ハイプライス・フルスペック

メグスリ

第1話 1―1平凡、はじける

 なぁ。どうして今の時代、みんな資格とかスキルとかに口うるさくなったのかって、考えたことがあるか?


答えは至極簡単。みんな認められるために必死なんだよ。


 家族から、恋人から、友人から、地域から、社会から、世界から。ありとあらゆる存在を味方につけるためには、何かしら明確な成果が必要なんだ。自分はこんなこと頑張ってきた、こんなことができるっていう証明は、今この世界で生きるには必須のパスポートだ。


 だってそうだろ? 普通に何もせず生きてるだけじゃ周りに飲み込まれるんだから。夢がないやつは終わりとか言われて、蔑まれるだけなんだからよぉ。嫌でも何かを目指してるつもりで明るくふるまうしかねぇじゃん。でもあれなんだろ? 挑戦したり夢を語ると「んなことできるわけねぇ」って冷笑してくるんだろ? 認めねぇんだろ? ったくおかしな話だよな。何もしてねぇと馬鹿にされて、何かすると笑われる。


 ……おいなんだよ、やけに卑屈な文章だなって思ってやがるな。まぁこれはただの独白だ。これからこの物語は全て、俺の独白で進むことになる。まずはこの予行練習ってわけだ。


 イタイ文だから読まねぇってか? はは、確かに。まぁもう終わるから許してくれ。


 さぁて、そろそろ主人公が布団から起きて、何気ない日常を始めるぞ。


 よし、目覚ましのアラームが鳴る。あれ毎日鳴るようにしてると、うっかり休日にもなりやがるから腹立つよな。


 そんじゃ、俺はここらで失礼するぜ。ここからは今作の主人公さんに、めいっぱい暴れてもらおうじゃねぇか。


 ここまで読んでくれたゴキブリども、感謝するぜ。


 もしこの物語に何か「価値」を感じてくれたら、てめぇらの「無意味」な人生の時間を、この作品に使ってくれよ。そんじゃあな。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 ――はきだめのような夢を見ていた気がする。


「……あぁ、地獄か」


 目をこすりながら枕元のスマホを見ると、映されていたのは「七時五十分」の数字。仕事に行く準備をする時間だった。

 鈍い身体を何とか持ち上げ、こびりつく布団を引きはがす。そして二階から一階へと降りると、玄関にはすでにランドセルを抱えた娘と、見送りに立つ妻の姿があった。


「あっ! お父さん!」

「おはようあなた。朝ごはん、もうできてるわよ」


 こちらを見て朗らかな笑みを浮かべる二人。ささやかな幸せ、何気ない日常、新しい一日。そんな感じのタイトルがよく似合う光景だ。


 だが私――仁科守信(にしなもりのぶ)の意識は、その笑顔には向かなかった。


 ――30000円――

 ――500000円――


 二人の頭の上に浮かぶ金額。ぼんやりとだが間違いなくそう書かれている。妻の額は昨日から4000円ほど下がっているが、これはきっと昨日、上司に連れていてもらった高級キャバのせいだろう。脳裏に焼き付いた美女の姿が、レートを釣り上げている。


 娘の方は特に変わらず。頭もよくなく可愛さもなく、当然の値段。成長期が故のがちゃがちゃ歯並びが治れば、もう少し上がるはずだ。


「いってきまーす!」


 ドアが開くと同時に、娘が手を振りながら駆けていく。その姿が道を曲がって見えなくなると、私と妻はリビングに戻り朝食に手をつけた。


 朝食を食べている間、我が家のテレビは朝のニュース番組が流れている。


 ――5500000円――

 

 番組の看板女子アナウンサーの頭上に出ている金額だ。その他にも隣の男性アナやゲスト、またVTRに出てくる芸能人の数々。彼らの頭上の数字はそろって100万円越えばかり。最近メジャーに進出したプロ野球選手なんかは、余裕で億の桁にまで到達している。おかげでテレビがほとんど見えない。


「つまんないな」

「もう、ほんとニュースが嫌いなんだから。知ってるだけで話題になったりするじゃない」


 妻が言う。普通に腹が立つのでやめてほしい。嫌いなものは何歳になっても嫌いだ。だって画面がよく見えないのだから。


 その後、中身のない会話を数分ほどして、私は洗面台に向かう。


 青髭を剃りながら、私は鏡の中に映ったくそおやじを見つめた。

 

 ――零――


 私の脳天に浮かぶ文字。他の人たちとは違って自分は漢字表記なのが、妙にいやらしい。自分のカッコつけたがりな性格が如実に表れている。


 だが、その数字だけは間違っていない。私の価値は紛れもなく――0円だ。


 ――初めて見た夢は、漫画家だった。

 

 憧れの作品を自分でも作ってみたくて、自由帳に下手くそな二次創作を描き始めた。そのうち本気で漫画家を目指し始め、学生時代は何度も新人賞への応募や持ち込みを行った。


 が、眼鏡をかけたおっさんからこう言われた。


『君、これが面白いと思ってるの?』


 次に目指したのは小説家だ。自分には絵の才能がない。だけど物語を作るセンスならあるかもしれない。そう思って、ネットの小説大賞にバンバン応募した。


 が、帰ってきたコメントはこうだった。


『もう少しキャラクターの魅力を意識して書いてみましょう』


 次には役者を目指した。自分には何かを作る才能がなくても、誰かが作ったものをよりよく彩ることができると思った。


 が、参加したワークショップの人間からはこう言われた。


『君には、向いていないと思う』


 他にもたくさん夢を見た。イラストレーターやシナリオライター、プログラマーにシステムエンジニア……どれもこれも運動神経のない私らしい夢だったが、そのどれもに才能がなかった。


