しま、怒る
それからも、嫌がらせかそうでないかの微妙な扱いが続いていた。
私はいい加減うんざりしていたが、いかんせん解決策は思い浮かばないから、どうしたものかと逡巡する毎日を過ごしていた。
そんなある日のこと。
私は授業と授業の間、何をするでもなく学校の中庭にあるベンチでぼんやりとしていた。
教室に早く行きすぎると、また格好の的になってしまう。
だから、一人の空き時間はこうして外のベンチで時間を潰すことが日課になっていた。
私は空を見上げながらぼんやりとする。
流れる雲と、どこか遠くで飛んでいる飛行機の音。ほのかに香る草木の匂い。
そのどれもが私を現実から引き離してくれるようで、私はそんな空想に浸っていた。
「ねえ」
唐突に声を掛けられて、90度真上にあげていた顔を下ろす。
目の前には谷原さんが立っていた。
「うぇっ」
予想外の人物に、驚いて変な声を出してしまった。
あの日以来、谷原さんとは話していない。
そして、目の前にいる彼女は無性に不機嫌な様子に見えた。
腕組をしてしかめっ面。
初めて見る彼女の表情に戸惑ってしまい、なにを話せばいいのか迷っているとしかめっ面のまま彼女が口を開いた。
「どうして何も言わないの?」
「どうしてって何を……?」
「学科のみんなのことよ。あれ、かなり感じ悪いじゃん」
これもまた予想外の展開だった。
まさか、彼女からその話を振られるとは思ってもいなかった。
私は取り繕うように話を続ける。
「うーん、別に害はないっていうか……なんというか……」
そう言って口ごもる。
「松田さんがそんな態度だから、あっちもつけあがるんじゃん!」
「……谷原さんはなんでそんな怒ってるの?」
不思議に思って聞いてみたが、
「怒ってない!」
と、彼女は明らかに怒っている。
だが、その理由も分からずに私は戸惑うばかり。
どうしたものかと考えていると、谷原さんが言葉を続けた。
「なんか嫌いなのよね、ああいうの。でも、松田さんも松田さんだよ。前も途中で帰っちゃうし、全然分かんない」
吐き捨てるように言う彼女を見て、私もだんだん腹が立ってきた。
たしかに、私も悪い。
でも、そこまで言われなきゃいけないことなんだろうか。
「……私は人と話すのが苦手なの。人が何考えてるか分からないし、自分の考えをまとめて話すのも苦手なんだよ」
私も吐き捨てるように言った。
思えば、自分の感情を言葉にしたのはこれが初めてだったかもしれない。
一生、他人にこんなことを言う機会はないと思っていたが、その言葉は思ったよりもするすると口から出た。
私たちの間を、さあっと風が吹き抜ける。
「谷原さんにはわかんないよ」
「分からないわよ!言ってくれなきゃ!」
「だからっ……」
続きを言いかけて私はやめた。
結局、「伝わらないんだ」ということにがっかりしたのかもしれない。
このまま続けても何にもならないと思ったのかもしれない。
「ちょっと、何やってるのぉ」
唐突に声を掛けられて振り向くと、驚いた表情の山崎さんが立っている。
なんだか恥ずかしそうに顔と体を伏せながら、私の袖を引く。
「みんな見てるよぉ」
ふと、周りを見ると複数の生徒たちがこちらを見ていた。
いつのまにかヒートアップした私たちは、中庭で大声で叫びあっていたようだ。
私は唐突に現実に引き戻されて、この上なく恥ずかしくなる。
「もういいよ。谷原さんには言ったってわかんないよ」
そう言って私は話を終わらせようとした。
「そもそも住む世界が違うんだよ」
そして余計な一言を付け加えてしまう。
「なによそれ」
谷原さんは腹立たしさを覚えたのか、立ち去ろうとした私の腕を掴んだ。
「だって嫌なこととか全然なさそうじゃん!」
「あるよ!」
「なによ!」
勢いで聞いてしまったが、どうせ大したことないのだろうと思う。
学校の成績が悪かったとか、好きな人と別れたとか。
そんなことだろうと思った。
「名前」
「名前?」
予想外の回答にオウム返しをしてしまった。
「名前が好きじゃないの。コンプレックスなの」
「そ、そんなこと……」
まさか、そんなことだとは思わなかったから、つい言葉に出てしまった。
「あんたは”しま”ってなんかかっこいいじゃん!だからわかんないんだよ」
私は別に自分の名前がかっこいいなんて思ったことはない。
というか、人の名前がいいとか悪いとか思ったこと自体なかった。
でも、私は谷原さんの下の名前を知らない。
そして、そんなことも知ろうとしなかった自分に、ひどくバツの悪いものを感じた。
「じゃあ、なんていうの」
谷原さんは恥ずかしそうにしながらも、私をにらんでいる。
「さとこ」
「聡い子と書いてさとこ」
沈黙が流れた。
全然ふつうじゃん。
「ほら、似合ってないっておもったでしょ!」
私の沈黙を別の意味でとらえたのか、谷原さんは恥ずかしそうにかぶりを振った。
「お、思ってないよ!普通じゃん!」
「絶対思ってる」
谷原さんは一向に引き下がろうとしない。
そんなヒートアップした彼女を見ていると、私もだんだんさらにヒートアップしたように感じる。
「私は名前なんてどうでもよかった。谷原さんはキラキラしてて、私みたいなのにも声かけてくれて……私は谷原さんみたいになりたかったって思うよ!」
私は彼女の腕を掴み返して言った。
興奮して自分でも何をしゃべっているのか分からない。
「決めた。私は今日から谷原さんのこと聡子って呼ぶからね」
そう言って、聡子の手をぱっと放す。
「なんでよ!やめてよ!」
聡子は本当に嫌そうに首を振った。
「いいや、辞めない!聡子が自分の名前を好きになるまで私は呼び続ける!」
「聡子!」
まだ生徒たちに注目されているのもお構いなしに、私は大声で彼女の名前を呼んだ。
「分かった分かった。もういいよ。ごめん、大きな声出して」
聡子は恥ずかしさから正気に戻ったのか、首をもたげてため息をついた。
そして、ふと山崎さんのほうを見る。
「そういえば、山崎さんは下の名前なんていうの?」
突然、話を振られて山崎さんの肩がビクッと跳ねる。
「え、私のことはよくないですか」
「この流れで隠さないでよ。別に教えてくれたっていいじゃん」
「私はいいよぉ」
「よくないでしょ」
しばらく押し問答が続いて、山崎さんは観念したように下を向いたままため息をはいた。
「せいら」
「は?」
「星に蘭ってかいてせいら」
私と聡子は顔を見合わせた。
気まずい沈黙が流れる。
正直、似合ってない。"聡子"以上に。
「ほら、だから嫌だったんだよ……」
星蘭が本当に嫌そうにうなだれるのを見て、聡子が吹き出した。
その様子を咎めるように星蘭が聡子をにらむ。
「いや、ごめん。まさか同じ悩みを持ってる人がこんなに近くにいたなんて、なんかおもしろくって」
さっきまであんなに怒っていたのに、なんだかだんだん私もおかしくなってきた。
星蘭も恥ずかしそうにつられて笑う。
そのまま私たちは昼下がりの中庭で、人目もはばからず笑い続けた。
しまはしまのままでいい 高伊志りく @takaishi_riku
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