はんぶんこおじさん

呑戸(ドント)

はんぶんこおじさん


 三十年ほど前の体験である。


 私の通っていた小学校の近辺には、

「はんぶんこおじさん」

 という中年男性が出没していた。


 おじさんが自分でそう名乗っているわけではない。子供たちが勝手にそう呼んでいたのである。



 おじさんはだいたい、放課後の道に現れた。

 二、三人で帰っている途中に、

「ねぇ、ちょっと」

 お声をかけられる。

 そちらを見ると、おじさんが立っている。


 おじさんは作業着のようなものを着ていて、数回遭遇した子によれば、

「お父さんより上で、おじいちゃんより下の、おじさん」

 という容姿らしいから、四十代くらいと思われた。


 おじさんは「勉強がんばってるかい」とか「外で元気に遊ぶんだよ」など、ごく普通のことを話しかけてきてから。


 お金をくれるのだった。



 ヘンなことをしてくるでもなく、嫌なことを言ってくるでもない。

 これだけならば「親切な不審者」である。


 しかし、おじさんには妙なところがあった。



 まず、身体を半分しか見せない。


 曲がり角や小道や電柱から、向かって左、おじさんからすると右半身しか見せない。

 身体を隠していることになるわけだが、子供が「はて何だろう」と角や電柱の後ろに回っても、おじさんは別に咎めない。

 左半身が異常なことになっているわけでもないし、お金を渡したら陰から出てきて、顔から爪先まであっさり全身を見せて立ち去ってしまう。

 隠れている理由がよくわからない。



 さらに、子供にくれる金額が変わっている。

 日によって違っていて、三種類あった。それが、



 五百円、二千五百円、五千円。

 つまり。

 千円と、五千円と、一万円、の半分。



 五百円と五千円なら硬貨一枚、紙幣一枚だからおかしくはないが、紙幣と硬貨が必要な「二千五百円」という金額は、かなり奇異だ。

「半額しか配らない」というおじさんの意思のようなものを感じざるを得ない。

 そして何故か、二千五百円を貰う生徒が多かったという。



 以上の二点から、中年男性は「はんぶんこおじさん」と呼ばれていた。



 学校側としては不審者であるから、時折放課後に見回りなどしていたらしいが、何故かなかなか捕まえられなかったらしい。





 私も一度、小三の時に、おじさんに遭遇したことがある。

 その時に怖い目というか、ちょっと厭なことになった。


 友達ふたりとランドセルをガチャガチャ揺らしながら帰っていて、狭い道路に入ったところだった。

「ねぇねぇ」

 と声をかけられた。


 三人でハッと振り向くと、電柱の陰から中年の男が身体を半分出している。

 話の通り、作業着姿のおじさん、と言った感じだ。


 私は会ったことがなかったので友達に、「あれがおじさんなの」と訊ねた。遭遇経験のある友達は大きく頷いた。


 右半身を隠しつつおじさんは、

「寒くなってきたね」

「健康に気をつけて」

 などと、世間話のようなことを言ってきた。


 言い終えてからおじさんはポケットに手を入れて、「はい、どうぞ」と私たち三人それぞれに、二千五百円を渡してきた。

 千円札二枚はクシャクシャ、五百円玉は体温で生温かかったけれど、お金はお金である。


「わ、わ、やった」

「ありがとうおじさんっ」

 私と、遭遇経験のある友達は喜んだ。当時の小学三年生に二千五百円というのはなかなか嬉しい額だ。


 しかし。

 残るひとりの顔が、わずかに曇っていた。

 手の中の二千五百円を眺めつつ「うぅん」と小さく唸ってから。

「おじさん。もう五百円、くれない」

 いきなりそう言い出した。


 我々はええっ、と驚いたし、当のおじさんも「えっ」と電柱の陰で身をのけぞらせた。


「ボク、欲しいゲームがあってね、ちょうど今お金貯めてて、あと三千円で」

「ああ、そうなんだね」

 おじさんの声は優しい。

「あと五百円あると、すぐ買えるの。だから、あと五百円、ダメかなぁ」


 おじさんは

「どうしてもかい」

「次に会うときまで待てないかい」

 と説得しようとしたが、友達はしつこかった。一刻も早くあのゲームで遊びたい、と身をよじらせんばかりにお願いした。


 最後にはおじさんはふぅ、と息をついて、ポケットから新しめの、キラキラ光る五百円玉を出して、友達の方に差し出してきた。


「仕方ないから、はい、五百円ね」

「わぁっ」

 友達は飛び上がって受け取った。

「ありがとう、おじさんっ」

 礼を言われたのに、おじさんは悲しそうな顔をしていた。

 その顔のままで、こう言った。

「五百円分、もらうからね」

「え、何を」

「五百円分を、もらうからね」

「それって、なぁに」

「五百円分。五百円分。五百円分」

 おじさんは呟きながら電柱の陰から出て、背中を丸めて道の向こうへと去っていった。



 翌日、私ともうひとりの友達が教室で喋っていると、校庭から物凄い悲鳴が聞こえた。

 走っていくと校庭の一角に人だかりがあった。

 回転遊具に指を挟まれた生徒がいる、という。


 先生に救急車を呼んだからな、と言われて背中を撫でられつつ、歯を食い縛って泣いていたのは。

 昨日、おじさんに五百円をねだった友達だった。


 指自体は無事だったが、小指から親指までの爪がすべて剥がれてしまったという。

 翌日、手を包帯でぐるぐる巻きにして登校してきた友達は、ぼそりとこう呟いた。


「指、五本だね」


「五百円分だ」

 我々は直感した。


 私たちはおじさんのことがひどく怖くなり、その日から放課後は走って帰る毎日になった。







 そして現在。

 たわむれに、同じ小学校に通う娘に訊いてみたところ、

「あぁ、いるよ。そういうおじさん」

 と言われた。


 現れる頻度は昔と比べて少なくなったらしいが、身体を半分しか見せないのも、くれる金額が「半分」なのも同じだった。



 ただし年齢は、「五十代の真ん中くらい」だそうである。


 こちらは三十年ほど経っていて、向こうはおそらく、十五歳程度しか老けていない。


 なるほど。

 年の取り方が半分であるらしい。



 何となく、おじさんが右半身しか見せないことに理由があるような気がするのだけれど、何故そう思うのかは、私自身にもわからない。


 


 

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はんぶんこおじさん 呑戸(ドント) @dontbetrue-kkym

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