第10話 第二次選抜試験
「最近……お肉ばっかりですね。朝も昼も夜も」
ミキは、目の前のトレーに置かれた大きなステーキを見つめながら、少し考え込むように言った。
「アッ、イイデスヨ、オイシイデスカラ……(別にいいじゃないですか、美味しいし)」
オイダイラは口いっぱいに肉を頬ばりながら、もぐもぐと答えた。見た目なんてまるで気にしていない。
「まぁ、認めますけどね……最近どうも体が肉を欲しがるみたいなんです。特に、まだ赤い部分が残ってるやつを……」
ミキの視線は皿の上のレアステーキに落ちる。小さく息を吐きながら呟いた。
「でも……どうしても考えちゃうんです。これって、何かの“前触れ”なんじゃないかって……」
フォークを口に運ぼうとしていたレンジの手が止まる。喉がつかえたように動かない。
「まさか……“血を流す”ことになるとか……?」
彼は無理に笑ってみせた。
「なんか、出撃前の兵士がいいものを食べさせられる……そんな感じがしますね」
「やめてよ!そういう不吉なこと言わないで!」
オイダイラは慌ててナイフとフォークを置き、ナプキンで口をぬぐった。まるで縁起でもない話を追い払うように。
「だって……前回の選抜も、かなり過酷だったし……」
ミキの声が少し沈む。
「だから、どうしても考えちゃうんです。あと数時間で二次選抜……楽しみでもあるけど、怖い。自分にできるのかって」
「そんなこと言わないでください」
くせ毛の少年が、優しく真っ直ぐな声で言った。
「俺、ミキを信じてます。どんなことがあっても、きっと乗り越えられるって。本気でそう思ってます」
「そうだそうだ!」
オイダイラが勢いよく声をあげる。
「ミキちゃんは絶対大丈夫!みんなでまたここに戻ってくるんだ!」
「はい……」
レンジは力強くうなずく。
「俺もここに戻ってくるって、約束します」
「僕もです!約束します!」
オイダイラが親指を立て、にかっと笑った。ミキは二人を見つめ、そっと微笑む。
「じゃあ……私もここに戻ってきます。約束です」
夕食が終わって間もなく、感染防護服を着た職員たちが再び部屋に入ってきた。彼らはいつものように、一次選抜を通過した感染者たちを次の試験会場へと案内する役目を担っている。
試験は一日を四つの時間帯に分けて行われる。――午前・昼前・午後・夜。そして、運命は彼らをその「最終枠」へと選んだ。
「やったね、俺たち……よりによって夜の部だよ」
オイダイラがぼやく。彼はレンジ、ミキ、タツヤ、そして他の四名と共にエレベーターの中に立っていた。
「黒物の力が一番強くなる時間帯じゃねぇか」
「でもさ、見方を変えれば悪くないかも」
レンジがどこか励ますような声で言う。
「夜なら――俺たちの力も、昼間より鮮明に発揮できるかもしれないし」
「へぇ? なんでそんなことわかるの、レンジくん?」
ミキがすかさず問い返す。
「いや、なんとなく……勘、かな」
レンジは曖昧に笑った。
「でも変じゃないだろ? 黒物の発作が多いのは夜だって聞くし」
オイダイラは呆れたように眉をひそめたが、レンジの目には確信のような光が宿っていた。ミキは苦笑し、タツヤは笑いを堪えるように口元を押さえた。
――チン。
エレベーターの扉が開く。
防護服の職員たちはすぐに受験者たちを一人ずつ分けていった。今回の試験は、グループではなく完全な個人戦だ。
レンジが案内されたのは、「606号室」――体力試験専用の部屋。
目の前の白い大扉が、低い音を立ててゆっくりと開く。異様なほど厚く、巨大なその扉は、まるで“中にある何か”を外へ逃さないために造られたようだった。
レンジが部屋に足を踏み入れた瞬間、目に映ったのは――真っ白に塗りつぶされた広大な空間だった。強烈なスポットライトが中央だけを照らし、その光の下には無機質な白いステージが設けられている。
ステージの横には、ずらりと武器が並ぶパネル。しかし、それらはすべて
「使い物にならない」。
