第9話 死者の花

ダンジョンとは——簡単に言えば、魔素溜まりである。


古代の遺跡、洞窟、渓谷、戦場跡地——魔素が蓄積しやすい場所の総称だ。


なぜ魔素が蓄積するのか——そのメカニズムは、未だ解明されていない。

比較的地形が入り組んでいたり、人が多く死んだ場所は魔素溜まりになりやすいという傾向はあるものの、そもそも魔素というものが目で観察できないために研究はあまり進んでいない。


だが、確かにわかっていることとしては、魔素が濃く集まった場所では魔物が自然発生するということだ。


それがダンジョン。


もう少し厳密に述べるなら——


ダンジョンとは、周囲の魔素濃度に応じて硬化する緑鉄甲虫の外殻を、水晶と擦り合わせた時に、外殻が傷つかない程度の魔素濃度を——観測期間十日のうち、八日以上満たす場所。


そう定義されている。


又、なぜ魔物が魔素から発生するのか——それも、分かっていない。


一つの学説として——


魔素とは、過去に存在した万物の記憶であり、その記憶たちが集合し、自我を持つことによって——魔物が形成される。


そんな説もある。


真偽は定かではない。


というか、そもそもこの説を提唱したのはどこぞの哲学者であり、事象の観察と洞察に基づいていない。正直、眉唾物だろう。




このようにダンジョンとは謎多きものであり、

その謎を解き明かさんとして冒険者たちはダンジョンに挑む。


……まあ、実際は魔物の素材、魔素によって変性した植物や鉱物の方が主目的であるが。


どちらかといえば学者肌である俺としては何とも無粋に感じる……


◇◇◇


ダンジョンに入ってから随分と時間が経った。


俺とセラはダンジョンの五階層まで到達していた。


全8階層のダンジョン。その中層である。


魔物との遭遇は数回あった。


だが、セラの腕は確かだった。


彼女はまるで影のように動き、魔物を仕留めていく。


俺は——ただ、後ろを付いていくだけだった。


男として、又、年長者として、年下の、それも少女に守られているというのは何とも複雑な気持ちだ。


しかし、下手なことするよりはマシだろう。


そんなふうに頭の片隅で色々と考えつつ歩いていると、セラが突然立ち止まった。


「……見つけた」


セラがそう言った。


目の前に広がっていたのは——広大な空間。


天井は高く、地面には無数の光ダケが生えている。


その発光は他の場所に生えているキノコよりも異様に強い。


その空間は光ダケの影響で、まるで夕暮れのような、薄暗い明るさになっていた。


そして、地面には、薄く水が張っていた。


その水の中に——


無数の黒い花が、咲いている。


ネクロ・ロータス。


死者の花。


巨大な群生地だ。


セラは水辺に近寄り屈んで辺りを見渡していた。


「……アズカガリア?」


セラが警戒するように訊いた。


先ほどの経験が、彼女を慎重にさせているのだろう。


「大丈夫だ」


俺は答えた。


「アズカガリアの水の中では、他の植物は生息できない。ネクロ・ロータスが生えているということは——この水は、安全だ」


とはいえ——


念のため、確認する。


俺は水の近くにしゃがみ込み——匂いを嗅いだ。


腐敗臭はない。


甘い香りも——ない。


そして——


指先で、少しだけ水をすくい、それを舐める。


舌に、僅かに苦味。


魔素を多く含んだ水特有の味だ。

そこに異常は感じられない。


ただし、生水は体に良くない。

それに味覚だけでは感知できない毒物もある。


俺はすぐに——唾を吐き捨てた。


「……おおよそ安全と言っていいだろう」


俺たちは水の中に、足を踏み入れた。


冷たい水が足首を濡らす。


ネクロ・ロータスの群生地——


その中を、慎重に進む。


「花托を探すぞ」


俺は言った。


ネクロ・ロータスの花托には瘴気を凝縮して、液化させる特性がある。


それが、ネクロ・ロータスの雫——


つまり、ネクロ・ロータスの雫とは瘴気それ自体と言っても過言ではない。


……いや、過言かもしれない。


正確には瘴気単体は実物として存在できない。

そのため、ネクロ・ロータスの雫とは、その花托から分泌される液体に瘴気が溶けた、黒く粘性のある液体とするべきか。


そんなネクロ・ロータスの雫を求め、俺とセラは黙々と、花托を探した。


ネクロ・ロータスの群生地は広大で——どこに花托があるのか、見当をつけるのは難しい。厄介なことに、太陽の光も季節もないこんな場所では、彼らは気まぐれにしか姿を現してくれない。


