第4話 屈辱の晩餐

 その夜、ソロモン家の食堂には、珍しく家族全員が揃っていた。

 父アルドゥスが「家族会議」と称して招集をかけたからだ。だが、その実態は会議などという高尚なものではない。没落の責任を誰かに擦り付け、互いを罵り合うだけの不毛な儀式。


 シャンデリアの蝋燭が、重苦しい食卓を頼りなく照らしている。ずらりと並んだ料理は、見た目だけは豪華だが、どれも冷めきっていて味気ない。まるでこの家の現状そのものだった。


「――というわけで、南の領地を売却する件、皆の意見を聞きたい」


 父が弱々しく口火を切った。その言葉を待っていたかのように、長兄ガレンが尊大に口を開く。


「何を今更。とっくに売るべきだったのです。父上の決断が遅いから、我が家の財政はいつまでも好転しない!」

「まあ待て、兄さん。あの土地にはまだ利用価値がある。俺に任せてくれれば、もっと高く売りつけてやりますよ」


 次兄ライルが、蛇のような目でガレンを牽制する。三男ディランと四男ケインは、退屈そうにワイングラスを弄びながら、どちらにつけば得をするか値踏みしている。


 僕、エランは、テーブルの末席でただ黙って、冷めたスープを口に運んでいた。

 僕に発言権はない。この場にいること自体が、兄たちにとっては不愉快なのだ。ならば、最初から呼ばなければいい。僕はそう思うし、その方が正直言ってありがたい。

 彼らは求めているのだ。サンドバッグの存在を。自分たちの優位性を確認し、不満の捌け口にするために、僕をここに置いておく。話が行き詰ったとき、矛を向ける誰かが必要なのだった。


 案の定、議論が行き詰まると、その矛先は僕へと向けられた。

 きっかけは、ライルだった。ガレンに言い負かされて機嫌を損ねた彼は、鬱憤を晴らす相手を探し、僕の顔を見てにやりと笑った。


「そもそも、こんな出来損ないを交えて、家の未来を語ること自体が無意味だ」


 食堂の空気が一瞬、凍りつく。父は気まずそうに目を逸らし、他の兄たちは面白そうに口元を歪めた。


「見ろよ、この顔。銀の髪に青い瞳……本当に、あの母親そっくりだ。あの女がこの家に厄災を持ち込んでから、何もかもうまくいかなくなった。お前は、ソロモン家の恥そのものなんだよ、エラン!」


 ライルの言葉は、粘着質な毒のように僕の耳に絡みつく。

 僕は無表情を貫いた。ここで感情を見せれば、彼を喜ばせるだけだ。


 空になった僕のグラスに気づいたのか、近くに控えていた老齢の執事が、水差しを手に近づいてきた。

 だが、彼は僕の目の前でぴたりと足を止める。僕をまるで汚物でも見るかのように一瞥し、くるりと背を向けた。そして、わざとらしく僕の隣に座るケインのグラスに、恭しく水を注いでいた。


 ケインが僕を見て笑う。それは勝ち誇った笑み。

 使用人たちも、兄弟と同じ。彼らはこの家で誰が力を持っているか、を敏感に察知している。僕に媚を売っても何の得にもならない。兄たちの機嫌を損ねるだけだ。彼らに出来ることは、兄のいる場所で僕をないがしろにすること。だから彼らは、僕をいない者として扱う。この家で賢く生きるための術。


 この屋敷の誰もが、僕の敵だった。


 食事が終わると、僕は足早に自室へと戻った。

 扉を開けると、そこには僕の帰りを待っていたバエルが、心配そうな顔で立っていた。


「……エラン」


 僕は何も言わず、彼女の華奢な体を強く抱きしめた。彼女の温もりだけが、僕がまだ人間であることを思い出させてくれる。


「聞こえていたわ。全部」

 バエルの声は、怒りで震えていた。


「あの豚……! よくも母君とあなたを侮辱したわね!」


 彼女の背中から、黒い魔力がゆらりと立ち昇る。


「エラン、もう我慢しないで。今すぐ行きましょう。あいつの舌を引き抜き、その醜い喉に鉛を流し込んでやるわ!」

「……だめだ」


 僕は彼女の体を、さらに強く抱きしめた。


「ここで騒ぎを起こしたら、僕たちはこの家から逃げられなくなる」

「でも……あなたの心が壊れてしまうわ!」

「壊れないよ」


 僕はバエルの肩を掴み、彼女の金色の瞳をまっすぐに見つめた。

「兄さんたちの言葉は、もう僕には届かない。彼らは、沈みゆく船の甲板で、最後の食料を奪い合っているだけだ。僕が相手にする価値もない」


 僕の瞳を光を見て、バエルは息を呑んだ。おそらく氷のような色をしていたことだろう。

 彼女は僕の怒りが消えたわけではないことを悟ったのだ。僕の心のもっと深く、もっと冷たい場所で、燃え続けている。


「……そう。そうね、エラン」


 バエルはふっと体の力を抜き、僕の顔をその胸にうずめた。

「あなたは、いつだって正しいわ」


 その夜、僕たちは何も話さず、ただ静かに寄り添って眠った。

 屈辱の味は、忘れない。使用人たちの侮蔑の眼差しも、忘れない。その全てを、復讐の炎を燃やすための、薪にしてやる。


 旅立ちの日まで、あと二十日。僕の顔にはなにも現れていなかっただろう。心の奥では青白い炎が燃え続けていた。

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