弾の入っていない銃。矢のない弓。刃の抜かれた鞘と空のナイフケース。
そして、他にも無数の――“壊れた武器”。
レンジの喉が乾く。嫌な予感が胸の奥でざらついた。この場所は……“試験会場”というより、まるで“実験室”だ。背後から、防護服を着た職員が彼の背中を軽く押す。
それは、黙って「行け」と告げる合図だった。レンジは震える脚をなんとか動かし、一段、また一段とステージへ上がっていく。
そして――そこで“彼”を見た。
漆黒のボディスーツに身を包み、高い襟のタートルネックにフード付きの黒いコート。
厚いコンバットブーツを履き、胸元には白いツバメを象ったバッジが光っていた。〈特務適性者選抜局〉の紋章だ。
男はステージの床に膝をつき、額が床に触れるほど深く頭を垂れていた。
「……こんばんは、フジワラ・レンジさん」
静かな声。落ち着いていながら、どこか異様な“敬意”が混じっていた。
「これから行うことが、もし不快に感じられたら……どうかお許しください」
ゆっくりと顔を上げる男。灰色の煙のような瞳が、まっすぐレンジを射抜く。
「――ようこそ、二次選抜へ。ここであなたが、どの部門に属すべきかが決まります」
男は立ち上がり、わずかに口元をゆるめた。
「カケモリ・アキト。この試験の監督を務めさせていただきます」
「こ、こんばんは……」
レンジは慌てて返事をする。喉が詰まり、声が震えた。
「それでは――準備はよろしいですか?」
「じゅ、準備って……何をするんですか?ルールとか、まだ――」
言葉の途中、風が耳を裂いた。
――ヒュッ。
アキトの姿が一瞬で視界の前に迫る。
「この試験に、特別なルールはありません」
冷たい囁きが鼓膜を刺した。
「ただ――俺を倒せばいい」
次の瞬間、アキトの拳がレンジの背中に突き刺さる。
ドガァァンッ――!
レンジの身体が、まるで紙切れのように宙を舞った。抵抗する間もなく、ステージの反対側へと叩きつけられる。世界が傾き、視界がぐにゃりと歪む。床に倒れ込んだ瞬間、肺の奥から苦しげな息が漏れた。
「この部屋にある物なら――何を使っても構いません。俺を殺すためならね」
アキトは淡々と告げ、部屋の隅へと視線をやる。
「そこにある武器、好きに選んでください」
彼は一歩ずつ近づいてくる。その足取りは静かなのに、重圧だけが音を立てて押し寄せた。レンジは息を荒げながら後ずさる。視線はアキトから一瞬たりとも離せない。
「もし、降参するなら――」
アキトの声が胸の奥を叩く。
「あなたに残された選択肢はひとつだけです。……“死”ですよ」
「くそっ……」
レンジは歯を食いしばり、横の武器ラックへと目をやった。だが、そこにあったのは――使い物にならない鉄屑ばかり。
「冗談だろ……どれも使えねぇ……!」
アキトが一歩踏み出すたび、靴底が床を打つ音が脳に響く。その瞬間、レンジは悟った。
(……こいつの力、桁が違う)
――ドン。
たった一歩。それだけでアキトの姿が視界から消えた。
(速い――!)
レンジは反射的に身を沈め、横へと転がる。
――ドガンッ!
アキトの拳が背後を掠め、爆風のような衝撃が背を撫でた。拳が壁に叩きつけられ、ステージ全体がきしむ。
(危なかった……)
レンジはすぐに体を起こし、反撃には出ず――ただ距離を測る。呼吸を整え、心を落ち着ける。
一、二、三……。
(来る!)
アキトが再び突進する。無言、無表情。獲物を狩る獣のように、静かで、速い。
「……突っ込む直前に、息を吸うんだな」
レンジの瞳が細まる。相手の呼吸を読む――そしてまた、ギリギリでかわす。彼は床を滑るように相手の脚の下を抜けた。荒い息が漏れる。だが、意識は澄み切っていた。
(呼吸の音……動きのリズム……全部聞こえる)
アキトはすぐに反応する。地を蹴り、足払いを放つ――!
「……っ!」
避けきれないと判断したレンジは、自ら蹴りを受けにいく。回転する体を壁へと預け、肩で衝撃を逃がした。
――ゴンッ!
