告白しりとり
@halunasu
1話目
とにかく、俺は地味な自分を変えたかった。そう思って、知り合いがいない中学に進学した。
まずは、見た目から変わることにした。今風の髪を研究して、ヘアワックスも使い始める。もちろん、ダサい眼鏡はコンタクトに。
流行についても死ぬほど勉強した。ジャージばかりだったクローゼットが、洒落た服でいっぱいになる。棚はよく分からんアーティストの雑誌で埋まる。
友達作りにも尽力した。ボッチを回避するため、ただ仲間を作るのではない。スクールカースト上位の奴らと親密になって、強いグループに属する。
その間、好きだった漫画やアニメも見るのをやめた。集めていた漫画も、フィギュアも、アクスタも、CDも、全て押し入れの奥へ。オタク友達とも距離をとった。
その結果、見事、俺は陽キャの仲間入りを果たしたのだ。
しかし。
「罰ゲームで告白だけじゃ、つまんなくね?」
最初に言い出したのは、グループのリーダー格だった気がする。とにかく、それがきっかけ。
アイツの家に集まり、最新のFPSゲームで遊んでいて、俺が負けた。ゲーム開始前は、最下位の奴が適当な女子に告白する、という罰ゲームだった。
けれど、それだけではつまらないと言うのだ。
罰ゲームの当事者でない奴らは、リーダーの言葉を皮切りに好き勝手に提案する。そうして、最終的に決まった追加ルールはこうだ。
しりとりで会話しながら、女子の誰かに告白する。
「じゃ、明日の放課後、寛太は田島さんに告白な」
「……田島さん?」
「おう。いつも放課後の教室で本読んでるだろ。ちょうどいいじゃん、チクられなさそうだし」
そう言って、リーダーが笑えば、他の奴らも笑い出す。陰キャ女子で良かったじゃん、と肩を叩かれる。俺はなんとか愛想笑いだけ浮かべて、その日は家に帰った。
そして、問題の放課後。
長い黒髪に、丸い眼鏡をかけた女子が、一人本を読んでいた。夕焼け色に染まった教室にいるのは、俺を含めて二人だけ。
グループの奴らはどこかで聞いているかもしれないし、帰ったかもしれない。どちらにせよ、罰ゲームを遂行しなければ、チキンになってしまう。それだけは避けたい。
「よ、よう……」
俺は、覚悟を決め、田島さんに声をかけた。教室のドアから、徐々に距離を詰めていく。すると、彼女はおもむろに振り向いた。
「こ、こんにちは……?」
少しの間を置いた後、小さな声の挨拶が返ってきた。彼女に警戒されていることが、ひしひしと伝わる。
田島麻美。クラスでは地味な子だった。メイクもしていないし、流行りの髪形もしていない。同じような格好の女子数人と、たびたび漫画やアニメの話をしているイメージがある。
もちろん、彼女と話すのは今回が初めてだ。というか、女子と一対一で話すのが初めてだ。心臓の音が、漏れ聞こえていないだろうか。シャツが汗ばんでいないだろうか。
次の言葉を考えなければいけないのに、どうでもいいことばかり、頭の中に湧き出してくる。もう、ごちゃごちゃだ。
とにかく、とにかく。落ち着かなければ。こんにちは、だから、次の言葉は”わ”……じゃなくて、”は”!
