おっとのうわき

満月 花

第1話


夫が帰宅時間を伝えてから仕事に行った。


キッチンに立っていた妻は、その声を横耳で拾い、重苦しい息を吐いた。


無意識のうちに緊張している。


夫の出て行った家に、ようやく穏やかさが戻ってくる。

歩き始めた我が子が自分を呼ぶ泣き声に笑顔で抱き上げる。


この子のために、と決意した事が果たして正解だったのか、間違いだったのか。

会話も少ない、ギクシャクとしたやりとりの日々。


再構築を選んだ今でも思い悩む。


まさかあの真面目で優しい夫が浮気するなんて思いもしなかった。


会社の付き合いで夜の繁華街に行く事があるとは聞いていた。

それだけの事だと思っていた。


そしてあの日

夫の背広のポケットから出てきた、艶っぽい名刺の裏に連絡先。

夫に問いただしたら、あっさり認めた。

水商売の女と何度かやりとりをしてホテルに行った。


あっちはお客を引っ張るための営業のようなもの

お互い恋愛感情があるわけではない


流れのまま、ホテルに行っただけで

浮気とか離婚とかそういう気持ちは全くなかった

と言われた。


それでも嫌悪感はある。

どう言い訳されようとも、浮気は浮気。

離婚も考えた。

幼い子どもを抱えながら、今後の生計の維持などの生活の不安。

はたして、自分は育児と仕事を両立していけるだろうか?


親からも、その程度の遊びは許したら?とも言われた。

ATMと割り切って、ある程度お金が貯まるまで生活してから

離婚したら、とアドバイスしてくれる友人。


「それとも、まだ旦那さん愛してるの?」


そう問われて返答できなかった。


嫌悪感と不信感しかない今

夫への愛が残ってかどうかも自分ではわからない


相変わらず、会話の無い日々が続く。

目を合わすことすらしない。


夫がポツンと呟いた。


「今の生活がつらい」


思わず夫を見た。

暗い瞳で妻を見る夫。


今の生活はまるで針の筵のようだ。

許さないなら何で再構築を選んだ?


妻はその勝手な言い分に目の前が赤くなる。

なにもわかってない。

自分がどんなに辛かったのか、悲しかったのか

それでも子どものために再構築を選んだ事。


許したわけじゃない。

100%のうち、90%は許せない気持ちで一杯。


だけど、残り10%に夫をもう一度信じたい、家族の未来を守りたい

という気持ちがある。

それに賭けてやっていこうと思った。


互いに堰を切ったように言葉を投げつけ合う。


なにをどうしたら謝罪や後悔が伝わるのか、わからない。

何をして欲しいのすらわからない。


すぐに許す事も、忘れる事もできるわけはない。

これからの行動で夫の誠意と反省を確認するしかない。


最後にはお互い泣きながら言い合った。


夫は寝室にこもってしまった。

妻は子どもの部屋で我が子を抱きしめて泣きながら眠った。

柔らかな優しい香りに癒されながら。



翌日の朝

無言のまま帰宅時間を伝えずに夫が出て行った。


もうダメかもしれない。


言い過ぎたかもしれない、でも簡単に許されるなんて思われたくない。

押し寄せる不安な気持ちを我が子をあやし、抱きしめる事で

何とか気持ちを保とうとする。

泣きそうな顔に小さな手を添わせた。



いつもより少し遅めの時間に夫が帰宅した。

ただいまと言いながら入ってきた。

思いがけない姿にギョッとなる。


帰宅した夫は丸坊主。



夫は妻に向かって頭を下げる。

どうしたら気持ちをわかってくれるか、わからないので丸坊主にした

なんなら全身剃っていい。


なにそれ?なんの罰ゲーム?

女にモテなくなるわよ


もうしない、今回のことで家族を失う未来に絶望したから。

だから、これからの自分を見てとしかいえない。


頭を下げ続ける夫を見ながら、妻の口元に笑みが浮かぶ。


そうね、これからじっくりと見ていこう

何十年したら、家族みんなで笑い話に出来たらいい。


妻は笑いながら、意外に似合ってると夫をからかう。

夫はホッとしたように、照れ臭そうに坊主頭を撫でた。


久しぶりに和やかな夕食。

両親の変化を感じ取ったのか、

笑顔いっぱいの子どもが嬉しそうに甘えてくる。


今はまだ先はわからない。

時間をかけて、想いを重ねていって

痛みや悩みを夫婦で乗り越えていけたらいいと思う。



でもーー

こっそりとヘソクリを貯めることはやめないけどね。

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おっとのうわき 満月 花 @aoihanastory

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