床を転がるようにして衝撃を受け流す。わずか数秒後、彼は手と足をつき、再び立ち上がった。
荒い息。
握りしめた拳。
足元を固め、視線は正面。
アキトは動きを止め、ただじっとレンジを見つめていた。その目は、何かを値踏みするように――冷たく、静かだった。レンジの荒い呼吸だけが、白い部屋に響く。
「どうすれば……どうやって、あいつに勝てばいいんだ……」
少年は心の中で呻き、歯を食いしばった。片手で鼻から流れる血をぬぐう。さっきの衝撃がまだ身体に残っていた。
「逃げてばかりじゃ、本当に殺される……くそっ、なんでこんな目に……!」
「僕のこと、ずっと見てますね。でも、なかなか避けるのは上手い」
アキトは状況とは裏腹に、耳に心地よい声で言った。口元に薄い笑みを浮かべながら、レンジの周囲をゆっくりと回る。
「さっきのはね……ただの“テスト”ですよ」
微笑を消し、真剣な声で続けた。
「本番はここからです。全力で頑張ってくださいね。僕は――一切手加減しませんから」
その言葉と同時に、彼の身体が変化を始めた。目の下に深い筋が現れる。それはまるで“サメ”の模様のようだった。淡い茶色の瞳が、冷たい蒼に変わる。唇の間から鋭い牙が覗いた。皮膚は灰色に変わり、ザラついた質感へと変貌していく。
――目の前の男は、“半人半サメ”の存在へと姿を変えていた。
「これが僕の黒物〈くろもの〉第四段階の姿です」
アキトは淡々とした声で言う。
「僕はフィジカル系なんですよ」
レンジの目が大きく見開かれる。唇が震え、言葉が漏れた。
「……くそっ……なんなんだよ、これ……」
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試験室617号
ミキはその場に立ち尽くしていた。視線の先には、敵――女。呼吸は荒く、胸が激しく上下する。互いに一歩も引かぬ気迫が、空気を張り詰めさせていた。
「そんなに睨んでいても、勝てませんよ。ミキさん」
淡い茶色の長い髪を短いツインテールにまとめた女が、冷ややかに笑う。ぴったりとしたスーツドレスに黒いロングブーツ。胸には白い燕のエンブレムが光っていた。左手首には黒い大型の時計。その鋭い視線は、ミキを一瞬たりとも離さない。
「負けるつもりなんてありません、ナギさん」
ミキはそう言うと、低く構えた。
「私があなたを怖がってるって思うなら――それは間違いです」
声は震えていない。むしろ、強く、熱を帯びていた。
「あなたにはわからないでしょう。私がどんなものを乗り越えてきたか こんな試験、両親との日々に比べれば大したことない!」
言葉と同時に、ミキの体が閃光のように走った。
高く足を蹴り上げ、ナギの顎めがけて放つ――!だが、ナギはすでに宙に身を翻していた。
「綺麗なフォームですね……でも、少し遅いです」
彼女は片手を床につき、両足を開いたまま空中で回転。二本の脚が鋭く弧を描き、ミキの顔面を薙ぎ払う。
「っ――!」
ミキはすぐさま後方へ跳び、辛うじてその一撃をかわす。
だが、避けた瞬間――
フッ!
ナギが床を蹴り、矢のように突進した。頭から突き上げるように、ミキの腹部へ
――ドンッ!
鈍い衝撃音。ミキの体が宙に浮き、床に叩きつけられる。
「くっ……!」
痛みをこらえて顔を上げた瞬間、ナギの姿が視界に飛び込む。彼女はすでに、次の一撃を繰り出す態勢に入っていた。
……だが、その瞬間。
ナギの手には、巨大な黒いハンマーが握られていた。まるで彼女自身が三人分ほど重なったかのような、異様なサイズの武器。
――ドンッ!
凄まじい衝撃音が響く。黒鉄の塊がミキの身体を直撃し、彼女は壁へと叩きつけられた。白い粉塵が爆ぜ、部屋中に舞い散る。
「……っ、けほっ……けほっ……!」
霞む視界の中で、ミキは壁に手をつきながら必死に立ち上がろうとした。額と鼻から流れる血が頬を伝い、服を赤く染める。部屋の中央、ナギが静かにその光景を見下ろしていた。口元に、冷たい笑み。
「これが私の黒物〈くろもの〉第四段階――」
声は氷のように冷たく響いた。
「――“血液変換系”です」
ミキは膝を震わせながらも、顔を上げた。ぼやけた視界の中でも、その瞳だけは揺るがなかった。
「……あんたなんかに……負けるもんですか……このバカ女……」
掠れた声に、確かな闘志が宿る。
「私は――絶対に……みんなのところへ、帰るんだからッ!!」
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