既視感のある彼女 ルーファス視点



「っ……」


 目が覚めると、見慣れた天井だった。


 身体は鉛のように重く、口の中には血の味が広がる。


 腹部の奥に、突き刺されたあの感覚が残っているように感じた。だが、指先で確かめると、そこに何の傷もないことに気づき、言いようのない混乱を覚える。


「……助かったのか」


 掠れた声で呟くと、寝台の傍に立っていた執事のアルローが不安そうに眉をひそめた。


「ルーファス様、お目覚めになりましたか? 随分うなされておいででした」


 アルローは慣れた手つきで俺の額の汗を拭い、淡々と告げる。


「もうすぐ、フィオナ様がご到着されますので、私は出迎えに行って参ります。執務室へと彼女をお連れいたしますので、お会いできそうなのであればそちらでお待ちください。難しそうであれば、ヴィルハイム様に彼女の対応をお任せいたします」


 その言葉が、俺の鈍い思考をゆっくりと掻き混ぜていく。


「……なんだと……?」


 意味が分からず、無意識に声が出た。俺が死んだはずのあの夜から、一体何がどうなったというのだ。


 アルローは困惑した表情で、それでも言葉を続けた。


「今日はペンフォード家よりフィオナ様がドラクレシュティにおいでになる日ですが……お忘れでしたか?」


「フィオナ……?」


 その名前を口にした瞬間、右腕が蠢いた。袖を捲ると、そこには見慣れた黒い呪紋じゅもんが刻まれている。


 そうだ、この腕は健在だ。悪魔公は死んでいない。


 弟のヴィルハイムが地盤を固めるための時間を稼ぐために、俺が婚姻を結ぶ予定だった相手が、彼女だった。


 では、あれは夢……?


 胸にぽっかりと穴が空き、絶望に満たされていたような、やけに鮮明な夢。

 暗殺者に腹を刺され、温かい血が噴き出す感触まで、今も鮮やかに残っている。夢に出てきた女性……フィオナの笑顔と、最期の言葉。


「貴方の孤独が…終わりますように」


 あの光景も、あの言葉も、あまりに現実的すぎて、夢だとはとても思えなかった。

 だが、そんなはずはない。その証拠に、右腕にはもう見慣れた呪紋じゅもんがある。あれはただの悪夢。そう結論づけることで、俺の胸を焼く絶望は少しだけ和らいだ。


「……私も彼女を出迎える。急ぎ準備せよ」


 だが、安堵したはずの胸の奥で、まだ説明のつかない違和感がざわめいていた。

 洗礼式以来会っていないはずの彼女の顔が、あまりにも鮮明に脳裏に浮かぶ。まるで、この手でその頬に触れたことがあるかのように。


 城門を潜った馬車が、城の正面玄関の入り口で止まる。


 御者が扉を開けると、一人の女性が馬車から降りてきた。

 その姿を見た瞬間、俺の心臓は凍りつく。


 夢と寸分違わない。


 彼女は夢の中で、俺の腕の中で死んでいった女性と、何もかもが同じだった。ただ、その青い瞳には絶望の色はなく、代わりに警戒と不安が揺れていた。


「ペンフォード伯爵家より参りました、フィオナと申します。これからよろしくお願いいたします」


 彼女はたどたどしくカーテンシーをし、不安そうな瞳で俺を見る。困惑に言葉が出ない俺の様子を察して、アルローが口を開いた。


「お待ちしておりました。フィオナ・ペンフォード伯爵令嬢。わたくしはこの城の執事、アルローでございます。そしてこちらが、ルーファス・ドラクレシュティ辺境伯です」


「ルーファスだ……」


 名前を名乗ると、彼女は信じられないとばかりに青い瞳を見開いた。その表情、仕草、声の震え。すべてが夢の女性と合致する。


「出迎えていただき……ありがとうございます」


「では、応接室へとご案内いたしますので、こちらへどうぞフィオナ様」


「待て、アルロー」


 そう言って彼女を応接室へと案内しようとするアルローを止めた。


「……長時間の移動で疲れているはずだ。先に彼女を部屋へ案内しろ。話は夕食前でいい」


 夢の中で彼女がこの後倒れていたことを思い出し、そう指示を出した。


 アルローは珍しいものを見るかのように、少し表情を崩してから「かしこまりました」とフィオナに部屋の案内を申し出る。

 俺の指示にフィオナは困惑したようだったが、すぐに表情を隠してアルローの後を追った。


 俺は彼女の姿が消えた後も、しばらくその場に立ち尽くしていた。

 あれは、本当に夢だったのか?


 彼女の不安そうな瞳と、夢で見た死にゆく姿が、俺の脳裏で重なり合い、冷たい汗が背中を伝った。


 そしてその日の夕食前に、俺は血を吐き動けなくなった。


 “ああ、そうだった”と、夢の自分と今を重ねてしまう。


 彼女には仕事が入ったと伝えてもらい、俺は身体を蠢く瘴気で思うように動かせない身体を寝台の上で休めた。その隣ではヴィルハイムが顔を険しくさせながら、明日の予定を確認する。


「明日はグラディモア公爵に連なる貴族が城を訪れる予定となっております。朝の騎士団の訓練に参加している姿を見せて、蝕身病しょくしんびょうの噂を否定するとおっしゃっていましたが……」


 本当に出来るのですか?というヴィルハイムの視線に、俺は「その予定で変わりない」と告げた。


“朝には体調が戻る”ことを、奇妙な確信とともに知っていた。


「フィオナは……どうしている」


「フィオナ様……ですか……?彼女は不安そうに過ごしているとアンナが申しておりました。実家でもよい扱いは受けていない様子でしたし、仕方ないことだとは思いますが……」


 ヴィルハイムは言葉を濁したが、輿入れしてすぐに部屋に通され、放置されているのだから当然だった。

 彼女の不安な顔が浮かび、胸が締め付けられるように苦しくなる。


「明日は必ず話すと彼女に伝えてくれ。昼食……後には彼女と話す時間を取る」


 ヴィルハイムは少し困惑しながらも「かしこまりました」と了承した。


「それでは私は明日の朝食後、フィオナ様に城をご案内させていただきます。庭園で昼食をお勧めしますので、もし体調が戻りましたらお話を」


 アルローの言葉に、彼女が庭園でお茶を飲んでいる姿が、昨日のことのように脳裏に浮かんだ。


その奇妙な感覚は、どんどんと増すばかりだ。


「わかった。……婚姻の書類を彼女は持っているはずだ。それを準備しておいてくれ」


 そう言って、苦しみを逃すための睡眠薬に身を任せ俺は意識を手放した。


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