しばらくして——


「……ザック」


セラの声が、静かに響いた。


「こっち」


俺は——彼女のもとへ向かった。


セラが指差す先——


そこには、大きな花托があった。


中心部が膨らみ——表面には、ネバネバとした黒い液体が滲んでいる。


「……おお、本物だ。それも随分と状態がいい」


俺は懐から——特製のガラス瓶を取り出した。


透明なガラス。だがその表面には、微かに魔法陣が刻まれている。


その効果は瘴気を封じること。


ネクロ・ロータスがとある大事件で禁制品となってから、ここ数年ではあまり見なくなったレアモノである。しかも、このガラス瓶は買った当初で既に金貨5枚。


今ならもっと値が付いてもおかしくない超超超貴重品だ。


ところが、この前これを質屋に出した時はその価値をわかってもらえずに銀貨1枚の評価をつけられた。


そのこと思い出し、俺は思わず苦笑してしまう。


「さて、雫をいただくとするか」


俺は慎重に花托から滲み出る液体をガラス瓶に集めた。


どろりと液体が瓶に垂れていく。


俺は確かめるように瓶を揺さぶった。


これが——ネクロ・ロータスの雫。


麻薬の——原材料。


「セラ」


俺は言った。


「ネクロ・ロータス自体も一本ほど持ち帰りたい。根っこまで綺麗に引き抜いてくれないか」


「……分かった」


セラは短く答え——近くにあった一際大きなネクロ・ロータスに近づいた。


両手で茎を掴み——


引っ張る。


だが——


びくともしない。


セラが——もう一度、力を込める。


だが——動かない。


「根っこが頑丈だから——簡単には抜けないぞ」


俺は笑いながら言った。


「……はやく言ってよ」


セラが静かに言う。


「いやぁ、すまん」


俺は笑いをやめて、雫の回収に集中した。


ガラス瓶が——少しずつ、黒い液体で満たされていく。


これで麻薬の材料は揃った。


地上に戻ったらすぐにでも製造が始められる。


そして俺は次の花托を見つけ出すため、顔を上げた。


改めて辺りを見渡す。


そこでふと、疑問が浮かんだ。


「それにしても——」


俺は呟いた。


「ここは随分と大きな群生地だよな。ネクロ・ロータスは性質上——ここまで集まって生えることはないはずなんだが……」


ネクロ・ロータスは瘴気を好む植物だ。


だが——同時に、瘴気を奪い合う。


だから通常は、ある程度離れて生えるはずなのだ。ある程度の瘴気濃度があったとしても、小さな塊にしかならない。


なのに——


ここは、密集している。


まるで——


何かに、引き寄せられるように——


その瞬間——


ズボッ!!!


セラが——ネクロ・ロータスを引き抜いた。


根っこごと、大きな泥の塊が、地面から抜ける。


そして——


地面が、揺れた。


ゴゴゴゴゴ……


低い音。


振動。


瞬間、地面が盛り上がる。


同時に——盛り上がった地面の分の隙間を埋めるように、足元の水がそちらへ流れていく。


「……っ!」


俺は——後ろに飛び退いた。


セラも——素早く距離を取る。


地面が——さらに盛り上がる。


土が崩れ落ち——


そして——


現れた。


白い骨。


巨大な頭蓋骨。


長い首。


四本の脚。


翼の骨格。


そして——長い尾。


竜——


いや——


竜の骨。




___死竜だ




白骨化した竜の死体が——ゆっくりと、立ち上がった。


空洞の眼窩が——俺たちを見る。


口が——ゆっくりと開く。


ギィィィィ……


骨が軋む音。


そして——


咆哮。


「ガァァァアアアアッ!」


ダンジョン中に響く——亡者の叫び。


俺は——息を呑んだ。


これは——


まずい。


非常に——まずい。


「……逃げるべき」


セラが——低く言った。


「ああ」


俺は頷いた。


急いでネクロ・ロータスの雫が入ったガラス瓶をポーチに仕舞う。


死竜は——すでに、動き出していた。


巨大な顎が——俺たちに向かって、迫ってくる。


クソッ——


俺たちは——この空間の出口へ向かって走り出した。


だが——


ドォーーーーーンッ!!!!!


竜の尻尾が出口付近の天井に衝突し、轟音と共に崩壊した。


行手を塞がれる。


俺たちは立ち止まり、竜の方を振り返った。


「……どうやら、俺たちを生かして返すつもりはないらしいな、、、」


「……ええ」


出口は今塞がれた場所のみである。


俺たちは、どうやらこの死竜と戦わなければならないようだ。

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