しま、落ち込む

ふと時計を見ると、いつのまにか昼の13時を過ぎていた。

外は晴れているけど、カーテンを閉め切った部屋の中は薄暗い。

カーテンを開けるのも面倒で、私は布団の上でごろごろしていた。

枕元には昨日飲みかけのペットボトル、床には開けっぱなしの雑誌が煩雑に置かれている。

日曜日の私は、やる気という感情とは縁遠い存在だった。


昨日はどっと疲れた。

谷原さんの連れていた友人たちの困惑した顔が何度もフラッシュバックして嫌になる。

谷原さんにも幻滅されただろうし、もう誘われることもないだろう。

「まあこんなもんだよな」と私はひとりごちる。

スマホを枕元に放り投げて目をつむり、物思いにふけった。

こんな私ならもう、私は「話す」機能なんていらないんじゃないか。

動物の体は進化の過程で、使わない機能を退化させると、何かで見た気がする。

深海魚の目とか、飛べない鳥の羽とか。

だったら、私の「会話」という機能も、そのうち消えてしまうのかもしれない。

私は誰とも話さず、ただ考えるだけの生き物になっていくのかもしれない。


馬鹿みたいな想像だ、とため息が出た。

そのままぼーっとしていると、時計の音がカチカチとやけに大きく響いて、部屋の静けさが強調される。

静かすぎる部屋には言葉も気配もなく、自分の存在だけが浮いている気がした。


そのとき、突然スマホが震えた。

腕を伸ばして枕元のスマホを手に取ると、画面には「お母さん」の文字。

誰かとの会話に面倒に感じながらも、数日ぶりの着信になぜか少し緊張しながら通話ボタンを押した。


「……もしもし」

『あんた、なにしよん?ご飯食べた?』


時候の挨拶もなく、いきなり本題に入る母。

これがいつもの調子だ。

訛りの混じった母の声が、スマホ越しに響いた瞬間、全身の力が抜けた。

いつもなら「うるさいな」って思うその口調が、今日はなにか違ったものに感じる。

「別に普通よ」と私はそっけなく答えた。

『あっそ。あ、今度帰ってくるときなんやけどね――』

そこからはおみやげの話、親戚の話、どうでもいい近所の噂。

私は「うん」「へぇ」「そうなん」と適当に返事をしながら、母の声を聞いていた。


東京に来てから、こうして会話をすることがほとんどなかった。

だからか、母の声はやけに遠くて、でも同時に近く感じる。

懐かしさというより、なんとも言えない感情がゆっくりと広がっていく。

『あ、そうそう。あんた、ちゃんと食べとる?』

「食べてるって。もう切るよ」

『あんた、ほんと愛想ないねぇ』

母の笑い声を最後に、通話が切れた。

スマホの画面が暗くなって、また静寂が戻ってくる。

でも、さっきまでとは少し違う静けさだった。

耳の奥に残る母の声が、余韻のように漂っている。

誰かと声を交わすたびに、自分がまだ「人間」でいられる気がした。

私はスマホを胸の上に置いて、もう一度目を閉じる。

私の「話す」という機能は、まだ必要そうだった。

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