 完全に夢を諦めたのは、大学3年から始まった就職活動の時。何の変哲もない会社に内定を得て、次第に生活の安定を図るようになった私は、夢を追うことをやめたのだ。


『……どうして、こうなったんだろうな』


 答えは明白だ。自分に才能がなかった。ただこれだけ。別に自分の生まれた環境は悪くないし、いじめられたりもしなかった。


 ……私は夢を叶えられなかった。つまり価値のない、この世に無料配布されただけの男だ。


『珍しいな、何考えてんだろ』


 髭を剃り終え、スーツとネクタイを身に着ける。


「今日の帰りは?」

「久しぶりに定時通り」

「部長さんに連れていかれないでね。あの子、昨日少し寂しがってたから」

「さすがに二日連チャンはないよ。それじゃ行ってきます」


 そう言って燃えるゴミを抱えて外に出ると、車の助手席にそれを置き、家を出た。出勤のついでにゴミを出すのは、我が家のルーティーンだ。


「よっと」


 ゴミの山に我が家のゴミを投げ飛ばす。極めて粗雑に、そして適当に。


「あ、仁科さん。おはようございます」


 振り返ると、そこには両手に小さなゴミ袋を握る女性が立っていた。


 腰元辺りで結ばれた長い黒髪は朝日を浴びて輝き、端麗な面立ちに浮かび上がる朗らかな笑顔は美しく、家庭的なエプロンは、その全身の大きな凹凸をより強調している。


 目元にある涙ホクロは、あまりにもよすぎるワンポイントだ。


 ――4700000円――


 値段もこれこの通り。そんじょそこらの人間では太刀打ちできない金額。


 彼女は雪島かおり(ゆきしまかおり)さん。数か月前に近所に引っ越してきた新婚さんだ。町内会で妻と意気投合し、私もこのゴミ捨て場で顔を合わせるうちに、少しずつ会話をするようになっていた。


「あぁ雪島さん。おはようございます」

「少しずつ寒くなってきましたね。私、もう長袖おろしちゃいました」

「あははっ、確かに。妻も自分自身はまだ半袖ですけど、娘は長袖になりましたね」

「それ大事ですよ。やっぱり体調は大事ですからね。それではまた」


 ゴミをそっとゴミ山の麓に置き、帰っていく彼女。その後ろ姿を、私は静かに見つめてしまった。


 毎日話す分量はせいぜいこの程度。だが、これだけの会話が何気なく楽しい。もはや精神的不倫の域に達してしまっている。


 無料配布の自分には、400万円台のSSRキャラである彼女に近づく権利すらない。旦那さんが本当に羨ましい限りだ。


 いや、旦那さんもきっと凄まじい金額を脳天に浮かばせているのだろう。大方、億に届くか届かないくらいかな。


『はぁ……気分わりぃ。これ、治らねぇかなぁ……』


 人の頭に金額が見えるこの現象、詳しいことは何もわかっていない。いつから見えるようになったのかもまるで覚えていない。


 というか多分、これは幻覚だ。特殊な能力とかそういう類のものじゃない。

 

 私が、他人を金額で認識したいんだ。

 

 美人には生きてるだけで価値がある。子供には未来という価値がある。芸能人には人を魅了できるという価値がある。でも、自分には何もない。


 ――家族がいるじゃないか。普通に就職できて、生活も安泰じゃないか――


 ふざけるな。こんなのは私が求めたものじゃない。こんなのはただの妥協点だ。望む道を進むことができなかった敗北者の言い訳だ。何も成し遂げられなかった人間がたどり着く、無価値の三角コーナーだ。ありきたりの幸せだ。


 だから自分は0円なんだ。妻も娘も平穏な暮らしも、全部求めて手に入れたんじゃない。全部成り行きだ。自分の周りにしか及ぼせない影響なんて、ろくな価値じゃない。何も生み出せていない。何も叶えられていない。何も幸せを掴めていない。


 あぁなんだろう。結婚してから頑張って抑えてきたはずなのに、今日はやたらと考えてしまう。叶えたかった夢を、進みたかった将来を、なりたかった自分を。


 夢を叶えたい。有名になりたい。大金稼いで豪遊したい。いい女を抱きたい。名前も知らない人から賞賛されたい。不特定多数の人間から誹謗中傷されて開示請求したい。世に生み出した成果で馬鹿どもを黙らせたい。


 自分の幸せを選びたい。


「……………………………………無理だろ」


 自分でも驚くほど急に落ち着いた。何だったんだろう、さっきまでの私は。


 いよいよ精神科に行かなくてはならないかもしれない。変な幻覚が見えることも、急に過去を思い出して衝動的になることも、全部話そう。


 変にひねくれすぎだ。夢は夢。ガキの道楽だ。今の私には家族がいる。愛する人がいる。それだけで十分じゃないか。むしろ自分が0円だっていうなら、そういう人がいてくれるだけでも感謝しないと――


『――またかっこつけたな』


「え?」


 一瞬、何か声が聞こえた気がして、思わず振り返る。


「――――」


 そして次の瞬間、私は絶句した。


 それは、謎の声の主を見つけたからではない。視界に映ったのは、もっと単純でおぞましいもの。


「パパァ……」


 そう、目を真っ黒にして口から長い牙をのぞかせる、血だらけの娘の姿。

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