「は、話さねぇ?ちょっと」
「いいですよ……?」
俺が机一個分空いた席に座ると、田島さんは本を閉じて向き直った。次のセリフを考える間、気まずい空気が流れる。カラスの鳴き声だけが、むなしく聞こえる。なんとか、”よ”から始まる会話を捻り出した。
「よ、よ……夜中さあ、面白い漫画見たわ」
我ながら、唐突な振り方。咄嗟に、漫画と言ってしまった。まあ、彼女相手なら、多少話が続くだろう。
ちなみに、最近は漫画を読んでいないので、これは真っ赤な嘘である。ただ、昔は読んでいたので、恐らくカバー可能。さあ、どんな反応が来るか。
「そうなんですか?」
シンプルな相槌。”か”は一瞬で思いついた。
「か、かなり昔のヤツ」
「へえ、私も漫画は好きですよ」
「よ、良かった!それで、その……懐かしいなって思ったんだよ」
うまく繋がった! 案外うまくいっている。ちょうど、心臓の爆音も収まってきたところだ。これは、いける。
「いつ頃の作品なんですか?」
また”か”だ。次も”かなり”でやり過ごそう。
「かなり……前だな、小学校の頃」
「小学生の頃……」
田島さんは、手を顎にあてて考える素振りをした。昔の漫画を思い出しているのだろうか。
まあ、ここはとりあえず、オタクだと思われないよう、細心の注意を払いながら会話していく。なるべく、深堀した話をせず、にわかっぽい雰囲気で。
次の言葉は”ろ”。
え、ちょっと待て。難しくね? 一気に会話の戦略が吹っ飛んで、頭まっさら。やばい、間が空くと気まずい。何とか、答えを叩き出さねば。
「ろ、ロングな、ストーリーだった!」
苦し紛れのセリフ。ロングなストーリー。アメリカかぶれか、俺は。顔から火が出そうとは、このことを言うのだと、初めて実感した。
彼女は少しの間、ポカンとした顔をしていた。だが、思い出したようにふふっと笑う。ロングなストーリーね、と呟いて、再び尋ねた。
「週刊連載だったのかな?」
ドン引きされなくて良かった、と思ったのも束の間。
これはピンチだ。
今回の質問は、はいかいいえの問題。だが、繋げなければならない文字は“な”。イエス、ノーも使えない。
「な、なんか、バトルがあるやつだった!」
答えになってない。バカ丸出しである。
しかし、ギリギリながら、バトンは繋がった。いけるだろうか。俺は田島さんの方を見る。
しばらくの間、彼女は黙っていた。
まずい、流石にヤバい奴だと思われたか。
───いや、ヤバい奴なのは当たりだろ。何も知らない彼女を、自分の勝手で罰ゲームに巻き込んでいるんだから。
ふと冷静になると、胸の辺りがチクリと痛んだ。
突然話しかけてきた俺を、彼女は無視しなかった。今だって、普通に話してくれている。俺が変なことを言っても、馬鹿にしないで、相手を続けてくれる。
それなのに、俺は。
そこまで考えた所で、彼女の声がした。
「タイトルは何ですか?」
「え?」
「えっと、そのバトル漫画のタイトルです」
彼女は少したどたどしく話す。少し目線を逸らしがちになりながらも、こちらを真っ直ぐに見ようとしてくれている。
俺は迷った。ここで止めるべきか。
だが、アイツらが、もし聞いていたら? 帰っていると言いつつ、影で隠れていたら?
そう考えると、ゾッとした。ドアの方から視線を感じた気がする。フッと笑う声がした気がする。それは、俺の知っている誰かかもしれない。
結局、俺はしりとりを続けた。
「す、すげぇ、うろ覚えだけど、“私のヒーローアーカイブ”っていう……」
「うん、知ってる!私も大好きです、ヒロアカ!」
いきなり大きな声を出して、田島さんが身を乗り出す。俺は思わず、うえっ、と変な声をあげた。正直、ここまで食いつかれるとは思わなかった。
随分と、懐かしい作品だ。才能のなかった主人公が、努力と友情で成り上がっていく、王道漫画。仲間も魅力的で、能力バトルも熱くて。漫画もアニメも、数え切れないほど見返したっけ。
「か、かなり面白かった……というか、今でもすげぇ面白い」
つい、好きを出してしまう。本当は、さらっと流すべきだっただろう。しかし、あの作品の良さを、“かなり”なんていう中途半端な言葉で表したくなかった。
小学生の頃に、俺が不登校になったり、非行に走ったりしなかったのは、あの作品のおかげだから。
田島さんは、うんうんと笑顔で頷いている。言わずもがな、ヒロアカファンなのだろう。
よく見てみれば、彼女の通学カバンには、主人公のアクリルキーホルダーが付いていた。しかも、アニメショップ限定版。昔欲しかったけれど、一人で通販は使えなかったから、断念したグッズだ。
ちゃんとカバーまでしていて、とても大切にしているのが分かる。俺もキーホルダーには保護シートを貼っていたっけ。俺の推しは主人公のライバルだった。
「家に全巻揃えてあって……私もヒロアカ大好きなんです。今もアニメの続きが楽しみで、楽しみで」
彼女はキーホルダーを眺めながら、にんまりと笑った。俺も、漫画やアニメの続きを想像していたときは、こんな顔だっただろう。いや、こんなお淑やかじゃないが。
「でかい本棚とかに、全部集めてる感じ?」
「自慢じゃないですが、本当に大きいのがありますよ。鬼殺の刀や、祝術回戦もあります。ヒロアカに至っては、スピンオフや設定資料集とかも含めて全部!」
「まじで!?」
思わぬ情報に、しりとりを忘れた。うちはアパートだから、そんなに漫画は買えなかった。今まで読めたのは、自分で買った数十冊と、友達から借りたものだけ。設定資料集なんて、言うまでもなく無い。
正直、見たい、めっちゃ見たい。続きまで買って読めていなかった。今だって、どこで終わっているか思い出せる。
一度思い出せば、読みたくてたまらなくなる。あのワクワク感を、ドキドキ感を、また感じたい。
その漫画、貸してほしい──と言いかけたところで、俺はハッとした。
「ぶ、部活で忙しくて、最近は追えてないんだよ」
「良かったら、私の漫画を貸しますよ?」
「よくよく考えたら、漫画って子供っぽいなって、思ってさ。読んでないんだわ」
そう言って、俺は笑った。いや、上手く笑えていただろうか?
