タートル・インプレッション


 釣りをするため、浜辺にやってきた青年がいた。


 その名を宇良嶋うらしまと言う――……彼は目を疑った。


 言葉を失った。


 肩に担いでいた釣り竿を落としてしまうほどには、動揺していた。


「おいおい……おいおいおいおい!?」


 坂道を下り、浜辺に足を踏み入れた宇良嶋の足音に気づいた『相手』が振り向いた。


 ……人か? でも、二足歩行で、宇良嶋どころか、シルエットにすれば人間と同じだ。


 背中に背負っているものがあるかどうかであり……人間だって、荷物を背負えば、目の前にいる『相手』と同じシルエットになるだろう。


 荷物を下ろせば、目の前の『相手』も人間だとも言える……しかし。


 だけど、全身緑色で、サングラスをかけたこれは、人間ではなく、明らかに『亀』だ。


 背中の荷物は甲羅であり、きっと下ろすことはできないものである。


 亀である、というだけなら問題はなかった。ただ……彼が足蹴にしているのは、数人の子供である。

 弱い者いじめ、と言うには、少数の方が亀なので(というか単騎だ)、どちらかと言えば子供たちが襲い掛かって、返り討ちに遭ったとしか思えない光景だ。


 正当防衛。


 だとしてもやり過ぎだ。


 ボコボコにされたのだろう、顔が腫れあがり、まぶたも上がらない子供たちが、呻き声を上げて浜辺に倒れている……、押し寄せてくる波など気にしていない様子だ。


 気にする余裕もないのだろう。


 体に力を入れ、痛みを和らげることに必死だった。


「……おい、その足をどけろよ」


「増援か? ……ってわけではなさそうだ。そう睨むなよ、一方的な暴力ってわけでもねえんだしよ。――このガキ共が先に、俺に襲い掛かってきたんだぜ? やらなきゃやられてた。やり過ぎだって思うか? ……それはお前が、ガキ共の肩を持っているからこそ出る発想じゃねえのか?」


 倒れる子供の顔に足を乗せる、二足歩行の亀……。


 相手が子供だろうと、容赦がなかった。


「子供の方が、危険なんだよ。俺らにとってはな……――銃を持った大人よりもよほどな。歳を重ねれば重ねるほど、ブレーキがかかるだろ。してはいけないことだって理解するからな。戦争じゃねえ限り、日常生活で別の生き物をいじめてやろうなんて気にはならない――だが、子供は興味本位で、自分たちが楽しければいいって精神で手を出してくる。躊躇もなくな」


 子供にはブレーキがない。


 相手が同じ人間なら、人道を踏み外すことにはさすがにブレーキがかかるだろうが、別の生き物……、たとえば目の前にいる亀のような……――たとえその体が自分たちと同じサイズだったとしても、子供たちは面白半分で手を出す。


 いじめ以上の攻撃が、子供たちの中では遊びの延長になってしまっているのだ。


 亀は、亀に限らず人間以外の生物は、そういう世界を生きてきた。


 自衛手段。

 この光景は、だから成るべくして成ったと言える。


「ボコボコの状態で留めてやったことを褒めてほしいもんだな。正直な話、コイツらを掴んで海に引きずり込んじまえば、溺死確定だろ。まあ、さすがに乙姫にブチ切れられるからしねえが――」


 海を汚染するのは気が進まない――と。


 死体を海に沈めることを嫌った亀だ。


 広い海に死体を隠しておけば、証拠は残らない……

 そもそも人間の法律で亀を裁けるのかどうかも分からないが。


 仮に殺した場合、陸に置いていく気は、亀にもないようだった。


「……もういいだろ」


「ま、ここまでボコボコにすれば、コイツらもやり返してはこねえだろ。って、コイツらから先に手を出したんだから、やり返してきたら俺もやり返すってことになるしな。どちらかが死ぬまで続くんだとしたら……やっぱり溺死させておいた方がいいか?」


