第35話 女王の出現

戦場には砂塵が渦を巻き、叫びと羽音が交錯していた。

 そのただ中で、ミラは突如、足を止めた。


 胸の奥に、ざわりと黒い波が広がる。

 それは遺跡の奥深くに眠っていた、あの「球体」の記憶だった。


 ——黒く光る巨大な球体。

 脈打つように鈍い光を放ち、近づく者の心を捕らえては、意思を奪っていった。

 怒りや恐怖が増幅され、仲間同士が殺し合い、種族が自滅していった。

 ホモサピも、爬虫属も、モスキート属さえも……。

 すべてが狂気に陥り、最後には何も残らなかった。


 崩れ落ちた都市の瓦礫。血に染まった大地。

 誰もが「戦った」のではない。ただ操られ、滅びの道を歩まされたのだ。


 ミラは震える手で胸を押さえ、歯を食いしばった。

 【あれだけは……もう繰り返させない!】


 戦場の喧噪に耳を閉ざし、ミラは意識を研ぎ澄ませる。

 心の奥から、敵の中心にいる存在――女王へ向けて、必死にテレパシーを放った。


 【モスキート属の女王……聞いてください。

 私たちは戦いを望んでいない。

 過去に存在した、黒き球体のような過ちを、繰り返すわけにはいかないのです。

 あなたの種族も、私たちも、誰もが同じ道を歩まされ、滅びることになる。

 だから——どうか……!】


 その声が届いたのか。

 次の瞬間、羽音がぴたりと止まった。

 空を覆っていたモスキート戦士たちが、一斉に硬直したように動きを止める。

 戦場に漂っていた砂塵さえも、風を失って宙に留まる。


 ——静寂。


 やがて、闇の奥から気配が満ちてきた。

 巨大な影がゆっくりと動き、光を反射して現れる。


 黒紫にきらめく翅。

 幾万もの視線を一度に集める、冷徹にして神秘的な複眼。

 その存在だけで、戦士たちの心を支配するほどの威厳を放ちながら——

 モスキート女王が姿を現した。


 堂々と歩み出るその姿は、かつての球体が放っていた「心を縛る力」を思わせた。

 だがそれは破滅の支配ではなく、種族を背負う者としての強靱な威光だった。


 女王の視線が、真っ直ぐにミラを射抜く。

 深く、冷たく、そしてどこか確かめるようなまなざし。

 ミラはその視線を正面から受け止め、仲間たちの背後に立ちながら拳を握りしめる。


 【この戦いは、私たちだけのものじゃない。

 全ての命のために……未来のために!】


 砂塵も羽音も沈黙し、戦場全体が呼吸を止めた。

 ホモサピも爬虫属も、モスキート属も、すべての戦士がその瞬間を見守っていた。


 ——そして、女王の出現が、戦いの行方を左右する新たな局面の幕開けとなった。

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