漫画を読むなんて、子供っぽい。自分で言っておいて、胸がズキンと痛んだ。
ベットの上で漫画を読んでいた時、ページを捲る手が止まらなかった。アニメを見た後、友達との考察合戦が夜まで続いた。恥を忍んで、母親に臨時お小遣いを乞い、グッズを買いに行った。
そんな思い出が、ガラガラと音を立てて崩れていく。後に残ったのは、好きでもない音楽を聴いて、好きでもない服を着て、周囲の人の言葉に頷くだけの俺。
部活が忙しいから、なんて嘘だ。俺は自分の意思で、漫画を読むのをやめた。誰かにやめろとは言われていない。けれど、何でやめたのか、よく分からない。
──このままでいいの?
悲しげな田島さんの表情を見ると、そう問いかけられているように感じた。俺は思わず、目をそらす。でも、今度は昔の自分が見つめてくるようで。
長い沈黙の中、彼女は、おもむろに机の上の本を手に取った。小難しい小説だと思っていたそれは、俺がよく知っている漫画本だった。
「私は好きです、漫画もアニメも。大好きです」
そう言って、彼女は笑う。とても純粋な笑顔だった。恥ずかし気なんてない、真正面からの、堂々とした好きだった。
「もちろん、馬鹿にされたこともありましたよ。もう、昔のことだけど──」
そう言って、彼女は話す。小学生の頃から、漫画家になりたかったこと。それを、同級生に馬鹿にされたこと。
自作の漫画をゴミ箱に捨てられたこともあったと言う。
そんなの、馬鹿にされたなんて言葉じゃ、足りないだろう。俺は拳を握りしめた。彼女の代わりに、その同級生とやらをぶん殴ってやりたくなった。
けれど、彼女は穏やかだった。下を向かなかった。真っ直ぐにこちらを見て、強かに言う。
「どんなことがあっても、私だけは、私の好きを否定したくないなって」
ぎゅっと本を抱きしめた彼女の背後には、赤い空。静かに燃える夕日が、俺たちをそっと照らす。彼女黒髪に反射した光に、目を細めた。俺にとっては、あまりに眩しかった。
「…………」
「寛太君、どうしたの?」
「い、いや、何でもない」
羨ましい。なんて言うのは、おかしいだろうか。
俺も、彼女も、辿ってきた道は似ていたと思う。自分の好きを否定され、貶された。そこで、深く傷ついた。
そして、俺は変わった。変わることが、常に正しいと思っていた。自分なりに努力したと、言えるはずだ。
一方で、彼女は変わらなかった。
一瞬だけ、ずるいと思った。
だが、そんな考えはすぐに消える。
彼女は、変わらない努力をしたんだ。自分の道を進む勇気を持っていたんだ。
気が付けば、俺は椅子から立ち上がっていた。そして、彼女の目をみて、はっきりと告げた。
「ごめん、俺、ただのイタズラで、君と話してた」
「……うん」
「本当に、ごめん。ごめんなさい」
俺は、深く頭を下げた。すると、彼女は慌てたような声で言う。大丈夫、気にしないで、と。その言葉に、なんだか目頭が熱くなってきた。
それに気づいたのか、彼女がオロオロし始める。恥ずかしさと惨めさが、俺に襲いかかってきた。女子の前で頭下げて、泣きべそなんて、イケてる奴のすることじゃない。
何だか、声も震えてきたかもしれない。顔が真っ赤かもしれない。涙が溢れそうかもしれない。今、この世界で一番、かっこ悪いかもしれない。
だけど、言いたい。厚かましいかもしれないけれど、言いたい。
「今度はさ……」
自分の気持ちに従って、本心から。
これから、もう一度、やり直してみたい。
「普通に、好きな漫画の話、してもいいかな?」
俺は、田島さんの瞳を真っ直ぐ見て言った。沈みかけの太陽が、鮮やかに教室を染め上げる。世界で二人ぼっちになってしまったように、しばらく音が消える。
そして、彼女の柔らかい微笑が、その静けさを破った。
告白しりとり @halunasu
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