 亀が子供の頭を、がし、と鷲掴みにし、持ち上げた。


 両足が揺れる。


 子供にはもう、抗う力もなかった。


「……めん、さい……」


「あ? 聞こえねえよ」


「ご、べ、ごべんなさぁい……ッッ!!」


 頬が腫れて、まともに喋れない子供の、必死の命乞いだった。


 自分のしたおこないを反省し、謝罪した……もう充分だろう。


「……許してやれよ。謝ったじゃないか」


「謝って済むのか? 逆の立場だったら、俺が謝って、お前たちは俺を許すか? 謝って済む問題ではない、と、俺を非難するんじゃねえか?」


「…………」


「すぐに否定しねえところは好感が持てるぜ。返答としては最悪寄りだがな」


「――正直、非難がゼロってことはないな。少なくとも、身内が被害に遭えば、黙っていない人たちはいるもんだ」


「だろ?」


 それでも。


「子供のやったこと……として、今回は大目に見てくれないか? ……子供だからって全てが許されるわけじゃない。責任は親にいくから、と言って、子供に罪がないと言うわけじゃない。――それでも、生きた年数が違う。経験が足りていない子供がまともでいると期待するのは、大人のこっちが、常識を知らないと言えるんじゃないか?」


「バカなことをするのが子供だってことを――知らない俺たちが悪いって?」


「今回は度が過ぎたが……問題を起こすのが子供だ。迷惑をかけるのが子供なんだ。品行方正の子供こそ、逆に気味が悪いだろ?」


「確かに、腹の内でなにを考えてるのか分からない子供ってのもな……だからって問題行動が多い子供を褒めるつもりもねえが」


「そりゃそうだ。……しっかりと叱っておく」


「お前はコイツらの親じゃねえだろ」


「親じゃなくとも、国の子供を躾けるのは、国にいる大人だ」


 宇良嶋の真剣な目に、はぁ、と大きな溜息をついた亀が、


「分かったよ。今日はこれで勘弁してやる」

「悪いな……ありがとう」


「だが、次に俺に襲い掛かってきた時は――その時は今度こそ海に連れてい、」


 と、言葉がそこで途切れた。


 斜め上から、強烈なドロップキックが亀のこめかみに直撃したからだ。


 突風が宇良嶋の髪を大きく揺らす。

 倒された亀が浜辺を転がっていった。


 そして、真横。

 とん、と着地したのは、


 真上に伸びた、獣のフサフサ感がある長い耳を持つ、水着姿の少女である。


 耳と丸い尻尾以外は、宇良嶋と変わらない肌色だった……、ウサギと呼ぶには皮膚が多い。


 ウサギではなく、ウサギのコスプレをした人間と言った方が信用できるが――、これでもれっきとしたウサギである。


 正確には、純粋なウサギではなく、ウサギびと……、


 混血ハーフではなくこういう種族である。



「――遅い!! ちんたら進むのは仕方ないにしても、あたしが丸々二日っ、ぐっすりと眠ってても、追いついてこないってなにしてんの!? 勝負のことを忘れたわけ!?」



「いてて……、勝負? ……あー、『かけっこ』のことか」


「思い出したのね……え、思い出した? じゃあ忘れてたんじゃん!!」


「すまん」


「あ・や・ま・る・なしぃっ!!」


 ウサギの少女が地団駄を踏んでいると、浜辺に転がっている子供たちに気づいた。


「……なにこれ」

「お前には関係ない」


「あたしとのかけっこの途中で子供たちと遊んでいたわけ!? ッ、こっちは必死に走っていたのに!!」


「昼寝してたんじゃねえのかよ……」


 そもそも、亀とウサギでは勝負にならないだろう……、ウサギが遅い亀をバカにしたいがために始めたことである。それに正面から堂々と付き合ってやる亀でもなかった。


「遊んでたわけじゃねえ。悪ガキを粛清しただけだ」


「あぁ……、なら、仕方ないか。あたしも色々とイタズラされたことあるし」


 顔を赤くするウサギだった……、なにをしたんだ、悪ガキ共。


「もう勝負なんていいだろ……今更、再戦するつもりもねえし」

「いや、あたしの勝ちだし。もうゴールしてるから」

「ああそうかい」


 亀が冷たくあしらう。


 ウサギが、むむむ、と納得のいっていない様子だ。


「ここから! また競争かけっこしようよ!!」


「嫌だっつの。なんで勝てない勝負に乗らないといけない……、俺が不利じゃねえか!!」


「じゃあっ、ゴールは竜宮城でいいから!!」


 ぴたり、と亀が止まった。


 にやり、と笑い、


「言ったな?」


「え? ――あ、」


「泳げないお前が、ゴールまで辿り着けるのかよ!!」


 海に飛び込んだ亀が、すいすいと、あっという間に見えなくなってしまう……


 深海の、さらに奥へと――。


「うぅ……」


 取り残されたウサギと……、完全に蚊帳の外である宇良嶋であった。


