足元には風に飛ばされ落ちた花びらが、橙の小片となってホームの隅に散らばっていた。

それを踏まないように避けながら、汐海は思う。

――明日もまた、この香りに出会えるだろうか。

やがて駅務室へ続く通路の先、灯りの中に彼の背が溶け込んでいった。

終着駅に漂う金木犀の香りだけが、秋の訪れを静かに告げていた。


-終わりー

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JS-TC線の人気者 <季節の話・秋> 蓮田蓮 @hasudaren

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