「えっと……まあ、がんばれ」


 釣り竿を拾い、倒れた子供たちを介抱していると、背後から足音。



「……あの、良かったらお手伝いしましょうか?」



 宇良嶋が振り向く。

 そこにいたのは、絶世の美女だった。


 一度も日の下に出たことがないような白い肌――、そんな女性が、暑い今日の、しかも浜辺にいるなんて……――せめて日傘くらいは差してほしいと焦る宇良嶋だった。


「い、いえ! 綺麗なお嬢さんに手伝わせるわけには――」


「ふふ、綺麗だなんて……お上手ですね、宇良嶋さん」


「え、どうして、私のことを……?」

「よく知っていますよ、ええ、よく、ね――」


 意味深なセリフだ。

 含みを持たせた彼女は、一体――、



「あ、その人の正体、鶴だから。あなたがどこかで助けたんじゃないの? そのお礼で人間に化けて、近づいただけだから――遠慮しないで手伝ってもらえば?」


「ちょっ、こんのウサギっ! どうしてばらすんですかっっ!?」


「亀に逃げられたあたしはもう……生きる目的がないもの……」


「逃げられたなら追えばいいじゃない! 海の底だろうと空の上だろうと! 人に八つ当たりしてないで動きなさいよっ!」


「人じゃなくて、鶴に八つ当たりしたんだけど」


 意外と冷静なウサギである。


 そして、鶴であることをばらされた美女は……、


「……はい、そうです! 私が鶴です! 恩返し、させてもらいますけどいいですね!?」


「あ、はい……。とりあえず、倒れている子供たちの介抱をお願いできますか……?」



 子供たちの介抱をしていると、海の向こう側から、ぷかぷかと浮いて流れてくる緑色の物体があり……――浜辺に流れ着いた『それ』は、さきほど別れた亀だった。


「え!? ちょ、亀!? 亀、だよね……? なんでこんなに、歳を取ってるのっ!?」


 分かりにくいが、しわが多く、鼻の下の髭も、白くなっている……。

 立ち上がる体力もなく、もうすぐ天寿を全うするような歳の取り方だった。


 ウサギが亀を抱える。

 甲羅分の重さしかなく、亀の体はほとんど体重がない。


「がぁ、は……」


「自業自得ですよ。勝手に玉手箱を開けるからです……あなたに渡した景品でもないのに……――あら、お久しぶりですね、ウサギちゃん」


「お、乙姫様……」


 水面に上がってきたのは、巨大なクジラの一部と、装飾過多の乙姫である。

 水中から出てきたにしては、衣服が濡れていない……、水を弾くのだろうか?


「乙姫? この人が……」

「初めまして、宇良嶋さん」


「え、あ、はい。初めまして……」


 広がっていた扇子が、ぱたり、と閉じられた。

 乙姫が言う。


「今回は亀が悪いことをしました。その子供たちの怪我は、私が治してあげましょう。しかし、亀のさきほどの発言は、彼個人のものではないことは、ご理解くださいませ」


 波が子供たちを攫う。

 飲まれた彼らが再び浜辺に転がった時、怪我が全て治っていた……。


 怪我を全て、洗い流したのだ。


「同時に、汚い心も洗い流しておきましたので。……子供らしさの欠如こそ、彼らに与えられた罰としましょう――」


 それでは、と、乙姫が去っていく。

 嵐が去ったように、静けさを取り戻した。


 むくり、と起き上がった子供たちが、周囲を見回し――、宇良嶋を見つける。

 全員が正座をし、深々と、頭を下げた。



『――この度は、誠に申し訳ございませんでした』


「は? いや、そこまでかしこまらなくてもいいが……」



『責任を取らせてください』


『どんな罰でも受けますので!』



 この状態こそが罰なのだが、本人たちは知らないし、このままでは気が済まないらしい。

 今の彼らに望むことと言えば……、


「子供らしく、元気にはしゃいでくれればいいんだけどな……」


 もちろん、人に迷惑をかけない上で、だが。



『宇良嶋様の身の回りのお世話を致します。困ったことがありましたら、いつでも私共をお呼びください』


「き、気味が悪い!! 見た目は子供でも中身は大人じゃないか!!」


 大人を越えて老人かもしれない……、

 これはこれで、効果は開けてしまった玉手箱に近いか?


 汚い心を流され、失っただけだが……。


 乙姫が言うには、子供らしさがなくなり、形式的な大人の振る舞いをするようになってしまった――……なので、厳密には汚い心がまったくないわけではないのだが――


 だって、子供よりも大人の方が、よっぽど汚い心を持っている。


 分かりやすく見えないだけで、心の内は、誰もが真っ黒なのだから。




 ・・・おしまい

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